※以下の文はこの地球Aから少し時間軸のずれた地球A’で起こったキヨシローとチャボのお話です。この地球Aで起きたことと違うところが多々ありますが、ご容赦下さい。
「イエー、イエー、イエー、RCサクセションです。イエー。」
「俺らのなー、ゴキゲンなラブソングを聴いて盛り上がってってくれー。イエー。」
たくさんの客の前で、俺はそいつらをアジっていた。ギンギラギンの衣装を身に纏って。
ここは、久保講堂。客をアジりながら、俺の気持ちもどうしようもなく高ぶってきている。
「オッケー、カモン、リンコ・ワッショー!」
演奏が始まった。
さかのぼること、1年半前の晩夏。
「ねぇ、チャボ。明日時間あるかな?」
キヨシからこんな電話があったのは、もう寝ようかと妻のヒサコと話していたときのことであった。
「うん、大丈夫。もちろんあるよ。何?」
大丈夫も何もさっきまで一緒にいたじゃねーか。何でさっき言わなかったんだよ。というか毎日俺達の家に入り浸っているじゃん。察するにどうも公衆電話からかけているみたいだ。
「いやね、明日キミと一緒にRCの曲を書けないかと思って。」
「いいね。」
だから、そんなことだったらさっき言えばいいのに。いいんじゃないか。曲作ろうぜ。
「ヒットするやつ。そんな曲を作りたいんだ」
そうか。ヒットする曲か。それでヒサコの前では言いづらかったんだな。シャイなキヨシらしいっちゃらしいけど。でもついに来たか。俺はキヨシからその言葉が出るのを薄々予感していた。
というのも、あいつとあいつの彼女であるイシイさんが結婚するしないで話をしているというのをキヨシから聞いていたからだ。キヨシがある日イシイさんの家に行き、「娘さんと結婚させて下さい。」と挨拶したら、親父さんが「誰が売れない歌手なんかに娘をやれるか。」と一喝され、すごすごと帰ったそうだ。その時からキヨシは「絶対売れてやる。」と思ったらしい。そのためにどうすればいいか、随分考えていたようだ。「ステップ」は、そのための第1弾だったが正直言って結果は芳しくなかった。
「ヒットするやつか。いいじゃん、それ。」
「チャボもそう思う?」
「うん、『ステップ』、今イチだったからな。」
「そうなんだよね。今度はRCのメンバーとレコーディングもしたいし。」
「分かったよ。じゃあ明日、待ってるよ。」
電話を切ってから、「ステップ」のキヨシのボーカルは良かったんだけどね、と思い返す。この曲からキヨシの歌い方は明らかに変わった。(「スローバラード」「わかってもらえるさ」からその萌芽は見られたが)誤解を怖れずに言うとオーティス・レディングの歌い方が一部入っている。今までもオーティスの匂いは感じられたが、甘い響きもその声には含まれていた。しかし、「ステップ」では、特に「ダンスダンスダンスダンス・・・」と歌うところはもろオーティスだ。でもあいつが歌うとOtis Reddingっていう英語表記じゃなくて、カタカナのオーティス、なんだよなぁ。このニュアンスの違いは伝えにくい。何て言うんだろう、コピーしてるんじゃない、あいつの歌い方になっているんだよな。特に「ダ」「ガ」と発音するところは聴いていてぞくぞくする。あいつは、絶対家でこの歌い方を研究し練習していたはずだ。そして「ステップ」での歌い方は、あいつなりに「この歌い方で売れる。」という意志が伝わってきた。そんなことを考えているうちに気持ちがじわじわ高ぶってきた。RCでヒット曲か。いいな。
「キヨシ君からだったの?」
「うん、明日来るって。曲を作るんだ。」
俺は、『ヒットする』をとばして言った。
「わざわざ電話しなくても、毎日来てるのにね。明日もコカコーラ2本かな。」
にこりと笑いながらヒサコが立ち上がる。キヨシは、俺達の家に来るたびにコカコーラを2本持ってくる。そして、俺達で1本を分け合い、ヒサコは1本分もらえたのだ。「奥さん、いつもすみませんねぇ。」と言いながらキヨシはヒサコにコカコーラを渡していた。
「先に寝るね。おやすみなさい。」
「おう。おやすみ。」
何かを察したのか、彼女の方からリビングを離れた。
俺にはひとつアイディアがあった。それは、キヨシが「新生RCで売れたいんだ。」と言った時から何となく頭にあったものだった。売れるためにはどうすればいいか、二人でストーンズやフェイセスなどを聴いて研究していた時から考えていたことだ。それは、リフである。かっこいいリフがある曲をRCで演奏できるといいな、と俺は思っていた。そこで一人でもいろいろ聴いてみて、弾いてみた結果、最近出来たリフがあったのだ。
キヨシとは古い友達だ。何年前になるか、同じライブハウスに出演していたのをきっかけに少しずつ仲良くなっていった。楽屋で他のバンドの連中は、女の子や麻雀の話ばかりで、音楽の話はしていなかった。俺は、そういうのは嫌いだったし、好きな音楽のことを誰かと話し合いたかった。そういう友達はいなかった(相棒の加奈崎さんは、俺にとっては先輩だ)ので、いつもギターを持って部屋の隅にいたものだ。初めてRCのステージを見た時、俺は鳥肌が立った。忌野清志郎、あいつと話したいと痛烈に思った。しかし、あいつも俺と同じで、部屋の隅にいたもんだから、しかも近づくなオーラ出しまくりだったから超内気な俺としたらどうしても話かけづらかった。それでもある日のRCのライブで何の曲だったろう、「春が来たから」だったかな、その曲にいたく感動した俺は、どうしてもそれだけは清志郞に伝えたかった。
「『春が来たから』、すごかった。」思い切って俺は清志郞に話しかけた。
「そう?それは嬉しいな。キミはよく分かってるね。」清志郞はこう答えた。
そこから少しずつ話すようになった。楽屋の場所も同じ隅っこに座るようになった。オーティスの歌い方はこうで、サム・クックのあの曲はこういうことを言いたかったんじゃないか、真のオリジナルとは?などずっと自分達の好きな音楽の話をしていた。呼び方も、本名の「キヨシ」、あいつは俺のことを「チャボ」と呼び合うようになっていた。
そうこうするうちにお互いの家にも行き来するようになり、一緒に曲を作ったこともあった。あいつは女癖は悪かったのに、俺達の間では、何というか下ネタを話すことは一切なかった。あの当時男同士で下ネタを話すヤツはどうも信用できない、というのが俺の持論だった(今でもそうだ)。俺にとってはそのことがこんなに長く付き合うことになった理由の一つかもしれないなと思っていた。
次の日、俺は9時頃に起き、コーヒーを飲んでからヒサコに「ちょっと行ってくる。」と言っていつもの楽器店に行った。やっぱりヒット曲を作るにはピックも新しくしなきゃな、というのが俺の理屈だった。しかしはやる気持ちはどうにも抑えられない。何となくギターを見たり試し弾きしたりしながら昼過ぎまでいた。どうせキヨシが来るのは夕方だ。コカコーラを2本持って。
家に帰ると、たまげたことにキヨシがいた。もう来たのか。ヒサコと仲良くコカコーラを飲んでやがる。あれっ。今日は3本だ。1人1本かよ。まぁ、よほど気合いが入ってるってことだろう。
「車を題材にした歌にしたいんだ。今度はゴキゲンなロックナンバーを作ろうと思うんだ。」
キヨシはそう言ってノートを取り出した。そこには、「エンジンいかれちまった。」「つぶれちまった」「ポシャるまで」といった言葉が並んでいた。ん?何だか俺達が普段遣っている言葉遣いじゃないか。なるほど、今回はこういう言葉を遣うんだな。この言葉遣いで「売れる」「ゴキゲンなロックナンバー」を作るんだな。じゃあ俺もひとつ思い切って提案してみるか。
「キヨシ、こんなのどう?」D→Dsus4→D D→Dsus4→D A→G→D とリフを弾いてみた。
「イカしてる。」キヨシが「そのまま続けてくれよ。」と言ったので、DAGD DAGD と続けてみた。キヨシは、何やらぶつぶつとつぶやいて歌詞を探っている。
「何をしたらエンジンはいかれるんだ?」
「キミの車のサニーのことだろ?そりゃあ雨に弱いだろ?」
「さえてるねぇ、チャボ君。」
このままAメロのコードの歌詞を決めていった。
ちらっとキヨシのノートを覗いたときに「バッテリーはビンビンだぜ」というフレーズが飛び込んできた。
「バッテリーはビンビンだぜ」?
俺は、車と女をかけてセクシャルな意味も込めて作っていることには気づいていたので「キヨシ、ホントにいいの?この歌詞で。ヒット曲を作るんだろ?」と言ったら、
「何言ってるの、チャボ。俺がさだまさしや松山千春みたいな歌作ると思う?」
と切り返された。
なるほど、魂は売らずに自分らしい曲を作ってバンバン売ろうぜってことか。それにしても下ネタを言わない俺達の間ではギリギリの歌詞だな。
キヨシは「どっからこんなリフが出てきたの?」と聞いたので、種明かしをした。
「スタートミーアップをイメージしてモットのあの曲のイントロをシンプルにしていったんだ。」
「なるほど!さすがだねぇ。サビのコードは?」
「そこはまだ分かんない。」
しばらくああだこうだやってみて、俺が何気なくGAとコードカッティングすると、キヨシは、
「チャボ、それいいじゃん!それ使おうぜ。見せてもらうさ~の後にGA。その後、その後!」
キヨシは高ぶった表情で俺を見ている。俺は、ジャジャ、ジャジャ、ジャジャ、ジャジャ、ジャジャーン、ジャッ、ジャッと弾いてみた。D→A→G→A→D→GAだ。
すぐにキヨシは歌い出した。「お前に乗れないなんて」「発車できないなんて」とどこまでもセクシャルにキヨシは言葉を紡ぎ出す。完璧だ。その後も、車のどの部品を歌詞に使えるかいろいろ話し合った。「マフラー」「ワイパー」「ライト」等々。「ラジオ」が使えるとキヨシが言ったところで、一服することにした。
すると、ちょうどヒサコが仕事から帰ってきた。興奮している俺たちの表情を見て、クスクス笑った。
「今日は何だか二人とも気合いが入ってるわねえ。」
「今コーヒー入れてくるね。その後聴かせて。」
そう言うと2階へ上がっていった。
1回サビまで通してそうっと小さな声で歌ってみてから、ヒサコが来るのを待った。キヨシは、「次は本気で歌ってみる。」と言って歌詞が書いてある紙を見ながら小さく口ずさんでいた。
ヒサコがコーヒーを持って降りてきた。
「まだ、1番までなんだけど。」と言って二人で演奏した。聴いた後ヒサコは、パチパチと拍手をし、「キヨシ君もチャボも最高。」「キヨシ君、歌い方変えたのね。私は好きだな、その歌い方。それにチャボは最近ずっとこのリフを弾いていたんだよ。ついに完成したのね。」と言ってくれた。リフを考えてたことまでばらすんじゃないよ、と思ったがまぁいいか。
「じゃあ、完成を楽しみにしてるね。」と言い、また仕事に戻った。彼女は売れっ子の写真家のアシスタントなのだ。そして俺は、新聞紙を上手く紐でしばることができなくて1日でアルバイトをやめてしまったギタリストだ。
それにしても「本気で歌ってみる」と言って歌ったキヨシの歌い方。こっちがブッ飛んでしまった。俺が感じたことは二つある。まず、過剰なまでにはっきりとした発音で区切って歌うところ。今までもはっきりとした歌い方をするキヨシだったが今回はそれ以上だ。スタッカートかよ、って思うほどのところもある。この歌い方だと歌詞がはっきりと聞き取ることができる。もう一つはアクセントだ。「バッテリーは」の「バ」や「ブッ飛ばそうぜ」の「ブ」と「ぜ」などはオーティスになってアクセントをつけているのが気持ちいい。それに「どうしたんだ ヘイヘイベイビー」はキヨシだからこそ格好よく歌えているのだ。他のヤツだったらダサく聞こえると思う。
タイトルは、「雨あがりの夜空に」に決まった。歌詞にも出てくる言葉だが、いつまでも雨が降っていてもさえないしな、とか何とか言いながら決めた。でも何だかロックっぽくないっちゃあないよなぁ、と思っていたんだけれども、「雨あがりの空に輝く 雲の切れ間にちりばめたダイヤモンド」と歌うのを聴いて、あぁ、やっぱりキヨシだ、キヨシの書く歌詞は何も変わっちゃいないと思った。変えているのは見せ方だ。俺達が仲良くなり始めた当時の心を今も持っているキヨシは、ゴキゲンなロックンロールにのせてキヨシの全部を伝えようとしているんだ。最後はもう全面的にキヨシにまかせた。こんな歌詞だ。「雨あがりの夜空に吹く風が 早く来いよと俺たちを呼んでる」。まるで今の俺達のようじゃないか。キヨシ、お前は確かにさだまさしや松山千春のような気の利いた歌詞は書けない、書くつもりもないだろう。でもあいつらもこんな歌詞は書けないぞ。お前にしか書けない歌詞をRCのサウンドにのせて歌う忌野清志郎、想像しただけで興奮するぜ。
こうして「雨あがりの夜空に」は完成した。あとはRCでどんなサウンドを作っていくかだ。何度もスタジオに入り、キヨシの言うゴキゲンなロックナンバーが仕上がった。この頃には、キヨシはギターを持たずにマイクだけ持って歌うようになっていた。
レコーディングは無事終わった。歌詞を変更しろとぬかすヤツがいて揉めたりもしたが、とにもかくにも後はリリースを待つだけだ。
そして今日は、練習の日だ。スタジオに入ると、キヨシもいた。たまげたのはその髪型だ。ディップをベタベタ塗りつけて髪の毛が全部逆立っている。
「キヨシ、何だよ、その髪。」
「どう?いかすだろ?」
うーん・・・。そうかなぁ。俺の心の中の声を聞いたのか、キヨシは
「この髪型で客を威嚇するんだよ。」
そう、いう、見方もあるか・・・
またしても俺の心の中の声を聞いたのか、キヨシは
「チャボも髪型変えたら?」
ときたもんだ。パンクロックでもあれだけ髪を立てないぞ。でも見ているうちにこれが今の忌野清志郞的ヘアスタイルだと思えるようになるから不思議なもんだ。
この日はそれに加えてもう一つ驚いたことがあった。
キヨシがジャンプして踊りながら歌っているのである。つまりステージアクションを考えているのである。スタジオは狭いので動きは限られてしまうが、どうもミック・ジャガーを意識しているようだ。「ステップ」のオーティスのことを思い出した。やはりキヨシの動きは、英語表記のMick Jaggerではなくて、カタカナのミック・ジャガーなのだ。そしてそれは、やはり今の忌野清志郎的アクションになっているのを感じずにいられなかった。つまりは格好いいってことだ。
俺は、最近のキヨシの変化に言葉にならないものを感じていたが、今日はっきり言語化することができた。今あいつがやっていることは、マンガの実写版だ。きっとあいつは取り込みたいものを頭の中で(あるいは実際に紙に)、マンガにして描いているはずだ。一度マンガに置き換えて取り込み、それを現実の世界でやってみる、という作業をしているんじゃないだろうか。最初の頃、そのロックスターは、オーティスのように歌う。吹き出しには、「ガッタガッタ」とカタカナで書いてある。また、ロックスターの絵の横には、「キヨシロー」と書いてあるに違いない。そして、「キヨシロー」の姿は最近更新されて、ミックのように飛び跳ねるマンガになって、髪の毛はツンツンに立っているはずだ。いや、馬鹿にして言っているんじゃない。歌い方も髪型もステージアクションも全部マンガの中のロックスター、「キヨシロー」がやっていることなんだ。それをキヨシが実写化しているのだ。実写版で見ると最初は笑っちゃうかもしれない。だって見たことないんだもん。でも見れば見るほど格好よく見えてくる。思えばビートルズもストーンズも最初の頃は嘲笑されていたじゃないか。ホントに格好いいものは、最初は笑われる。そのあとに熱狂が来る。もしかしてこれは真理なんじゃないか?これは、これこそがキヨシが「売れる」ために考え出した「発明」なのだ。
俺は、キヨシの本気を感じた。やつはロックスター「キヨシロー」を作るために他から何かを「取り込む」決心をしたのだ。あれほどオリジナルに拘っていたキヨシが売れるために誰かの何かを取り込む、これは並大抵の気持ちではできないことだ。しかもその結果がマンガ実写版で、しかも格好いいというところがキヨシらしい。「取り込む」とどうしても批評性が垣間見えたり、ある種の照れが出てきたりするものだ。それをキヨシは軽々と跳び越えてしまっている。これはすごいことになりそうだぞ。何かが起ころうとしているのを俺は練習しながら感じざるを得なかった。それにしても、あの内気なキヨシがこうなるとはなぁ。
今日はこれか。なるほどな。俺はもうちょっとやそっとのことでは驚かなくなっている。
「ウー、イエー、今日はこんなに集まってくれてどうもありがとう、感謝します。イエー!」
「ドシドシ熱いラブソングをお贈りするぜ。」
とかいろいろなMCを織り交ぜながら歌ってる。
「イエー、のってるか~い。」
などの陳腐な煽りでは、勿論ない。これは、ロックスター「キヨシロー」が客にお届けする大真面目なマンガMCなのだ。例によってセリフにはカタカナが多い。
そして、「雨あがりの夜空に」を演奏するときに、ドラムのコーちゃんに
「しばらくべードラ4つ打ちしててくれる?」
と言うと、その間に、
「ウー、イエー、今日はサイゴまでこんなに盛り上がってくれてドーモありがとう、感謝します、イエー。じゃあサイゴに、ウー、雨あがりの夜空に」としゃべって、俺に目で合図をした。
俺はあわてて「雨あがりの夜空に」のイントロを弾き始めたが、心の中ではやっぱり今日も驚きの日だったな、と思いながら演奏していた。演奏が終わると、キヨシはもう1回やろうと言い出した。俺達に異存はなかった。RCは練習好きなバンドなのだ。そしてやればやるほど演奏がタイトになっていく。
コーちゃんの4つ打ちが始まり、キヨシがしゃべり出した。俺がタイミングを図っていると「雨上がりの夜空に、オッケー、チャボ!アー!」と入れてきた。さっきよりあわててイントロを弾き出したが、タイミングがどうも俺の中ではピタっとこなかったので、演奏をストップしてもらった。いつもほとんど最初から最後まで演奏するバンドだから申し訳ない気持ちで一杯だったが、「キヨシ、悪いけどもう1回やってくれる?」
と頼んだ。
今度は上手くいった。うん、この感じだ。いいぞ。キヨシも他のメンバーも納得の表情をしている。しかし、最後に「オッケー、チャボ!」か。あいつの反射神経はどんどん研ぎ澄まされていっている。いや、昔からコンサートでは客を罵倒してたから、これくらいどうってことないのかな。このMCも家で研究してきたに違いない。どうリズムにのせるか、アクセントはどこにつけるか夜中まで考え練習してきたのだ。例によって「ガッタガッタ感じる」など、カタカナに聞こえる部分が増えた日だった。
家に帰ると、ヒサコが帰っていて晩ご飯を作ってくれていた。
「おかえり、チャボ。練習どうだった?」
「うん、バッチリだった。」
「キヨシ君は?」
今日の出来事を話すとうんうんと聞いていたヒサコが、
「それでチャボはどうなの?」
と尋ねてきた。もしかすると・・・。
「えっ、どういうこと?」
と言うとヒサコは、
「最近のチャボはとても楽しそうで、生き生きしているように見える。」
「それは私も嬉しいんだけど、チャボはキヨシ君をどうサポートしていくつもりなの?」
やっぱりこの話題か。
「うん・・・。俺もそれは考えてるよ。」
しばらく間を置いて俺は言った。
「俺は、ストーンズで言えば、ミックを支え、時に煽るキースのような存在でいるべきなんじゃないかなって思う。でも俺がキース?冗談じゃないよ、とも思う。」
最近の一番の悩みを話せて良かった。
「何言ってるの、チャボ。なれるよ、キースに。なれるに決まってるじゃん。私が見込んだ男よ。あなたは。」
その晩は、具体的に俺がキースのようになるには、という話を二人で延々話し合った。
俺達は「屋根裏」でライブをするようになっていた。
演奏もMCも絶好調。キヨシのボーカルは、ますますオーティス化されてきている。俺も俺なりにキヨシをサポートするためにどうすればいいかを日々模索している。「雨あがりの夜空」のリフも随分洗練されてきたし、髪を短く切った。最近では、キメのポーズも時々入れるようになった。
そんなある日、楽屋に知り合いの化粧品を販売している女の子が来て、キヨシにしゃべりかけた。
「清志郞君、あたしにメイクさせてくれない?かっこよくなると思うんだけどなぁ。」
「化粧?デビッド・ボウイみたいな?」
「うん、まかせてよ。」
「じゃあ、ちょっと頼もうかな。」
「ちょっと待っててね。」
女の子は、大きなバッグから何やらいろいろな物を出している。
俺達は何が始まるんだ、という風情を醸し出しながら様子を見ていた。なるほど、ステージ映えするかもしれないな、と思っているとキヨシが、
「もっと濃くしてくれよ。それと、目をもっとつり上げて。チークっていうの?それも濃いめに。」
「いやもっと。」「えー、やり過ぎじゃない?」「いや、これくらいがちょうどいいんだよ。」
などと言っているうちに・・・。凶暴な顔つきをしたキヨシが現れた。
そう。またしても生まれたのだ。キヨシ流マンガメイクが。綺麗とか美しいとかじゃない、客を威嚇するメイクが髪型と合わさって強烈なキャラクターを生み出している。
これでライブをやるのか。すごいことになりそうだな、と思っていたら、キヨシが、
「次はチャボだよ。」
とぬかしやがる。何言ってんだよ。メイクなんてやってられっか。
「じゃあ、頼んだよ。」
と女の子に言うと自分はすたすたとトイレに向かった。俺達は顔を合わせ、どうする?とメンバーと相談したがやるしかないだろう、とあきらめて、女の子に身を委ねることにした。
ライブでの清志郞の動きやMCに大分慣れた俺でも、今日はぶったまげた。
「スローバラード」を演奏する前にも、キヨシが客を煽るMCをするんだが、今日はちょっと様子が違った。
例の調子でイントロに入る前に喋り出したキヨシは続けて、
「みんなに聞きたいことがあるんだ。」と言い出した。
そして、「愛し合ってるかい?」と客に聞いたのだ。
今まではキヨシの方が客を煽るばかりのMCだったが、初めて客に問いかける言葉を発したのだ。
しかもその言葉が「愛し合ってるかい?」だと?
客は、笑うヤツ、喜んで「イエー」と叫んでいるヤツ、苦笑しているヤツなどさまざまな反応だ。それでも清志郞は執拗に繰り返す。最後には「愛し合ってるかい?」「イエー」というやりとりが成立した。見事な力技だ。そして無事「スローバラード」が始まった。
コンサートの最後は、「愛してまーす。」というキヨシの言葉で終わった。
ほんとにいつもいつもびっくり箱な男だぜ。キヨシは。
ライブが終わって、落ち着いた頃俺はキヨシに聞いた。
「『スローバラード』の前に言ってた『愛し合ってるかい?』だけど。」
「うん。今日初めて言ったな。変だった?」
「うーん、正直びっくりした。キヨシが愛っていう言葉を遣うのは。」
「でもチャボ、オーティスも言ってるじゃん。」
「もしかしてあれか?モンタレーの時のMCか?」
「うん。あれそのまんまやっただけなんだぜ。」
なるほど。オーティスか。確かに言ってた。いやでも待て。もしかしてここは大事なところなんじゃないか?俺達が「愛し合ってるかい?」という言葉を遣うのはOKなのか。そう思いながら帰路についた。
その後のライブでもキヨシは「愛し合ってるかい?」を連呼した。それを聞いているうちに気づいたことがある。俺は「愛」だの「好き」だのは、それこそニューミュージックのやつらが遣う言葉だとどこかで思ってた。どこか女々しい言葉だと思っていた。だがキヨシがこの言葉を発するときには女々しくは聞こえない。堂々としている。愛って言って何が悪い?っていう風に俺には聞こえるようになっていった。髪型やメイクと違い、この「愛し合ってるかい?」が、俺の心の中にストンと落ちるのに一番時間のかかったことだった。そしてこの言葉は、ライブの定番、一番の盛り上がりの場面となっていった。
「屋根裏」4日連続ライブを終えて、今日は久保講堂ライブだ。キヨシは落ち着いたものである。俺はそわそわしながら、最初何て言うかを心の中で確かめていた。
開演のブザーが鳴った。キヨシが「キヨシロー」になった。
「チャボ、客のヤツらをブッ飛ばしてきてくれよ。」
分かったよキヨシ。俺もやるよ。RCのみんなと、クボコーのヤツらをブッ飛ばしてやろうぜ。(了)