hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

夏眠日記その23

そういえば、この前精神科の受診日を間違えたって書いたけど、主治医にはこっぴどく叱られて、「今度からはSiriに予定を伝えとくように」って言われた。僕は「Siriは使ったことありません」と言うと「使ったことない?」と原始人でも見るように言われ(←自分も使ったことないくせに)、スタッフを呼びつけ「先生(僕はこう呼ばれている)にSiriの使い方教えてやって」と言ったのだ。僕は渋々スタッフの言う通りにして、スケジュールを管理することになった。1回くらい診察日を忘れたっていいじゃない。たまたまなんだから。

 

そんな主治医は「私がもしSiriを使うんならシラギの4代目は誰か聞くわ」と言った。よく分からない素振りを見せるともう1度繰り返した。僕は「シラギ?もしかして朝鮮半島の昔の王朝の新羅のことですか?」と聞くと、「勿論。私を誰だと思っているの?韓流ドラマばかり観ているのよ」と言われた。主治医は韓流のことを「かんりゅう」と言う。「先生、ほんとは『はんりゅう』と読むんですよ」と教えてあげる患者さんはいないのだろうか?それともあえて「かんりゅう」と呼んでいるのだろうか?謎である。(後で調べたら、どちらも正しいそうである。NHKは「かんりゅう」と言っている。参ったな)

 

そんなどうでもいい話はおいておいて、新型コロナの話をしようじゃないか。

 

僕は2,3回コロナに対する政府や国民の対応と、太平洋戦争に関する軍部や国民の対応とに何か関係あるのでは?と書いてきた。最近ぽつぽつと戦時中と今が似ているという記事を目にするようになった。今日の毎日新聞朝刊にも興味深い記事があった。

 

葛西大博という記者が書いた「五輪の夏 考」と題されたもので「失敗の本質 戦争中と酷似」と大きな見出しが付いている。どれどれと思って読んでみた。

 

立教大特任教授の金子勝にインタビューして書いた記事だった。こういう文言から始まる。

 

「ますます五輪は『失敗の本質』のような状況になってしまった」。

 

「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」は1984年に出版され、今も版を重ねるロングセラーの本だそうだ。気になったところをそのまま引用するよ。

 

日本が太平洋戦争で敗れた原因が何だったのかを、戸部良一防衛大学名誉教授ら6人の研究者が、ミッドウェー海戦など6つの戦闘の失敗例から分析。作戦に失敗しても責任を問われないことや、個人責任の不明確さなど、旧日本軍の組織としての弱点が挙げられている。同書では旧日本軍の失敗例として、結果よりもプロセスややる気が評価されたことも指摘されている。

 

「周りの意見を聞かず、自分の思い込んだことを実行することがリーダーシップだとはき違えている。戦時中のトップの失敗と同じです」

 

「(ワクチンが)足りなくなるのを知っていたのに、早くワクチン接種を進めろと自治体や国民の尻をたたく。それは都合の悪い事実は隠し、敗色濃厚になっても国民には連戦連勝していると伝え、鼓舞し続けた戦時中の大本営発表そっくりですよ」

 

「今さら五輪も中止できないだろうと既成事実化する姿勢は、戦争が始まったんだからすぐにはやめられないと、戦局が泥沼化した旧日本軍と同じです」

 

なるほど。僕も少し思い出した。旧日本軍は「どんぶり勘定」だったそうだ。武器やら何やらの数をごまかして適当に合わせていたらしい。上の記事はトップの態度について語っているが僕の方はその下の者の態度だ。僕が興味を持っているのは、一般庶民の方だ。僕には今の国民がそんなにバカな人達ばかりだとは思えない。トップには期待なんかしていない人が大多数だろう。でももしかしたらホントにバカな人がたくさんいたりするかもしれないな。そして僕もそのうちの1人かもしれない。

 

松本人志は「みんな、静かにデモをしているんですよ」と「ワイドナショー」で言っていた。僕は何故(大規模な)デモをしないのだろう、と不思議に思っていたが、なるほど、そうか。静かなデモか。それは説得力あるな。SNSで文句ばかり言っても仕方ないしな。問題はそれが政府に届くか、だ。多分届かないだろう。しかし、それも承知の上での「静かなデモ」なのかもしれない。

 

今までは比較的遠かった新型コロナウイルスが最近ひたひたと身近に迫っているのを感じる。そして今日は遅まきながら1回目のワクチン接種を受けてきた(14時に打ってもらった。5時間経過している)。副反応はどんな風に出るんだろう。左腕はだんだん、そしてかなり痛くなっている。明日はとりあえず外ウォーキングは中止にしよう。

 

とにかく、今老いも若きもどんな形かは様々だろうが、コロナについて考え、行動に移していかなければならないんだろう。特に首都圏や関西の人達は。誰かに何かを期待なんかしないで生き延びるための努力をしなければ。