hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その7 ~ラップを授業で、の巻~

昨日一昨日と2校目で作った学校の歌について書いたが、一応その学校での僕の仕事っぷりも書き留めておこう。とはいえ、王道の授業ではなく、邪道(でもないか)の方である。

1つは、音楽の研究授業でラップに取り組んだこと、もう1つは総合的な学習の研究授業でアニメーションの授業をしたことを書こうと思う。

 

年度の初めに誰が研究授業をするかを決める。中学年(僕は4年担任だった)の先生達と話し合って僕がすることになった。今年度は教科を決めずに自分のやりたい教科で研究を進めていこうとなったので、どうしようかと悩んでいた。そして音楽で研究授業をやろうと思ったのだ。展望は特になかった。しかし、歌唱や楽器演奏、鑑賞ではなく、自分にしかできないことをやりたいと思っていた。(教科を決めないことや、自分にしかできないことをやるなんて、今ではあり得ない)

 

何となくラップをやってみたらどうかな、できればいいな、と思っていた時に、誰に指導助言をしてもらうんだ、という話になって、こんな授業を面白がってくれる人はそうはいないと思った。思案した結果、僕に海外旅行を勧めてくれた先生に頼みたいな、と思ってそう言ったら案外簡単にその先生に決まった。

 

じゃあラップだ。どういう形にしようか、ということを事前の研究会で話したら、次の日ある先生がいろいろな曲をカセットテープに入れて持って来てくれた。それを聴いていたら、例によってピカーンと閃いた。どの曲を聴いて閃いたかというとザ・ドリフターズの「ヒゲダンス」だ。これを基にラップできる、ただし、カセットテープでは無理だ。デジタル機器を買って「ヒゲダンス」を打ち込むことができないか、と考えた僕はギター教室に通っていた楽器屋さんに行って、こういうことをしたいんだ、ということを話した。器材は決まった。問題は打ち込みだ。

 

僕は器材を紹介してくれたあんちゃんに、頼み込んた。「ヒゲダンス」を聴いてもらい、できるかどうか聞いてみると出来ると言う。おそるおそるいくらですけねえ、と聞くと「1万ですね」と答えた。1万円。研究授業に器材も含めてこれだけ出費するのはどうかと思ったが、背に腹は変えられない。時間もない。決心した僕は「じゃあ、それでお願いします」と言った。それからすぐにあんちゃんは作ってくれた。あとでギター教室の先生に話すと「1万円?ぼられましたねェ」と言われた。

 

とにかく用意はできた。急いで指導案を書き、部会のみんなの了承を得て、いよいよ授業に臨んだ。僕が研究授業に選んだのは最後のグループ発表の時間だ。これも今ならあんまりない場面だ。だって最初に僕が喋ったらあとは児童が発表するだけだもん。どう教師が関わるかなんて見ることができない。しかしこの時期の研究授業はこういう発表ものが非常に多かった。結果だけ見てもらえばいいから楽だったのだと思う。僕もそう思っていた。

 

まず、1時間目の授業で実際ドリフターズのヒゲダンスを子ども達に聴かせて、「これやれる?」と早口言葉の部分を言わせたら思いのほかウケて、みんな大騒ぎになったと記憶している。いい感じの大騒ぎだったので(この授業は心の開放を目的としていたので)、そのまま、「じゃあ、早口言葉じゃなくて、自分のことについて何か言ってみない?」と投げかけた。今ではこんな乱暴な投げかけはしないだろうが、もしかしたら僕と子ども達との関係ができていたのだろうか、子ども達はみんなニコニコして何を言うか相談していた。記憶は曖昧だが、グループごとにテーマを決めさせたかもしれない。

 

その間に僕は機材の操作の練習に励んでいた。子どもがセリフを言うところは4つ打ちベードラにする。それによって子どもの言葉が短くても長くても対応できる。問題は切り替えるタイミングだ。ヒゲダンスのパートが2つ、4つ打ちベードラのパートが1つの計3つだけだったが、この切り替えがなかなか難しいのは、子ども達が練習している時にそうっと練習してみて分かった。タイミングが命の授業だから、切り替える練習は何回もするしかないと思って必死に練習した。子ども達の方といえば、「踊りを入れてもいいですか?」というくらいノッていた

 

当日の朝は空き時間だった。研究授業は4限目である。1,2時間と空き時間だった僕は、ふと、これは自分ヴァージョンも作らなければいけないな、と思ってしまった。そこで、この空き時間を使ってチャチャっと作り、練習もした。自分の分は自分で操作しなければいけないのでその練習も十分した。

 

そして、4限目が始まった。「思いっ切り、声を出してみよう」というめあてのもと、子ども達の発表が始まった。恥ずかしそうにする子も、生き生きと発表する子もそれぞれ素敵な姿だった。未だに覚えているのは、「私はほんとは沖縄で生まれたんだよ!」と叫んだ子だった。みんなも「えーっ!」と驚いていたな。最後は僕の番だ。おもむろに「じゃあ、先生もやるね」と言って、思いっ切りシャウトさせてもらった。やっているうちに手拍子もしてくれるようになって、僕はそれまでの教員人生で最高のテンションでラップし切った。思えばこれが路上ライブの始まりだったのかもしれない。ただ残念ながら何をラップしたのか、全然覚えていない。僕のラップが終わって(大拍手をもらった)大体40分経過していた。精も根も尽き果てた僕は、先生達に「すみません、終わります」と言った。そうしたら子ども達から「ギター弾いて」とせがまれた。これもさりげなくかわして、授業は終わった。

 

授業整理会は和やかな雰囲気の中行われた。指導助言の先生からは「何故私が呼ばれたか分かりました」と言われ、いろいろ褒められた。先生たちの感想には「〇〇さんがあんな楽しそうにラップしているなんて」とか「心と身体の授業でした」、「これからの教師には創造性が必要なことが分かった」等のコメントが書かれていて、よかった、と心から思った。というわけで無事音楽の研究授業は終わった。

 

でも何回も書いているが、今だったらできないな。いろいろ御託を並べられて潰されるに決まっている。この教材の位置づけはどうなんだとかね。ホント、今の若い先生達はある意味可哀そうだ。そして発想の自由さを奪われながら授業をしているようにしか見えない。(そんなことはないか。僕の誤解だったらいいんだけど)