hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

秋眠日記8~計画訪問が終わった~

ビリー・ブラッグエイミー・マンのニュー・アルバムが同時に届いた。勿論アップルミュージックの仕業である。今週はこの2枚で忙しくなりそうだ。今は朝5時、ビリー・ブラッグを聴いているが、この時間に聴くとしみじみとしていい。12曲46分なのも相変わらずいい。いいなあと思ったら終わっていた。照明も暗めだと尚更その良さが届く。しみじみとするのはもう秋だからだろうか。

 

昔は50過ぎて花を愛でるようになったとか、山歩きをするようになったとか、50過ぎて分かるようになったとか、そういう話を聞くと「ケッ」っと思ったものだが、僕も同じようなものなのかもしれない。ちょっと遅いような気もするが、50半ばにして気に入る音楽の幅が広がった。歳をとるって幅が広がるっていうことなのかもしれない。ただ、「50過ぎるとラクになるよ。いろんなしがらみから解放されて」と言ったのは、遠藤ミチロウだったかな、その境地には僕はまだ達していないようだ。何事も遅めの僕だから、そんなことを言えるようになるのは60を過ぎてからだろう。

 

しかしながらちっとも幅が広がらないものもある。仕事である。授業の腕である。こればかりは自然と授業が上手くなるということはない。確かに経験値というものは若い人よりあるが、そういう問題でもなかろう。問題はダメ出しをされなくなるということだ。今の若い人にも言えるが、どうも現在の教育界はダメ出しをするのを良しとしない風潮にあるようだ。そんなことをすると若い人はすぐに辞めるんだって。指導する側がそんなに腰が引けてるんじゃあ、育つものも育たない。「授業の腕を上げたい」と思っている人は、学校の外に行って自分に合った学習会を探して勉強するしかない状態だ。

 

そして年寄りは尚更何も言われなくなる。「この人に言ってもなぁ・・・」と思っているに違いない。確かにそういう面(言われてもすぐには納得しないとか反論するとかプライドが傷つくとか)はあることは認めよう。年下が年上のものに何か物申すのも気が引けるというのも分かる。しかしここは学校だ。子どももそうだが、大人たちも学ばなければいけないんじゃない?ICT教育みたいな新しいスキルについて教えてもらうことは勿論必要だし、そういう時は親切に教えてくれるが、こと授業に関すること、例えば何を大切にして授業をしているとかそういうことを話す(意見を戦わす)機会は全くと言っていいほどなくなった。僕は由々しき問題と思うんだけどなあ。

 

 

というわけで、計画訪問である。やっと終わったよ。授業はどうだったか?僕は「まずまず」だったと思う。日曜の朝から今日の1限まで考え続けてよかった。「まずまず」の中味だが・・・。

 

そうだなあ。まず何といっても1ミリも緊張しなかったことに自分でも驚き半ば呆れた。教室の後ろには最初から最後まで、常時誰かがいた(多くて7人くらいだったかな)。教育長も当然見に来た。同じ社会科の公開授業をする同僚にまで参観される始末だ。ところが僕は緊張しなかった。こんなことは前任校での研究授業以来だから、約3年ぶりということになる。

 

原因はやはりずっと授業のことを考え続けていたからだと思う。そのことで余裕を持って児童に対することができたし、大体は自分が思い描いた授業をすることができた。あとは指導主事のダメ出しを待つだけだ。(←今、学校でこれを書いているのだ)

 

それから致命的なミスがひとつあった。「聞き逃し」である。本時の課題を考える時に、ある児童が「どのようにして食は変わっていったのか」と「食」に絞って課題を考えていたのである。後から参観した同僚に指摘されるまで気づかなかった。もし聞き逃さなかったなら、全員に問い返し、さらに思考を深めることができたかもしれない。悔しいし残念である。日頃から「聞く力」をつけろ、と児童にうるさく言っているのに、自分の聞く力が衰えているとは。なかなかショックなことだった。

 

タイムマネジメントから見ると、妥当な時間設定だったと思う。前半にいかに江戸時代のイメージを豊かに持つことができるかが胆だと昨日書いたが、時間をかけて児童からの反応を引き出すことができた。やはり読み通り、20分くらいかかったかな。今回一番考えたのは前半部分だったので、そこが上手く児童の思考に沿って進み、課題につなげることができた。

 

課題は、「どのようにして・・・」や「どうなった」という言葉で児童から出てきた。僕は思い切って「先生なら『どうして』を使うな」と言ってから、意図的に学力高位の児童を指名し、「君ならどうする?」と聞いた。その児童は「どうして20~30年の間に大きな変化が起こったのだろう」と僕が期待していたことを完璧に答えた。友達からも「なるほど~」という声が聞こえたので「これ、今日の課題にしてもいい?」と半ば強引にこちらで決めたことが反省点の2番目だ。

 

後は、その課題について自分なりの予想を立て、ノートに書く。全体で確認し合う。本時の振り返りを書くという活動をした。予想を立て、ノートに書いている時に机間指導を行い、こちらでこれは、と思うものを選び、黒板に書くよう指示した(全部で6名)。

 

全体で確認する時は、似ている意見の人にも発言を求めた。せっかくの機会だから児童にもこういう緊張した場で発言する、という体験を積ませたいと思ったからだ。そして一通り児童が発言した後、こちらでリードして、幕府に関係する事、外国に関係する事、貿易に関係する事の3つに仲間分けをした。

 

ここら辺は上手くまとめることができたのではないかと思っている。そうこうしているうちに、貿易と外国を絡めて話をする児童がいたので、3つは別々ではなく、相互に関係があることも確かめることができたこともよかった。

 

 

 

さあ、いよいよ指導主事との分科会である。同僚と一緒に話を聞く。僕のことを一通り褒めてから、「本時の課題こそが、この単元を貫く学習問題ですよね」と言われ、ちょっとよく分からなくなった。「そうなん?だとしたら僕の考え方が根本的に間違っているぞ」と思った。ここら辺はこれから考えていかねばなるまい。

 

しかし、概ね(思った通り)平和的に分科会は終わった。今は家に帰ってきてこの記事を書いているが、さすがに心身ともに疲れた。計画訪問の後にグダグダになってしまうことが度々あるので、これからはあまり無理せず、少し力を緩めていきたいものだ。

 

とにかく、今日は梅酒で乾杯だ。

 

 

追記:「1ミリも緊張しなかった」と書いたが、昨年の計画訪問の記事を読むと同じようなことが書いてあった。そうか。去年も緊張しなかったのか・・・。