写経をしよう!

僕は時々、好きな先生の言葉を本から抜粋して写経(←この言葉が適切かは分からないが)をすることがある。それは僕にとってとても刺激になる行為だ。「確かに!」と思うことがたくさんあるが、目で読んだだけでは身に沁みないので書いてみるわけである。

 

今日(12月23日朝8時)写経したいな、と思ったのは、年休中とはいえ仕事に対する気持ちが戻りつつあるのだろう。めでたいことだ。

 

それではいきます。選んだ本は、筑波大学附属小の田中博史先生の「教材・教具を活用した算数授業づくり」(文溪堂)です。

 

P118「文章題カルタを活用した授業づくり」の前段の部分

 

「多くの先生方や親御さんから「子どもが文章題を読めない」「計算問題はできるのに、文章題は苦手」といった相談を受けます。でも子どもが文章を「読めない」のではなく、「読まない」、子ども達に文章を「読み取る必然性がない」のです。

 

特に低学年では、たすかひくしかありません。出てきた問題の数字をたしたり、ひいたり、組み合わせることでできてしまうから、算数の問題はよく読まなくても式さえ書いたら〇が貰えるという価値観になっているのです。もっと言えば、彼らのなかでは、できるだけ読まないで、早く式をかいた方がいいのです。

 

先生もつい「早くできるのはどれかな」と問いかけてしまいます。「いつでも使えるのはどれかな」「早く使えるのはどれかな」と問いかけ過ぎです。

 

さらに教室では12+3と書くべきところを12-3と書いたら「本当にそうかな?」と投げかける先生もいます。こうなると「本当にそうかな?って聞くときは間違っているんだ」と子どもは理解します。子どもが先生に任せるという文化ができるのはこの瞬間なのです。

 

子どもが間違えたときに、先生が「ああ、なるほどね」と言ったら、子ども達はドキッとします。特に先生が修正するものと考えている子どもは、背もたれについていた体を椅子から離し、身を乗り出してきます。「え、違うでしょ!」と起き上がりますよ。

 

ところがほとんどの場合、「いま〇〇くんが12=3と言ったけど、本当にこれで良いかな?」と問いかけてしまいます。ですからほとんどの子ども達は、自分から考えようとせず、「先生に任せておけば大丈夫」になるのです。読まなくても済む文化、考えなくてすむ教室を教師がつくってしまっているのです。」(傍線hanami)

 

 

 

今書いたように、子どもが間違えたときに先生が「ああ、なるほどね」と言える姿勢を授業者が身につけるだけで授業は変わる。「身につける」とは、心からそう思い、思ったことを続けるということだ。これが難しい。読んで「なるほど」と思うことは簡単だ。それを「習慣」にするのは「いい授業をしたい」という信念がないとだめである。

 

今の(文科省や多くの先生が考える)授業では、子どもが困らないように教師はどう支援すればよいか、そのことばかりに目が向いていると僕は思う。しかし田中先生は、子ども達を困らせたいのだ。「えっ!?」と言わせたいのだ。そこに「学び」があると言っているのだ。

 

でも、今こんな授業はなかなかできないのが現状だ。だって時間が足りないもの。そんなことをしていたらあっという間に1限が終わってしまう。だから今の僕にできることは、どの単元のどの時間で子どもを困らせるか計画を立てておくこと、子ども達に「この先生は何をしでかすか分からないぞ」という思いを常日頃から感じさせておくこと、の2つであると考えている。例えば子供が誤答を言っても「なるほど」と言って黒板に書く、とか先生が平気で聞き間違え(「〇〇さんはこう言ってたんだね」)をする、とかして何とか子ども達に「先生に対する緊張感」を持たせないといけないと僕は思っている。

 

・・・という風に写経をすると、頭が授業の方にいろいろと回り出すのが楽しい。だから写経はやめられない。