hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

月曜日のつもりで

「日曜日は月曜日のつもりで」。これは前に書いたことがある(最近以前書いたことがあるが・・・ということが多くなってきた)。タイトルの言葉は僕の主治医の言葉である。「貴方、日曜日の夕方にはもう気分が沈んでるでしょ?『ああ、明日からまた仕事か』って。日曜日だと思ってるからダメなのよ。月曜日だと思ってバリバリ読書とか仕事のこととか考えればいいの。分かる?つまり金曜日の夜が土曜日、土曜日が日曜日だと思って過ごすのよ。私はそうしてるわ」

 

そういうわけで、仕事のことを考えてみようと思う。「小学校教員が持つべき専門性~教科編~」で今日は書いてみよう。

 

 

 

と思ったけれど、まずは書いておかねばならないことが起きた。高橋幸宏が亡くなった。ジェフ・ベック同様、僕は彼のいいリスナーではなかった。妻が結婚当時一番入れ込んでいたのが高橋幸宏だった。そんな縁もあって彼のビートルズの「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」やニール・ヤングの「オンリー・キャン・・・(何だっけ?)」を聴いたことがある。「20世紀少年」でバンドのベース役をやっていたのがかっこよかったし、サンディーに提供した「ドリップ・ドライ・アイズ」も聴いた。(時々見た)ドラムを叩く佇まいがかっこいい人だと思っていた。ああ、そういえば鈴木慶一とやっていたザ・ビートニクスはいいな、と思って聴いたな(特に「Left Bank」)。原田知世とも絡んでいた。享年70歳。R.I.P. 病気だったのは知ってるけど早過ぎるよ。

 

 

 

 

 

小学校教員は、大体小学校の免許(一級っていうのかな?忘れた)を持っていて、中学校の副免許(二級?)を持っている。僕の場合は小学校一級と中学校社会二級だ。つまり中学校と違って教科の専門性は低い。あ、音楽・体育・美術等の技能教科の副免許だとそうではないかもしれない。僕の場合は小学校教員養成の哲学科所属だったから社会の免許を持っただけに過ぎない。

 

だから、ばらばらの教科の中学校の副免許を持った人が小学校でいろいろな教科の授業をすることになる。そして学校研究というのがあって、本校は国語でいきましょうとか、算数でいきましょうとかを教職員で決めるのだ。大体はこのどちらかの教科だ。そうすると国語の素人や算数の素人がその教科について考えることになる。素人が雁首揃えてあーだこーだ行っても議論は深まらない。

 

そこで教委の指導主事という人がやってきてあれこれレクチャーするのだが、これもあんまり参考にならない。でも教員って基本的に悪い意味で真面目だから、その指導主事の言ったことをやろうとする。その結果今年は何をしたっけ?子どもにどんな国語の(あるいは算数の)力がついたっけ?というようなぼんやりとした学校研究になる。

 

小学校の基幹教科である国語と算数がこの有様じゃあいかんと思う人は、学校の外の学習会に参加したり、偉い人の講演を聞きにいったりしている。自分の勤務している学校じゃあ学べないのだ、ほとんどの場合。だから、研究授業の後の整理会では抽象的な言葉が飛び交うことになる。そして「お疲れ様」と言ってお終いになるのだ。

 

こういう状態に不満を抱いている人はさっき書いたが外に学びに出るか、学校に優れた人が異動してくるのを待つかするしかない。僕は幸いにして優れた人が学校に来て、その人からたくさんのことを学ぶことができた。だからといってホイホイと算数(勤務校は算数を学校研究の教科にしていた)の実力がついたわけではない。その先生は(このブログで「サカグチ先生」として書いた人)、国語の大家だった。その先生が教頭となり、算数を研究する学校に赴任した。

 

それで、最初の1年で僕にマチダ先生(←日本一授業が上手いと言われていた伝説のカリスマ教師)に授業を見てもらわないか?と持ちかけ、2年目には僕を研究主任に指名した。そこでこのままではいかんということで外から講師(オオカワ先生)を招き、研究授業に参加してもらった。研究主任をしていた2年間にサカグチ先生とオオカワ先生から色々な事を学んだ。一番は教材研究のやり方である。教材研究とは大雑把に書くと授業をするための準備である。あるが、勿論プリントを印刷したりするのが教材研究ではない。その教材を自分で勉強して(教材の系統性や学習内容とその特性など)、その教材にはどんな価値があるかを掴む。そして授業で子どもが躓きそうなところを予想する。その上でじゃあどういう風に授業を組み立てていくかを考える(単元計画と1時間1時間の計画)。これが僕の考える教材研究である。

 

今書いたことは、誰も教えてくれなかった。きっとはっきりとは分かっていなかったんだと思う。そして僕は40を過ぎてやっと分かったのである。このような状況は今も続いているというのが僕の考えだ。自己否定するようだけど、先生って知ったかぶりをする人種なのである。

 

 

例えば分数には「量分数」と「割合分数」があることを全員の先生が知っているとは限らないのだ。そんなこと教科書には書いてない(指導書にはちょろっと書いてあるかもしれない)。それに分数の単元の導入はほとんどの場合「量分数」から入り、そこから何気なく「割合分数」に移行するがそれが何故かを説明できる先生はほとんどいない(これは指導書にも書いていない)。僕も未だによく分からない。他にも「2.5倍をどうやって説明するか」、あるいは「小学校におけるたし算はどういう系統性を持っているのか」をはっきり説明できる人は少ないということだ。

 

 

それが現状なのに「教師の専門性を発揮できる環境に」と言われても困る。まず専門性を高める努力から始めなければいけない。ただ教科書に書いてあることを教える、という姿勢では何も考えない受け身な子、先生の期待に沿う答えを探す子が続出する。だからこそ、授業とは?とか子どもにとっての学びって?といった公教育の根源に関わることを話す必要があると僕は思う。結論は出ないんだけどね。でも話すと話さないとじゃ大分違うと思うんだけどなあ。

 

以上、頭を仕事モードにして書いてみた。赤ワインを飲もう。

 

 

赤ワインの用意をしているうちに思い出した。P.K.O.である。これはパンタと鈴木慶一の何だろう、バンド?ユニット?まあそんな感じである。正式にはPanta Keiichi Organizationという。今までライヴアルバムを1枚出したっ切りだったけど、昨年のクリスマスにシングル曲を発表していることを知った。曲名は「クリスマスの後も」と「あの日は帰らない」である。クリスマスというのもあるのだろうか、妙にポップである。パンタのアルバム「KISS」路線である。何はともあれ、2人とも元気で何よりだと思った。

 


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