チアイとの会話Ⅰ

「お疲れ様。」

 チアイが私に向かって話しかけた。私はテーブルに肘をついて椅子に座り、チアイはテーブルの上に立った。ちょうど目と目が合う高さだ。横にちょこんと靴がおいてある。靴の下にはちゃんとタオルが敷かれている。

「うん、疲れたよ。けど楽しかった。ありがとう。」

「あの6人みんな、この45分で随分成長したと思うわ。」

「そう?だったらいいけど。」

「例えばタケルさん。最初は号令もやりたくなさそうだったじゃない?でも最後はあなたが指示しなくても自分で号令をやったわ。あなたの授業に満足したからだと思うわ。」

「マナとレンとシンヤも最初より大分心がほぐれてきた感じがしたな。特にレンは鋭い考えを持っているのになかなか言えないんじゃないかと思っていたがその通りだったな。でも発言できた。あれは大きかったな。あの発言がなかったら、この授業は深まらなかったから。」

ハジメさんのみんなへの声かけも良かった。私も一緒に授業受けたくなったわ。いつもあんなことしてるの?」

「4月の最初に子ども達に会う日は、『学級開き』、最初の授業は『授業開き』って位置づけているんだ。この二日で担任の価値観を伝え、子ども達と確認し合うんだ。『授業開き』の方は最近ああいう形でしているかな。こういう授業を目指していこう、っていうことを子ども達と共有するために。」

「ちなみに『学級開き』ってどんなことをするの?」

「長くなるけどいい?」

「もちろん。」

「これは最近俺が思いついて取り組んでみたんだけど4年生なら『4つの関門』という名前の学習をすることから『学級開き』が始まるんだ。」

「4つの関門。」

「うん。まず、4年生の下足箱に『進級おめでとうございます。今から4つの関門を突破してもらいます。第1の関門は、ズックをきれいにそろえて下足箱に入れる、です。』って書いた紙を貼っておくんだ。」

「なるほど。それであと3つ関門があるわけだ。」

「そう。教室に入ると、黒板に第2の関門が書いてあるわけ。『自分の机と椅子を探しましょう。』、第3の関門は『明日から勉強できるように教室を整えましょう。』、第4の関門は『先生の好きな食べ物が書いてある紙を探して2つ覚えましょう。』。これを始業式の前にやって、式が終わって初めて俺が教室へ行く。そしてこの活動を通して何を学んで欲しかったのかを俺が言うんだ。」

「何て言うの?」

「一つ目は、『自分(達)で考えて行動できる人になってほしい』、二つ目は『協力するってどういうことなのかを考えてほしい。』三つ目は『今までの経験を生かすことが大事だ。』って言うんだ。そして子ども達に4つの関門でどんなことができたかを聞いて、少しでも出来たところがあったら褒める。」

「そういうやり方だと子ども達も楽しく学べるわね。」

「うん。まだ続くよ。始業式の日は早く帰らなきゃいけないから、俺の話が済んだら『帰る用意をしましょう。』と指示を出す。そしたら必ず『先生、連絡帳は書かないんですか。』と聞いてくる子がいる。」

「そうね。私、そのタイプかも。」

「そしたら、『明日はどんな勉強をすればいいと思いますか。』って聞くんだ。そうするとこれも必ず『体育!』って言う子がいる。」

「分かる。」

「そしたら『みんなはどうなの?明日授業の一日目に体育をするの?』って聞くんだ。『さっきも言ったよね。自分達で考えられる人になって欲しいって。考えてみて』っていうと大抵は、学活と国語ぐらいに収まるかな。とにかくこの先生はこういう考え方をする先生だってことを伝えるんだ。それで最後に簡単なエンカウンター的活動をして終えると尚更いいと思う。もう一つ言うのを忘れてた。子どもの中に『宿題は何ですか。』って聞く子も必ずいる。」

「どんな宿題を出すの?」

「4年生だったらだけど、なぞなぞをだすよ。『1年生から3年生にはついているけど4年生になったらとれるものはなんだ?』って。」

「うーん。分からないなぁ。何?」

「『つ』だよ。年齢の数え方で言うと一年生はななつ、二年生はやっつ、三年生はここのつ、四年生になったらとお、って数えるだろ?今までついていた『つ』がとれるんだ。これを高学年になるんだよっていう話と関連付けて次の日に話すんだ。」

「何か一日目ってとても大事な日みたいね。そして二日目は『授業開き』なのね。さっきの授業開きで指を組んだりボールを投げたりしたのもあなたのアイディアなの?」

「いや、違うよ。ボールのやりとりを通してどんな授業を目指すのかを考えさせている先生がいるって聞いたんだ。それを自分なりに考えてみてああいう形になった。指を組むのは、大学の准教授の講演会で聞いたことだよ。」

「そしてあなたにとって授業とは何もないところから『創る』ものなのね。そしてその基礎となるのが、『聞く力』。」

「そう。でもその前に『教える』っていう言葉についてどういうスタンスを取っているか話したいな。俺は『教える』っていう言葉にすごく抵抗があるんだ。教師の方から与える印象が強くて嫌なんだ。言い方を変えると『教育』って言う言葉は、『教え、育てる』と書くだろ?教えることと育てることが並列になっている。でも今の多くの先生達は『教える』の方にウエイトを置きがちだと感じるんだ。もちろん教えることは大事だよ。『直角』『割合』などの新しく出てくる言葉とか困った時にどうすればいいのかとか。でも教えることに重きを置きすぎると、子ども達は先生が最後には答えを教えてくれるから大丈夫だっていう風になって、真剣に考えなくなると思うんだ。いつも受け身で授業を受ける子になると思うんだ。今日の授業だったらマナだ。普段のマナは、自分から何かを言うことなんて考えもしないと思うよ。それで俺は、子ども達の主体性を引き出すのが教師の大事な役割だと思っている。マナのような子も含めてね。だから『育てる』を大切にするんだったら、授業を子ども達と創ること、そのために聞く力をつけないといけないと思っている。『教える』は、『教師が』教える、『育てる』は、『児童が』自分達で学習内容をつかめるように仕向けるっていう風に主語が変わるんじゃないかな。『教師』っていう言い方もほんとは抵抗があるんだけどね。『師』とつくからには、子どもの人生に影響を与えるのが『教師』だ。俺は、自分で『教師』とはなかなか言えないな。」

「あなたの仕事は子どもを教え育てることなのね。」

「だから子ども達の間に何の関係もない状態で、授業なんてできないな、俺には。すごい先生はよく、地方へ行って初めて会う子ども達と授業するけど、あんな事はできない。そういう先生はコミュニケーション能力が高いから、あっという間に子どもとの関係性を築けるんだろうな。俺はとにかく子ども同士が関わっていく授業をしたいだけだよ。さっきも言ったけど、そのためには、人の話を聞けないといけない。俺は、聞くことについては、性悪説の立場をとってるよ。だって、子どもも大人も聞いているふりをすることが上手いでしょ?チアイにも身に覚えがあると思うけど。だから授業でも「今○○さん何て言った?」って『聞き』を入れるんだ。これにもレベルがあって、「今○○さんは、リンゴが何個って言った?」という比較的答えやすいものから、「今○○さんが言ったことを再現してみて。」というレベルの高いものまでいろいろあるよ。それで、友達の発言を聞いている子どもの様子を見ながら瞬時に判断して、誰にどのレベルの「聞き」をするか決めるんだ。そうするうちに子ども達は「この先生は何を聞いてくるか分からないぞ。」っていう風に聞く態度が変わってくるんだ。それがまず「聞くこと」について俺が言いたいことだよ。それでね、若い時、教育委員会の指導主事が、『聞くことは反応すること』って言っていたんだ。なるほどって思ったけど、具体的にどんなことなのか漠然としていた。だから、ずっと考え続けて、さっきみたいにレベル1からレベル4まであるんじゃないかと考えたんだ。でも子ども達にあれを要求する以上、自分が一番いい聞き手にならなければいけない。だから一生懸命に子どもの発言やつぶやきを聞いてるよ。」

「ええ。それは良く伝わってきたわ。」

「だから、授業開きで聞く力を高めることを確認し合った瞬間から、『聞く力』を鍛え始めるんだ。時に授業を止めてでも、全員が話す子の方を向くまで待つんだ。俺が話す子の後ろに立って、全員がこちらに注目しているか確かめるんだ。担任だったら単純に1時間に3回それをすると、1日に約10回、1週間で50回、ゴールデンウィークまでには150回『今誰が喋ろうとしてるの?』と確認することになるだろ?力ってそうやって継続して鍛えていくものだと俺は思っている。1時間に3回っていうのは、導入の時、集団解決の時、振り返りの時、なんかが考えられるよ。そうしていくと、6月下旬頃には、子ども達で授業を創っていくことができると思うんだ。」

「ちなみに聞くこと名人レベル4は何なの?」

「『話を聞いて自分の考えを再構成できる。』だよ。自分の考えが深まるっていうことだよ。例えば簡単な例で言うと、小数のたし算。0.2+0.3の答えはみんな直感的に0.5だって言うんだ。ほとんどの子がね。でもなぜ0.5になるかは言えない。ほとんどの子が、0を取って2+3をしてあとで0をつけるって言うんだ。それはやり方であって考え方じゃない。ほんとは、0.1をもとにすると、0.1が(2+3)こあるから0.1が5こで0.5になる。このことを授業を通して、最初の自分の考えはこういうことだったのかって友達の話を聞いて分かること。それが『自分の考えを再構成する。』だと思っている。でも、レベル3までいけば、授業は『動き出す』と思っているんだ。先生がしゃべらなくてもどんどん子ども達で授業を進めていけるようになる。俺はそんな授業をやりたいと思っているんだ。」

「あなたが授業で気をつけていることって何?」

「まず声だな。声質というかトーンというか。それと間。俺は、声と間で子ども達を制圧しているんだ。」

「制圧。」

「うん。制圧って言うと、何だか威圧的に聞こえるけれど、この人の言うことは聞かなければいけないと思わせる人間力のことだよ。それで圧倒的な存在感を見せつけるんだ。授業を見ていて分かっただろ?落ち着いた口調だけど、この人は懐に刀を忍ばせて持っていて、必要ならいつでも鞘から抜くって雰囲気を出していたのを。」

「うん。分かった。確かに声と間って大事よね。」

「次は、子どもの発言を、自分の都合のいいように言い換えないこと。それは、教師の思惑通りに授業を進めるってことになるからね。子どものどんな発言にも対応出来る教師になりたいもんだと常日頃から思っているよ。」

「あとは、『なので』と『基本、~』っていう言い方をしないこと。別に正しい日本語を使うってわけじゃないけど、この2つはどうも好きになれないんだ。」

「確かに学校現場でも使っているわね。」

「うん。管理職もばんばん使っているよ。ところで、チアイ、君はなぜ、俺の家に来たの?そもそもそこからわけが分かんないんだけど。」

 しばらく私を見てチアイはこう言った。

「あなたはとても疲れている。そして悲しんでいる。だから心にぽっかり大きな穴が空いている。」

「何だよ、突然。たとえそうだとしても毎日何とか仕事をしているよ。」

「指令が下ったの。あなたを何とかしてこいって。」

「誰から。」

「神様よ。先生専門の神様。とても心配してたわよ。」

「そりゃどうも。でもそれと授業と何か関係があるの?」

「私は、たくさんの先生達の授業を見てきたけれど、あなたはとても授業にこだわっている人だわ。何て言うのかなぁ、いい授業をしたいと思い続けている人だわ。今の話を聞いてもよく分かった。そのあなたから、授業を取ったら何も残らないじゃない。」

「そんなことない。音楽を聴いたり読書をしたりするのは好きだよ。」

「そういうんじゃなくて。生きていく上でなくてはならないもの。あなたは人を好きになりたいっていう気持ちをずっと持ってる。でも今好きな人はいる?いないでしょ?それは私の力ではどうにもできない。今のあなたを支えているのは授業をすることよ。それは私にも協力できることよ。でもさっきも言ったようにあなたはとても疲れているし、悲しんでいる。このままでいいの?いいと思ってないから、さっきのように帰ってきた時に『ふぅ。』ってため息をつくのよ。そして浴びるほどお酒を飲む。」

 私は黙って聞いていた。その通りだからだ。

「それで?あと話すことはある?」

「今度はあなたの番よ。あなたのことを話して。あなたの授業はとても素敵だった。どうしてああいう授業ができるようになったかを話して。あなたの疲れや悲しみがどこから来たのか分かるかもしれない。」

「俺の今までの教員生活を話せっていうの?」

「そう。私はとても興味があるけどな。あなたのこれまでの教員人生。」

「ふぅ。」

 今日2回目のため息だ。でも、うん、今までのことを振り返る事なんてなかったな。喋ってみるか。何だかチアイのペースにはまっているような気もするけど。