hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

過去Ⅰ

「じゃあチアイ、質問があったら、口をはさんでもいいからね。喋ってみるよ。」

「まず、教員になる前の話から始めるね。俺は、ロックミュージックと本とプロレス・格闘技観戦から物の考え方を学んできた。具体的に言うと、忌野清志郎の歌詞や松村雄策のロック評論、前田日明の戦い方を見て、自分というものを形成していったんだ。彼らは何かに立ち向かっていた。忌野清志郎はレコード会社に、松村雄策は他のロック評論に、前田日明アントニオ猪木や世間に。そういう姿勢にものすごく影響を受けたんだ。よく趣味は?って聞かれることがあるけど、今言ったものは趣味じゃないんだ。もっともっとかけがえのないものだ。聞かれた時はしょうがないので趣味は読書ですって答えてたけどね。大学時代はロックバンドにも参加していたし、プロレスや格闘技について話す友達もいた。ところが、俺が留年したということもあって、今まで話をしていた人達が大学を卒業して自分の周りからいなくなったんだ。すごい喪失感だったよ。その1年は。そして大学を卒業してから、小学校の講師になったんだ。教員採用試験には落ちていたからね。ここで初めて社会に出るわけだ。つまりは組織の一員になるってことだ。今言ったように主にロックミュージックを通して物の考え方を培ってきた俺が学校という社会に飛び込んでいった。そうするとこれはおかしい!と感じることをたくさん目の当たりにするようになった。例えば、他の先生の授業を見ると、子どもが発言して、その後他の子ども達が『いいです。』とか『分かりました。』って言っているわけだ。まあ先生が言わせているわけだけど。俺は『何がいいですなんだ、分かりましたなんだ。いいですとか分かりましたって言って、それですませているだけじゃないか。それを言っている子ども達は何も考えてないんじゃないか。』って思った。ところが他の先生は、『いいです。』や『分かりました。』に違和感を抱かないんだな。『いいです。』や『分かりました。』と子ども達に言わせることは当時の教育界では当たり前のことでおかしくもなんともなかったんだな。そして最近のはやりは、相槌を打つことだ。友だちが発言すると『はぁ~』とか『うんうん』って言ってるわけ。これもさっきと同じで、それを言っていればいいやって思っている子、つまり考えていない子はたくさんいると思うよ。」

「つまり、今も昔も授業は変わっていないってこと?」

「うん。いろいろな改革はされているけど、授業のやり方でいうと旧態依然としているところはたくさんあると思う。こういう時、俺の中のジョン・レノンや忌野清志郎達が『これはおかしい。』って囁くんだ。」

「学校にはそんなことがいっぱいあった。もう一つ例を挙げると、学級会でする多数決だ。ろくに話し合いもしないで、すぐ多数決を採る。結局声の大きい子の望んだものに決まるんだ。もしその子の意に沿わないものに決まったら、必ずごねてもう1回多数決をすることも多々あったよ。だから俺は教諭になって2年目の時だったかな、『多数決は嫌いだ』って子どもに言ったことがある。話し合いも十分できてないのにすぐ多数決をする、そんなのは嫌いだなって言った。後日譚だけど、家庭訪問をした際に保護者からそのことを指摘され、『私も先生の考えに賛成です。』って言われたよ。この多数決のやり方は、先生達の中には『なんだかなあ。』って思っていた人もいたけれど、何の問題意識も持たない先生もたくさんいたよ。もし俺が前田日明松村雄策だったら、こんな決め方をそのままにしておくか?って考えちゃうんだ。」

「あなたは最初から他の先生達とは感じ方が違っていたのね。他の先生と違う感覚で仕事をしていたのね。」

「そう、なるかな。」

「あとは、組合の話かな。当時この地域は、教職員組合、いわゆる日教組の力が強かった。俺は組合のやり方が嫌いだった。例えば4月1日、今年度最初の職員会議で主任制に反対して会議が膠着し、その場の雰囲気が悪くなったり、君が代に反対して式でのピアノ演奏を誰にするかで揉めたりするんだ。組合に入っている先生曰く、「言っていかなきゃどんどん私達の権利が奪い取られる。」と言うんだ。言うべきことは言わなければいけないとは俺も思うよ。でも何だろう、出来レースみたいに感じていたんだ。結論は分かっていることに対してただ反対するのは建設的ではないと俺は思う。そして組合のやり方が嫌いだと言ったけど胡散臭いもの、つまり欺瞞も感じていた。だって、教諭の時あんなに主任制や君が代のことで管理職に噛みついていた人が、年をとってから管理職になるんだよ。信頼している先輩に、この疑問をぶつけてみても、『仕事ができる人が組合でも重要なポストにつく。そしてそんな人が管理職にならないと、組合に対応出来ないだろう?』って言われたよ。正直言うとがっかりしたよ。これが大人の論理か、って思った。そしてもしそれが大人ってものなら俺は大人にはならなくていいって決心した。例え職場で一人ぼっちになったとしてもね。実際俺は一人だった。9割以上の人が組合員だったからね。そんな時、オルグってものがあったんだ。ある日、同僚の先輩に呼ばれて他校から来た組合の偉い人に話をされるんだ。要は組合に加入しなさいってことなんだけど。その人は『今の年休や産前産後休暇は、僕達の先輩達が戦って勝ち取ってきたものである。』『その権利を今僕達は使わせてもらっている』と言い、『僕達の仲間にならないか。』って言ったんだ。組合員は同じ組合員のことを『仲間』って言うんだ。組合に入っていない人は、『未組』だ。『未組』だよ。馬鹿にした言い方じゃないか。だから俺は、『今の状態では、僕はみなさんの仲間ではないってことですか?』って言ってやったんだ。その人が困るって分かっていて言ったんだけどね。やはりその人は上手く答えられなかった。」

「でも俺は、組合の欺瞞について言語化することができなかった。だから、よく本屋に行って関係ありそうな本を探したよ。それで、村上龍や、井沢元彦橋爪大三郎と出会った。今ではスマホで『日教組 欺瞞』で検索すると山ほど出てくるけどね。教職員組合と一般の会社の労働組合との違いは、思想性があるところだ。会社の労組は、自分達の待遇改善のために闘う。それは別にいいんだ。俺も勧誘されたら入るかもしれない。でも日教組は待遇改善だけじゃない。俺はそこにひっかかっていたんだ。教職員組合にはスローガンがあって、『教え子を再び戦場に送るな。青年よ再び銃を取るな』っていうものだった。つまり反戦思想だ。だから6年の歴史の勉強で、組合活動に熱心な先生は、太平洋戦争のところにやたらと時間をかけて、戦争はいけないってことを子ども達に刷り込んでいた。でも俺は、村上龍を読んで学んだんだ。彼は『愛と幻想のファシズム』の中で主人公に『過去の政治形態は歴史です。歴史にモラルはないでしょう。いい歴史とか悪い歴史とかはない。』って言わせていた。ところが、組合はそう考えない。モラリスティックに歴史を見て、太平洋戦争のことを『あの戦争』って憎しみを込めて言うんだ。あの戦争は間違いだって言うんだ。でも、戦争はいけないことだと言っておきながら、現実はアメリカに守られているのがこの国の現状だ。これもさっきの管理職の話と同じでシンプルな話じゃない?自分の家族が襲われたらどうするんだ?武器を取って闘わないのか?って思う。それから井沢元彦が示唆したように、本来なら『敗戦』と言うべき事態を『終戦』と言ってごまかすところにも欺瞞を感じるよ。。これは、組合の人に限ったことではないけどね。だから、俺はオルグの時に、こう言うべきだったんだ。『日教組には日教組の思想ってものがありますよね。』『思想にいい悪いはあるんですか?』『あるとしたら、あなた達の思想はいい思想なんですか?』ってね。どうも組合の話になるとムキになる傾向にあるな。俺は。でもこれって、他のことにも当てはまることだと思うんだ。日本人の考え方の癖っていうか。」

「俺は、左翼と右翼の間にとてもとても細い道があってその道をバランスをとりながら歩いて行きたい。そんなイメージを持って仕事をしていたんだ。」

「あとは、橋爪大三郎だけど、『民主主義は最高の政治制度である』っていう本を読んで、多数決の在り方を学んだ。みんなよく『少数意見を大事にしましょう。』って言うけど、言うだけで、後はそのまま話題にものぼらないことがほとんどだ。そうじゃなくて、少数意見を大事にするべきだっていう事は、多数決で決めたことが間違いだという可能性もあるってことなんだ。間違いだと気づいたときに、話し合いの中で出た少数意見を採り上げるのも一つの方法だっていう意味なんだ。だから、話し合いを記録する書記が必要になってくる。どんな話し合いがなされたかを見直すためにね。」

「授業の上でも仕事に対する考え方の上でもあなたは孤立していたのね。そして周りの先生達に欺瞞を感じながら仕事をしていた。当時のあなたはどんな授業をしていたの?」

「まだまだ力不足でろくな授業はしてこなかったよ。研究授業の後の授業整理会では、いつも他の先生にボコボコに批判されていたな。教材研究が甘いって。ただ、赴任2校目の学校研究の教科は自由だったんで、どんな授業にするかいろいろ考えることができたよ。そういう意味ではやりやすかったし、自分の居場所のようなものも少し作れたかな。」

「その学校では、今まで音楽の授業を持ったこともないのに担当することになって困ったけれど、逆に俺にしかできない音楽の研究授業をやろうと思ったんだ。それがラップだった。ドリフターズの『ひげダンス』、これを使えないかなってずっと考えてたんだけど、あぁ、ラップにすればいいんだってひらめいたんだ。それで子ども達のグループを作って、それぞれテーマを決めて『生麦生米生玉子』のところで子ども達が思い思いのことを順番に叫ぶ。その発表会をしたんだ。楽しかったな。子ども達の心をほぐす授業だったと思っているよ。『これからの教師には創造性が必要だと思った。』と感想に書いてくれた先生もいて嬉しかったな。」

「もう一つ思い出すのは、アニメーションだな。物を少しずつ動かしてデジカメで撮ったものをパソコンでつなげると、動いているように見える。これを総合的な学習に中に位置づけてやったんだ。準備が大変だったけど、これもグループで活動したんだ。みんな助け合って活動することができたよ。ラップもアニメーションもグループ活動を通して共感的な人間関係作りができることをねらっていたんだ。この思いは今でも変わらないよ。」

「そして何と言っても忘れられないことは、『そうじの歌』『給食の歌』を同僚と作ったことだな。ある日のふとした会話で、そうじの歌を作ってみるかってことになって、俺は主にプロデューサー、同僚はギターや作詞作曲を担当したんだ。『♪おそうじを始めよう~』っていう風に休み時間が終わったら放送していたよ。給食の歌を作った時は、他の先生や子ども達も巻き込んでいろいろな要素を盛り込みつつ素敵な曲に仕上がった。聴く?」

「ええ、聴かせて。」

チアイはそう言った。懐かしそうな目をしていたのが不思議だった。2曲聴き終えたチアイは、

「こんなことができる学校って素敵ね。今じゃ考えられないんじゃない?」

と言ったので、

「確かに。それに一人じゃできなかったからね。共同作業を思いっきり楽しむことができたよ。でも、他の先生からは、俺は優しい雰囲気で授業をするけど、ちょっと変わった先生として認識されていたと思う。国語や算数の授業についての勉強はあまりしなかったから、授業力があったとは言えないな。」

と答えた。

「何か自己顕示欲丸出しだな。話してみて分かったよ。俺は、俺の考え方や授業を他の人に認めて欲しかったんだな。」

「確かにあなたの言う通り、あなたは周りから認めてもらいたかったのね。それからどうなったの?もっとあなたの話を聞かせて。」

「ちょっと一服させてくれない?自分がどんなに嫌な感じの人間だったかに打ちのめされたよ。そう言えば、同じように自己顕示欲丸出しの小説みたいなものを最近書いたんだ。投稿したけど採用はされなかった。それを読んでいてくれるかい?」

「あなたのことなら何でも興味があるから、読ませて。」

「これだよ。」と言って、私はプリントアウトしてあった原稿を渡した。