学力が低下してるんだって?

子どもたちの学力が下がってるって、しかもタブレットが原因なんだっていうニュースを読んだんだけど、そこんところどうなんだろう?ってことを肴に今日は頭を使いたいと思っている。

 

 

僕としては、学力って一体何のことを指して言ってるんだってことから始めたいところだが、きっと識者は大雑把に言ってペーパーテストができているかどうかっていうことなんだろうと思われる。

 

 

じゃあペーパーテストって何を問われているのかというと、まずは漢字やローマ字が書けたり、計算ができたり、自然現象の基礎的なことを知っていたり簡単な英会話ができたりという基礎的な知識技能が問われると思う。それに加えて、論理的な思考ができたり、それを文章を書いたり応用的な問題が解けたりできる力っていうのも問われると思う。

 

 

だとしたらそれはもう何十年も前から学力が低下するだろうなっていうのは感じていたよと僕は言いたい。そうだなあ、肌感としては、2000年から段階的に導入された総合的な学習が始まった頃くらいからかなあ。同時に学習に対する意欲の低下も感じるようになった。

 

 

総合的な学習という教師でも上手くイメージできない学習を文科省が各学校に丸投げした頃から学校はおかしな場所になったんじゃないかな。でもそこら辺から書くとタブレットに行きつかないので、スキップすることにしよう。

 

 

タブレットを児童生徒に1人1台持たせましょうという政策(GIGAスクール構想)が加速化したのはコロナ禍のさなかだった。リモートで朝礼をすることもあったし、教師の研修もリモートで行われることが多くなった。

 

 

僕が最後に赴任した小学校は、ICT環境の整備に力を入れていて、その運用も活発だった。それに加えて、2022年度から本格的に「個別最適化」「協同的な学習」を目指して自由進度学習を取り入れていきましょうと教育長が高らかに宣言していた。

 

 

しょうがないので、僕も遅まきながらタブレットを使った授業を試みたし、自由進度学習なるものを始めてみた。しかしこれも総合的な学習と同じで、教師に丸投げされたものだった。「決まった形はありません。それぞれの先生たちがまずはやってみてください」とアナウンスされたのだった。そう言うと聞こえがいいが、実際は五里霧中だった。

 

 

でも若い先生たちは、勿論僕なんかより数千倍ICTの活用力があったので、色々な場面でタブレットを使っていたように思う。それはそれで言いたいことがあるが、僕自身が実際タブレットを使った授業をしてみて思ったことから書いていきたい。

 

 

まず、いいなと思った点は、スピードである。各児童が何を思っているかを知る際には指名して発言させるよりも数千倍速く知ることができる。ただし、「どっちを選びますか」とかの単純な発問に対する各児童の反応を見たい時に限られる。よって、授業の前半に使うことが多かった。

 

 

次にいいなと思った点は、他の児童の考えをすぐに知ることができることである(これもスピードである)。授業の最後に「じゃあ今日の学習を終えて、結局あたなは減税がいいと思うのか増税がいいと思うのかの理由を書いてください」という教師の投げかけに、児童が取り組んだとしよう。それで大体書けたかなとこちらが判断したら、各児童の考えを一斉に公開する。それを読むということが容易になったし、友達の考えに興味を持って読む姿が見られた。と言っても3文程度のものなんだけどね(ほんとはそこから更に考えを深めていけばいいんだけど、そこまでできなかった)。

 

 

という風に、僕はタブレットの良い点はスピードだと思った。しかし、そのスピードが逆に良くないというケースもある。例えば、算数の問題提示をする時だ。授業を参観していて、テレビにパッと教科書の問題を提示する場面があった。でもこれじゃあ問題把握はできないだろうなー、特に学力低位の子は、と思った。

 

 

授業の最初の段階の問題提示には、かなり気を使う必要がある。今日の問題が昨日とどう違うのかをハッキリさせたり、こんなの無理って思わせておいて、うん?こうすればできそうかなって思わせたりするのがまずは大事だろうと僕は思っている。だからそれなりに時間をかける。そこをすっ飛ばして「今日はこれ」ってパーンと出すと、児童は思いっきり受け身になると思った。

 

 

もうひとつ思ったことが今日一番に言いたいことだ。それは、教師の話を聞かなくなったことだ。タブレットで作業している時に、一旦作業を止めてこちらが何か話そうとしても無意味だ。たとえ児童のタブレットにロックをかけても、こちらの方を見ようともしない。

 

 

それどころか、普段タブレットを使っていない時にも話を聞かないという現象が起きるようになった。そのことを感じた時は、ちょっと怖くなったな。僕の考える学力っていうのは聞くという行為から始まると思っているからだ。聞くことによって考えるようになり、試行錯誤し、話すという行為に繋がる。その一番最初ができていないってことは、そりゃあ学力も下がるわなあというのが僕の考えである。

 

 

学校というシステムがある限り、いやもっと言うと社会で働くという営みをする限り、誰かの話を聞くということは必須の力であると思うんだけど、昭和的過ぎるかな?いろいろなコメントを読んでみると、そのことに触れたものはなかったように思う。

 

 

僕が働いたのは、2023年3月までだから、その時と状況は変わっているのかもしれない。しかし、僕は学校現場から離れることができてよかったと思っている。とてもじゃないが、今の学校のやり方・考え方にはついていけない。

 

 

そうそう、ヤフコメにはタブレットは「やった感」があるけれど、それで力が付いたとは思えないというコメントがあった。僕もそう思う。そして問題なのは、授業をしている教師も「やった感」を持っているような気がするのだ。つまりは、教師の質の低下だ。そこが一番の問題かもしれない。

 

 

っていうようなことをこのブログで今までちょこちょこと書いてきたつもりなんだけど、賛同してくれる人は今の学校にはいないだろうなあ。

 

 

 

ふう。今日も一定時間頭を使うことができたし、これで終わることにするか。

 

 

 

ちょっと早いけど、ビールでも飲みながらレコードを聴こうっと。

 

 

 

それでは。

 

 

 

おっと忘れていた。JUNさぁ~ん、今年の夏には来てくれますかぁ~。僕の赤いSGを弾いてみてくださいよ~。