400ーチアイとの会話Ⅰ―②

「それにしても何か一日目ってとても大事な日みたいね。そして二日目は『授業開き』なのね。ねぇ、さっきの授業開きで指を組んだりボールを投げたりしたのもあなたのアイディアなの?」


「いや、違うよ。ボールのやりとりを通してどんな授業を目指すのかを子どもに考えさせている先生がいるって聞いたんだ。それを自分なりに考えてみてああいう形になったんだ。指を組むのは、大学の准教授の講演会で聞いた。」
「そしてあなたにとって授業とは何もないところから『創る』ものなのね。その基礎となるのが、『聞く力』。」


「そう。でもその前に『教える』っていう言葉について俺がどういうスタンスを取っているか話したいな。俺は『教える』っていう言葉にすごく抵抗があるんだ。大人の方から与える印象が強くて嫌なんだ。言い方を変えると『教育』って言う言葉は、『教え、育てる』と書くだろ?教えることと育てることが並列になっている。でも今の多くの先生達は『教える』の方にウエイトを置きがちだと感じるんだ。もちろん教えることは大事だよ。『直角』『割合』などの新しく出てくる言葉とか、困った時にどうすればいいのかとか。でも教えることに重きを置きすぎると、子ども達は先生が最後には答えを教えてくれるから大丈夫だっていう風になって、真剣に考えなくなると思うんだ。いつも受け身で授業を受ける子になると思うんだ。今日の授業だったらマナだ。普段のマナは、自分から何かを言うことなんて考えもしないと思うよ。

俺は、子ども達の主体性を引き出すことが俺達の仕事の大事な役割だと思っている。つまり『育てる』の方だ。マナのような子も含めてね。だから『育てる』を大切にするんだったら、授業を子ども達と創ること、そのために聞く力をつけないといけないと思っている。『教える』は、『先生が』教える、『育てる』は、『児童が』自分達で学習内容をつかめるように仕向けるっていう風に主語が変わるんじゃないかな。でもこれからは間違いなくオンライン授業が導入されるだろう。そしてオンライン授業は『教える』方に比重が置かれることになるだろう。たとえ双方向でするとしてもどうやって子ども同士をつなげるかは大きな課題になるはずだ。」


「あなたにとって教え育てるのが教師、なのね。」

「うーん…。また話をややこしくしちゃうけど、俺『教師』っていう言葉にすごく抵抗があるんだ。さっきから使ってないだろ?」

「そういえばそうね。どういうこと?」
「こんなことがあったんだ。 40代の頃、教頭から『〇〇先生に授業を見てもらわないか。それが他の職員の刺激にもなると思うから。』と話を持ちかけられたんだ。そのことを信頼している人に話すと、「〇〇先生は、日本一授業の上手い先生って言われてる。」って言われた。そして、『でも授業を見ていてこれはダメな展開だと判断したら、授業を乗っ取るよ。』と言われた。『乗っ取る』っていうのは、俺が前に出て話している時に、『ちょっといいかな』と言って、授業をその先生が始めちゃうっていうことだよ。正直ビビって教頭に相談したら、『見込みのある人ほど早い時間に乗っ取るよ。』と言われさらにビビった。当日は、5分で授業を乗っ取られた。その後〇〇先生は子ども達に、『勉強とは何か。何故するのか。』と言う話をされた。それを聞いていた俺は、震えが止まらなかった。「この人は腹の底から言葉を発している。」と思ったからね。子ども達の様子も変わった。たった1時間で。授業整理会の後、その先生と話した時、「自分ももっと勉強して変わらなければいけないと思っています。」と言ったら、「いや、あなたは変わらなくていい。」と言われた。今でもこの言葉の意味が分からずにいる。しかしこんな先生に触れたからには、今まで通りの授業をしていくわけにはいかないと強く思い、今に至っているんだ。」


「だから子ども達の前に立つ人が『教師』ならば、その人は子どもの人生に影響を及ぼす人だ。子ども達の人生に影響を及ぼさない人は『教員』だと思っている。だから俺は自分のことを『教師』と言うのにものすごく抵抗があるんだ。その先生はまぎれもなく『教師』だった。」