hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

研究授業は「点」であるが、日常という「線」のほんの一部分である

こんなことは言うまでもないことだが、改めて書いておいた方がいいのかな、とも思うので「研究授業」について取り上げてみようと思う。
 

大体の先生は、年に1回程度研究授業という名の公開授業を行う。学校研究のテーマ
に沿って事前に部会を開き指導案を練り、授業に臨む。昔は、研究授業のために、前日に(子どもと)リハーサルをするなんていう馬鹿げたことをする先生もいた。また2学級あるところは、隣のクラスで1回やってみて当日に臨むこともあった(これは今でもやっているところは多い、かな)。
 

なぜそんなことをするのかというと、研究授業がその先生にとっての「晴れ舞台」だと考えているからだ。だから、事前に十分準備しておく必要があると考えるのだろう。

 

「晴れ舞台」とは、その日1日(1時間だけ)のことを意味する。だから当日も研究授業になるまでの時間まで、体育を入れたり、漢字練習をさせたりして、子どもにあまり負担をかけないようにして研究授業に集中のピークが来るようにしている。そして無事研究授業が終わったら、なあなあの授業整理会をして、よかったね、子ども達頑張っていたねで終わる。次の日からは、またいつも通りの授業をする。つまり、先生も子どもも「その日だけ頑張る」のだ。中には「今日はたくさん先生が見に来るからみんな手を挙げてね」とまで言う先生もいる。こういう先生たちにとっては、研究授業はただの「点」であり「晴れ舞台」である。それ以上でもそれ以下でもない。
 

でも、研究授業を見ていると、今までどんなことに取り組み、子ども達はどんな風に成長してきたかを見取ることができる。例えば最初に手を挙げて発言していても必ず授業が停滞する場面が出てくる。普段からそんな時どうするかを子ども達が学んでいれば、全然問題はないのだが、あくまで「点」と考えている先生のクラスでは、停滞した時、どんどん子ども達の中で不安が高まってくる。そして「先生は私たちに何て言ってほしいんだろう。」と考え、誰かにそれを言ってくれることを望む。見ていて「イタイ授業」になってくる。
 

そんな時僕は、研究授業はただの「点」ではない!今まで積み重ねてきた「線」の結果であり、明日からも続くものなのだ、と強く思ってしまう。学校研究のテーマに迫るためにはどうすればいいか?そのために4月から何をどう取り組めばいいか?上手くいかない時はどうすればいいか?今どこまで子ども達は育っている?ということを考えながら日々授業に取り組んでいかなければいけないんじゃないか、というのが僕の考えである。当たり前と言われればそれまでだけど。
 

最近は、「晴れ舞台」感が薄れてきていて、それは大いに賛成なのだけれど、逆に「おいおい、もうちょっと考えて授業しようよ。普段からそんな感じ?」と思うことが多くなってきた。(指導案検討の内容も薄っぺらになってきているし)。
 

まぁ、授業というのは、その先生の人間力、今まで取り組んできたことがもろに出ちゃうっていう話でした。