読書の秋になるかもしれない

こうやって順調に記事を書いていることは大変嬉しいのだが、中途覚醒の日々が止まらなくて弱っている。

 

 

大体は、21時半過ぎに寝るので、5時間ほど経った午前2時頃に目が覚める。最近まで布団から出ずにそのまま目を閉じると大体は再び眠ることができたが、ここ1週間は覚醒したら、すぐにリビングに行くようになってきた。

 

 

真っ暗なまま、煙草を1本吸う。お茶を少し飲む。そして、これまた真っ暗なままトイレに行く。それから再び布団の中に入る。そうすると2時間ほど眠ることができる。そしてまた午前4時になると目覚め、さっきと同じことをする。

 

 

そうやって何とか朝6時まで布団の中にいることができている。途中で起きちゃうと、昼にうたた寝をする率が高くなる。それは避けたい。

 

 

なんやかんや言って、睡眠ネタがなくならないのは寂しいが、もう僕は6,7時間ずっと眠ることができなくなっているのだろう。年齢も関係してると思うけれど、眠剤を飲んでいるにも関わらずこの体たらくっていうのが悔しい。

 

 

 

まあ、そんなことは置いておいて今日のことを書き留めておこう。

 

 

 

今日は、結構ギターの練習に時間を割くことができた。やはり、少しずつできるようになるのを実感できるのは楽しいし嬉しい。今日は、先生の動画を見ながら弾いてみて、つっかえながらも最後まで弾いてみた。頭と指が馴染むまでもう少し時間がかかりそうだが、明日明後日と今日のように練習できれば、日曜日のギター教室で無様なことにはならないと思う。そう考えると、3週間も間を空けるより1週間後にまたギター教室があると思うと、緊張感を持って練習に取り組むことができると思った。

 

 

 

 

それから、今日で「続氷点」を読み終えることができた。今の僕にとっては素晴らしい快挙である。「氷点」「続氷点」を読んでいる間は幸せだったなあ。重いテーマにも関わらず、エンタメ要素もてんこ盛りだったので、楽しく読めた。これは売らないでとっておこう。もし10年後生きていたら読みたいと思うかもしれない。

 

 

作者の三浦綾子は次のように書いている。

 

 

「人を裁くことが、なぜ罪なのかを改めて知らされたような気がした」

 

「裁くことは、自分が正しいという位置に座し、自分が正しいという確信を持つことだ。裁きの座につくかたは、神おひとりだけである。人間が裁くということは、神をおしのけ、その神の座に居坐ることなのだ。神を信頼しないものには、神に裁きを任せておけないのだ。この傲岸さは日常の私たちの姿でもある。そんなことを思いながら、私は陽子を書いていった。また裁くのは陽子だけではない。登場人物同士がお互いに随所で裁き合っている。私は人間の恐ろしさを自分の中に見ないではいられなかった」

 

 

ストーリーを書いていないので、これだけじゃあ伝わりにくいだろうと思うが、「氷点」同様に「続氷点」も新聞連載という形で発表された。つまり、何万人もの人たちがこの重いテーマの物語を同時進行で読んでいたということになる。僕は、もしかしたら当時の人たちの方が、今の人たちより民度が高かったのかぁと思ってしまった。

 

 

 

 

このあと予定では、次は星新一を読むはずだった。しかし、ふと枕もとを見ると「テロリストのパラソル」が置いてある。これは以前「達兄ぃが好きな本で・・・」と妻に言ったら「私も読みたいと思っとったんや」と言い、すぐに読み始めた本だ。そして彼女が読み終えると「どう?読んでみる?面白かったよ」と言ったので、一応手元に置いておいたものである。

 

 

どうしようかな、とか思いながら数ページを読んだが、いきなり話がグイグイ進んでいき、気がついたら100ページを超えていた。もう記事を書いたり夕食を作ったりするより、早く次を読みたいと思うばかりである。いやー、この先どうなるんだろう。楽しみで仕方ない。

 

 

 

というわけで、もしかしたら、もしかしたら読書の秋が僕に訪れるかもしれない。

 

 

 

それでは。