僕は「昭和プロレス」のファンだった。馬場派か猪木派かで言うと、強烈な猪木派だった。その流れで平成の格闘技ブームに乗っかり、「K-1」や「リングス」、「プライド」等を夢中になって観ていた。特に昭和の頃なんだけど、僕の記憶力の何分の一かは、プロレスの名勝負の日付と場所を覚えることに使われていた。「8.8横浜文化体育館」とかね。これは、アントニオ猪木と藤波辰巳が名勝負を繰り広げた日と場所だ。大体は「はってんはち横浜文体」と読んでいた。「プライド」の「高田―ヒクソン」戦の初戦は、「10.11東京ドーム」だ(2戦目も同日同じ場所だった)。これは「じゅってんいちいち」と僕は読んでいた。そんなのがもう、頭の中にいっぱい蓄えられていたのである。プロレスファンと語り合う時は(そんなことはあまりなかったけれど)、この日付を言えば一発で通じた。
「プライド」が消滅して僕は日付を覚えることはなくなった。代わりに何か蓄えるものができたかというとそうでもない。
そればかりか同時に覚えることがなくなったのが、曲のタイトルである。ここ10年は特にそうである。よく聴く曲もただの「いい曲」で「これ、いいなあ」で済ませていた。よほど好きにならないとタイトルは覚えない。これに困ることが最近よくある。記事を書く上で曲のタイトルを書くことは最低限必要な基本情報である。それが出てこない。結果的にスマホで検索することになる。なかなか面倒である。最近はアーティストの名前が出てこなくて困ることもある。検索しようがないんだもん。さっきは「ニック・ケイヴ」が出てこなくて困った。スマホに入っているアーティストを「あ」から順番にスクロールして思い出す始末だ。
曲のタイトルについてはきっと僕が歌詞をあんまり聴いていないことに起因すると思われる。歌詞を聞いていれば、自然と曲のタイトルを覚えることもあるだろう。
と、どうでもいいことを書いているが、どうも朝の4時頃に目を覚まして音楽を聴きながらぼうっとしていると、「何か書きたい」という気持ちがムクムクと湧いてくる今日この頃である。日付の話や曲のタイトルを覚えない話は次につながる話ではない。
僕が音楽に関する記事でよく取り上げているアーティストを思いつくままに挙げてみると、デヴィッド・ボウイ、ローリング・ストーンズ、ジョンレノン、ビートルズ、ポール・マッカートニー、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、プリンス、ドアーズ、ルー・リード、忌野清志郎、遠藤ミチロウ、トモフスキー、平沢進、佐野元春などだ。
1回だけ書いたアーティストの名前を思い出してみると、ディキーズ・ミッドナイト・ランナーズ、ジミー・ソマーヴィル、UB40、テレヴィジョン、レイ・デイヴィス、デヴィッド・ヨハンセン、ジョニー・サンダーズ、友部正人などだ。
何を言いたいかというと、よく取り上げる人たちは、活動歴が長くて(つまり歳をとっている)、なかにはもう亡くなった人もいて、かなり強烈なキャラクターを持っている人たちばかりだということだ。特に声の記名性が高い人たちばかりだ。1回だけ書いた人たちもそうである。「この声でなくちゃ」と僕が思った人たちについて書いてきた。声が気になる人で書いていないのは、エルヴィス・コステロ、ニック・ケイヴ、なんかが挙げられる。
昨日書いたビリー・ブラッグは、彼らのような声は持っていない。持っていないけれど、だからと言って切り捨てているわけではない。どうも最近様子が変わってきていて、「こういう声」も心地よく聴こえるのだ。僕にとって「声の記名性が高い」というのは、僕がよく使う「ギザギザ」が感じられる声だ。先に挙げたアーティスト達の声はポール以外全員「ギザギザ」を感じる(ポールの声はまたちょっと違った意味でうっすらとした狂気を感じるようになってきた)。
しかしビリー・ブラッグ、そしてリチャード・トンプソンやトム・ロビンソンなどのイギリス人アーティスト(これにジョージ・ハリスンも入るかもしれない)は、素直に声を出しているような気がする。そしてあまりシャウトしない。ということは「ギザギザ声」ではないということだ。
ビリー・ブラッグに心地よさを感じる俺ってどうなってるんだ?ということなんだが、これも昨日書いたが「幅が広がっている」ということなんだろう。
話を戻したのに、また横道に逸れるが、僕は病気真っ只中の時や調子が悪い時は、もっぱら平沢進を聴いているようだ(その時は自分の調子の悪さには全く気づかなかった)。清志郎やミチロウ、ミックなんかの声は暑苦しくて受け付けなかった。だから今どんな調子なのかが妻には分かりやすいし、「ああ、今、平沢モードなんだ」と自分でも気づくようになった。僕は今、平沢進を聴いていない。よかったよかった。
逸れたついでにもういっこ書いとこう。前にロッキングオンはいつまで昔のビッグネームで商売を続けるつもりなんだ、と批判したことがあるが、僕にしても同じであることに気づいた。上に書いた人ばかりのことを記事にしている。やはりいろんな意味で書きやすい人達ばかりなんだなあ。何回も書くことでその人に対する理解が深まったとか、そういう記事であればいいんだけれど、残念ながらそんなことはない。
今日はどんどん話が逸れたまま収拾がつかなくなっているな。ものすごく乱暴に言うと、最近心地よく聴くことができる人たちの多くは「穏やかなサウンド」にのせて「穏やかに」歌っている。歌詞の内容に関わらず、だと思われる。
今日はもっとビリー・ブラッグについて言及するつもりだったのに、何だか消化不良になってしまったな。すまんな、ビリー、許せ。最新アルバムはしっかり聴かせてもらうぞ(傑作だよ)。初期のベストアルバム(ビリーが一人でエレキギターをかき鳴らしている時代の曲)を聴いたけれど、メロディは今も昔も変わらないな。いい意味でブリティッシュなメロディだ。