hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ブームタウン・ラッツはもう少し評価されてもいいのでは?

このバンドのことについては1回書いたことがある。高校時代、僕の地元にやってきてコンサートを開いた(調べたら1980年のことだった)。その時のことをこのブログに書いたのはもう大分前になるな。

 

この前、JUNさんが「たまに聴きたい」枠の1曲としてブームタウン・ラッツの「哀愁のマンデイ」を挙げていたが、それを読んで「ブームタウン・ラッツのことを書きたい欲」がムクムクと頭をもたげてしまった。

 

ブームタウン・ラッツといえば「哀愁のマンデイ」だ。それは確かなことなのだが、他にもいい作品がたくさんあるんだぞ、というのが僕の言い分である。

 

一応ディスコグラフィを押さえておこうか。

 

ザ・ブームタウン・ラッツ」(1977)、「トニック・フォー・ザ・トゥループス」(1978)、「哀愁のマンデイ」(1979)、「モンド・ボンゴ」(1981)、「ディープ・ラッツ」(1982)、「イン・ザ・ロング・グラス」(1984)の6枚をリリースしている。

 

彼らはアイルランド出身のバンドで、同国のパンク系グループの先駆けとして活動していた。バンド名の由来はウディ・ガスリーの自伝に登場するギャングの名前に由来する。

 

僕はパンクと言うよりももっとポップでブリティッシュマナーをよく心得ているバンドだな、と思って聴いていた。オリジナルメンバーのジョニー・フィンガース(キーボード)は後に忌野清志郎のバンドに参加していたこともある。

 

ブームタウン・ラッツの特徴としては楽曲の良さと、ヴォーカルのボブ・ゲルドフの声の魅力をまず挙げたい。

 

アルバム2枚目の「ラット・トラップ」でアイルランド出身のバンドとしては初めて全英1位を獲得して注目を浴びる(1978年)。この2枚目がいいんだよなあ。1曲目の「ライフ・ア・クロックワーク」から最後の「ラット・トラップ」まで怒涛の如く元気でメロディアスなナンバーが続く。このアルバムはよく聴いた。

 

そして1979年満を持してリリースしたシングル「哀愁のマンデイ(I Don’t Like Mondays)」が大ヒットする。この曲は「月曜日は嫌いだ」というタイトルだが、同年1月29日にアメリカで起きたライフル乱射事件を描いたヘビイな内容の曲である。事件を起こした少女が犯行動機の一つとして「月曜日が嫌い」だったことから作られた。アルバムの曲は2枚目よりもさらにパワーアップしていた。これもよく聴いた。

 

僕は、1枚目から4枚目までを聴いていた。何故後の2枚を聴かなかったのかは判然としない。「モンド・ボンゴ」が良すぎたからだろうか。そう、僕にとって彼らのベストは4枚目の「モンド・ボンゴ」である。2枚目3枚目をよく聴いたと書いたがこれはもっとよく聴いた。いつものように大ヒットアルバムの次作だが、これは「当たり」だった(ただし大ヒットはしなかった)。

 

今では曲順が変えられてリリースされているのがはなはだ不本意だが、今でも気軽に聴くことができる世の中になったので嬉しい。「モンド・ボンゴ」は一言で言うと「狂ったイギリス人のセンス満載のポップアルバム」だ。1曲目(「ムード・マンボ」)から「うん?いつもと違う?」と思ったが、その後は慣れ親しんだメロディとヴォーカルだった。しかしどこか3枚目より「行き過ぎている」感があり、そこが僕の気にいったところであった。

 

僕はボブ・ゲルドフの鼻にかかったヴォーカルが大好きだった。しかし彼は、ブームタウン・ラッツの活動が停滞すると、チャリティ活動に走った。「バンド・エイド」である。そこから僕の彼らに対する関心は徐々に薄れていった。「バンド・エイド」は後に「ライブ・エイド」へと繋がっていく。

 

こんな優れたバンドのアルバムがこのまま埋もれているのはあまりにも勿体ない。しかし残っていくものは残っていく、消えていくものは消えていくのもまた現実ではある。