hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

サカグチ先生とのこと その2

もう少し、同じ職場で働いていた時のことを書こうかな。

 

3年目に大変な6年生を受け持つことになったが、そのための策の一つとして、算数をサカグチ先生とTTでするということになった。当時まだ自分の授業を見られることに慣れていなかった僕は心の中で「参ったな」と思った。「かなりダメ出しされるだろうな」とも思った。授業のことになると厳しいというか、夢中になる先生だったからだ。

 

僕はどうすればTTになるか分からなかったので、とにかく自分のペースで授業をしていた。サカグチ先生は後ろで見ているだけだった。それがもう辛くて辛くて「なんか、毎日研究授業を見られているみたいだな。まるで教育実習生みたいだ」と思った。

 

しかし、サカグチ先生は授業後、「あの子達面白いね。~って言ってたよ」など子ども達のことを言うだけで僕の授業のことに対しては一切口を出さなかった。いや、一回だけあった。「hanamiさん、授業の腕上げたね」と言われたのだ。僕としてはその授業は最後には結構教え込んでしまったなあ、と反省していたのだが。「どこがどうよかったんでしょう?」とはとても聞けなかった。でもその一言は僕のその後の大きな力となった。授業に関しては妥協しない人なので誰かの授業を褒めるということは聞いたことがなかったからとても嬉しかった。

 

注意もされた。服装についてだ。「hanamiさんのことは教委も期待してるの。だから服装のことも考えて」ということと、「人にものを頼んだからには先に帰っちゃだめ」ということだ。後に言われたことは僕にも言いたいことはあったが、いつも世話になっているので我慢したこともあったな。

 

そんなこんなで、いろいろなことを教えてもらった3年間だった。

 

その2年後に僕は異動した。そこはサカグチ先生が勤務している学校のお隣の小学校だった。そして僕は担任から外れ、算数少人数担当になった(4,5,6年で5クラスあって1限目から5限目までぶっ続けで算数だよ。死ぬかと思った。でもとても勉強になった。今の僕の基礎となった時期であった)。どちらの小学校も算数を学校研究の教科に選んでいたので、サカグチ先生から「公開授業を見に来ないか」と誘われたり、僕の授業をうちの若い先生に見せてやってくれないか、と頼まれたりと気軽に交流をするようになった。

 

僕の今までの教員人生ではなかったことだが、お互いの家を行き来させてもらったり、喫茶店で話をしたりということもしてもらえるようになった。

 

もしかしたら、と僕が思っていることがある。こんなどうしようもない僕に色々と優しく接してくれるのはもしかしたら、もしかしたらだけど、僕の病気のせいなのかな、と思うことがある。サカグチ先生は自分を責めていたのかもしれない。僕の病気のきっかけを作ったのは自分だと。そのままいけば管理職という道を歩んでいたかもしれない僕の将来をつぶしてしまったという負い目を感じているのかもしれない。

 

3年前僕は、赴任校にサカグチ先生に来てもらって授業を見てもらったことがある。その時ポツリと「hanamiさんの言うことにはNOと言えないからね」と漏らしたことからもそれは感じた。

 

実際、3年前のサカグチ先生の立場(隣の市の教委に所属し、アドバイザーをしていた)で僕の授業を見に来るというのは、かなり(制度的にも)難しかったと思う。多分年休をとって、個人的な時間として見に来てくれたのだと思う。

 

一緒に働いた3年間。無我夢中でやってきた結果、僕は病気になってしまった。そのことに対して「悪いことをした」と、もし少しでも思っているとしたら。もしそうなら僕は「そんなことは決してないです。あるのは感謝だけです」と言いたい。