もう二度と食べることができない味というかお店

30年も40年も食べ続けている味というか店のことは書いたことがあるが、もう二度と食べることのできない味というかお店のことは書いたことがない。今日はそれを書こうと思う。

 

1軒目は「太陽軒」の炒飯だ。これは、父が何かの用事で金沢に行った時に必ず食べてきて、家に帰ってから必ず「今日、太陽軒の炒飯食べてきたぞ。美味かったぞー」と僕達に言うのだ。いわゆる刷り込みですな。このせいで僕、姉、母の太陽軒の炒飯に対する幻想はどんどん膨らんでいった。

 

そしてついに太陽軒に行く日がやって来た。家族で金沢に行って、帰るのかな、と思っていたら、父が「太陽軒に行くぞ」と言ったのだ。太陽軒の前に着いた僕たちは心の中で少し不安を覚えた。だって小汚い店だったもの。しかしそんなことも言ってられない。父のお墨付きの店なのだ。僕達の期待は最高値だった。そして初めて食べた太陽軒の炒飯の味は、今思い返してみても絶品だった。

 

数年たって僕は金沢大学に入学した。当然太陽軒を探す。あったあったと思い、早速炒飯を食した。これであの味をいつでも食べられるのだと思った。

 

ところが、数年経ち、都市再開発とやらで太陽軒もその対象になったようだ。その頃僕は金沢の歓楽街である片町のすぐ隣の長町に住んでいた。いろいろ探してみたが太陽軒は見つからなかった。ここら辺の記憶は曖昧なのだが、とにかく僕は太陽軒を探すのを止めた。何だかんだ言って10回くらいしか行っていないと思う。いつでも行けるという油断があったのは確かだ。

 

 

その代わりといっては何だが、長町側の片町の入り口に「福島屋」という食堂があった。ここは蕎麦中心だが何でも出す店で、一時期僕はほぼ毎日「福島屋」に通っていた。何を食べるのかというと蕎麦類と飯類だ。にしんそばと親子丼とかね。炭水化物ばっかりだ(その時は痩せの大食いだったのだ)。店のおばちゃんには顔を覚えられて、おまけの漬物なんかを出してくれるようになった。一回母を連れて行った覚えがある。母は店のおばちゃんにお礼を言っていた。

 

しかし、そう考えると自炊はしていなかったことになるな。昼は大体大学の学食だったし(大学に行った時のみだが)、アパートにいる時は昼は食べなかったんじゃないかなあ。その「福島屋」も僕がアパートを引っ越したため、自然と足が遠のくことになった。数年経って店を探したら閉店していた。

 

 

次に僕が住み始めたのは兼六園側の一戸建ての古い古い家だった。その近くにあった店が「ラッキー」という洋食屋さんだった。ここは小さいながらも本格的な洋食屋さんで、出てくるもの全てが美味かった。週1くらいで行っていたように思う。この店は僕が大学を卒業してからも営業していたので妻と数回行ったことがある。何時行っても変わらぬ味を提供してくれた。何を食べてたんだろう。「豚の生姜焼き定食」「ハンバーグ定食」「ミックスフライ定食」なんかが多かったような気がする。よくあるなんてことないメニューなんだけど、これぞ洋食!っていう味だった。しかしある時、「『ラッキー』に行こう」と思い立ち、店に行ったら閉店していた。これはかなり残念なことだった。

 

 

最後に現存してる店についても書いておこう。この記事を書く前に店のことを思い出して検索してみたらあった。その名も「クック」。洋食屋さんだ。これは大学時代に付き合っていた彼女の紹介で行ってみたのだが、素晴らしかった。まず店が小汚い。まあこれは今までの店もそうだった。そしてボリューム満点である。チキングリル定食を注文すると山のようにチキンが出てくる。ミックスグリルも同様だ。野菜のパスタを注文しようものなら、もう山になったパスタが出てくる。どうも今もそうらしい。ご飯は大中小あるが中は大だと思っておいた方がいい。検索したページには「きたなトラン」優勝クラスと書いてあった。こんなこと書いてたら近日中に行きそうである。

 

 

ところで、これも書いておくか。今日は結婚記念日だった。本当は6月9日、ロックの日にしたかったんだけど、大安とかじゃなかったのかな、10日になった。それからの僕の結婚記念日での仕事は、ケーキを買うことになった。あと数年で結婚30年になる。今日は結婚記念日だからか、妻は20時半に帰って来た。毎年のように冷蔵庫を開けて「あれっ!」と言ってから「ありがとう」と僕に言ってくれる。そしてあっという間に二人でケーキを食べてしまうのであった。