今日は友部正人について書きたい。1972年にアルバム「大阪へやって来た」でデビューしてから何年経ってんだ?その間数えきれないほどの作品を発表し続けて、今年は5月に75歳を迎えた。ある時はアコギ1本持って全国津々浦々を回り、またある時はバンド編成でライヴをする。色々な人(佐野元春とか宮沢和史とか)が彼に影響を受けている。
何故今日は友部正人なのかというと、先日2013年に発表されたアルバム「ぼくの田舎」という作品を聴いたからだ。昨年は、2020年に発表したアルバム「あの橋を渡る」を聴いた。相変わらずの友部節だなぁと思って聴いていたのだけれど、一体どれくらいの人が彼のように50年以上もテンションを保ち続けたまま歌うことができるのだろう。チャボとか?ミック・ジャガーとか?とにかく凄い人だ。

実は今年に入って友部正人が金沢でライヴをするということが分かった。一瞬行こうかなと迷った。もしその時に「ぼくの田舎」を聴いていたら迷わずに行っていただろう。全く勿体ないことをしたものである。彼のライヴのスケジュールを調べてみたが、今の僕に行けそうな場所はなかった。今度はチャンスを逃さないように、調べておきたい。
「ぼくの田舎」に話を戻そう。
友部は、1990年代のある頃からニューヨークにアパートを借り、東京との二拠点生活を送っていた。しかし、2016年にアパートを引き払い、日本に定住する(仙台だと思う)。「ぼくの田舎」は先ほど書いたように2013年発表の作品だから、まだニューヨークに行ったり来たりだったはずである。
しかし、行ったり来たりしている間の2011年に東日本大震災が起きる。このアルバムでも2曲地震のことについて歌っている。
「ぼくの田舎」(1曲目)
“日本の去年は大変だった 地震のことは知ってるだろう”
“ショックでそれまでのことなんてなくなったって”
“そして1年がたちました”
“それは1年ではあるけれど それは1年ではあるけれど”
“それはまだ過去とは呼べない1年で”
“まだ未来のない1年で”
「日本に地震があったのに」(4曲目)
“日本は地震があったのに ぼくは100パーセントここにいる”
“日本には息子がいるけれど ぼくは100パーセントここにいる”
このようにまずは地震について彼が身を切られる思いであったことが歌われる。それにしても引用した言葉だけを見ているだけで胸に突き刺さるし、その言葉を彼の声で歌われると僕の心に届きまくる。
僕の一番のお気に入りは、6曲目の「ランブリン・ジャック」だ。この人は、正式にはランブリン・ジャック・エリオットと言い、アメリカの伝説的なフォーク歌手である。友部が若い頃にジャックが来日した際に一緒にライヴをして、更にはアメリカにも同行したはずである。僕はジャックの歌を聴いたことがないし、風貌も知らない。しかし、ジャックについて歌ったこの歌がいいんだよな。
“ランブリン ランブリン ランブリン・ジャック”
“狼たちが呼んでいる 狼たちが呼んでいる”
“ウォー ウォー ウォー ウォー”
ここまでは、普通に歌っている。しかし歌はこの一節だけである。
“ジャックの暴れ馬みたいな歌い方が好きだ”
“人にはなつかないけどやさしい馬”
“メロディの柵なんて簡単に飛び越えてしまう”
“五線譜は雑草に覆われている”
ここは、友部の語りである。これが1題目だとしたらこれを7題目まで繰り広げる。ジャックを知らない僕でも友部の語りが「そうか、ジャックってそんな男なのか」と想像力を擽られるのだ。
友部正人は、ポエトリーリーディングの達人でもある。それを楽曲に入れると更に歌の爆発力がアップする。それから人について歌った曲も秀逸である(「長井さん」「ガーディナーさん」とか)。その2つが合体したのだからそれはもう素晴らしい曲であるのは間違いない。
よかったら聴いてみてくださいよ。と思ったが、YouTubeにはなかった。残念である。せっかくだから「ガーディナーさん」を聴いてみてくださいよ。
きっと75歳になった今でも友部正人は、聴き手をハッとさせる言葉をあの声で歌っているのだろう。もし僕が彼のライヴを見ることができたらな、それが人生最後のライヴになるような気がする。
それでは。