僕のブログでよく読まれている記事の1つに「BBAはあり?話し合いもしないで?」というものがある。これは、教育関係の話である。興味のある方は、下の記事を読んでいただければ幸いです。
要するに、通知表の評価は、今まで「知識・理解」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3観点だったが、最後の「主体的・・・」の評価って難しくないか?っていう話である。
長年、どうしてこの記事がよく読まれているのかが分からなかったが、最近になって気づいた。つまり僕と同じように悩んでいる人は結構いたんだということである。
ちょっと話がずれるが、この7月頃だったかな?この「主体的・・・」を評定外に変更するという記事を目にした。まあ、やはり評価しづらいということが原因だろうと思う。
もう少し続けると、この評定がなくなったらどうなるか?でネット界隈で一時期話題になったようである。「っていうことは、テストの点数さえよければいいってこと?」とか「授業中の態度が悪くてもいいんかい」とか「こりゃあ学級崩壊するだろうな」とかである。
はたまた「教師たるもの、誰かにどの児童が『主体的に学習しているか?』と訊かれたら、(普段授業をしているんだから)サッと答えられて然るべきである」なんて言う元教師もいた。そりゃそうなんだけど、それも何だかなあと思う。
さっきの話に戻るが、そういうことなので、ふと「BBA」で検索してみたら、やたらとヒットしたのである。僕の記事もそこにあった。実は全国の先生たちは「BBA問題」に悩んでいたのである。なぁんだ、そうだったのか。悩んで損したなって少し思っちゃった。
「主体的な・・・」を評定外にするという話に戻るが、これだけ多くの先生が悩んでいるというのは、やはり評定しづらいということだし、どうしても主観的になってしまうということだろう。だから「評定はなくしてもいいんじゃない?」と思っている。
そして、評定をなくしたからといって、テスト至上主義になるとか学級崩壊するとか、そんな大それたことにはならないと思う。だって保護者も児童もみんな、各観点の評価を吟味して見る、というよりAの数がどれだけあるか?そればっか見てると思うもん。Aの数で「2学期は、1学期より頑張ったね」とか、そんなもんじゃない?通知表って(特に小学校では)。
大体、今まで何かを増やすことには熱心だったのに、何かをなくすんだからこんないいことないじゃない?無責任かな?
これが今日の話題の一つ目。もういっこは、やはり政局の話である。玉木雄一郎が昨日の公明党離脱を受け、「私は総理大臣を務める覚悟があります」と発言したことについてだ。
話の前段では、「立憲民主が意思統一(安全保障とかエネルギー政策について)をして、国民民主の政策に賛成してくれれば」とは言っていた。当然である。でもねー、総理大臣云々は軽率な発言だったんじゃないか?そこばっか切り取られることもあるだろうし。それに公明党にすり寄る発言もしてたよね?
夏の参院選での山尾何某をどうするか問題でも脇の甘さを見せた玉木だが、昨日の発言も僕としては、違和感を抱かざるを得なかった。それに加えてXでは、再び公明党にすり寄る発言もしているではないか。一体どうなってるんだい?
僕は先日(いい意味で)天然な政治家として安野貴博について書いたが、玉木雄一郎は反対の意味で、天然な政治家なんじゃないかという気持ちが日増しに高まっている。安野には、「はいはい、空気読めないんだね。いいよ、安野だから」って思えるが、玉木には、「あのー、仮にも首相目指してるんなら、空気くらい読めよ」って思ってしまう。
この後、玉木は会見で「立憲と一緒なんてとんでもない」みたいに話してるけど、やっぱ総理大臣発言が一番心に残っちゃうんだよね。
公明党は公明党で野党にすり寄っちゃってるみたいだし。全く昨日まで与党だったんだろ?節操ってもんがないのかね?
最近はこんな話ばっかりなんだけど、ホントはチープ・トリックがフェアウェル・ツアーをやったんだって?とかスティング3.0が来日したんだって?とか書きたいんだけど、まだそんなモードになってないのが寂しいところである。