hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

チアイとの会話Ⅱ

チアイは、とてもゆっくり、私の書いた文章を読んでくれている。ふわふわ宙を舞いながら。その間に俺は、ジャスミンティーを入れた。ゆっくり飲みながらチアイが読み終えるのを待った。

最後のページを読み終えると、チアイはテーブルに着地した。そしてにっこり笑って言った。

「『雨あがりの夜空に』を聴きたい。スタジオ盤とクボコーライブのと両方。」

「いいよ。俺の『妄想小説』を読んで聴きたくなった?」

「うん。」

じっと聴いていたチアイは、

「このボーカルが、さっきあなたが言っていた忌野清志郎なのね。」

「そう。」

「それで、あなたは、清志郞だったらどうするんだろうって考えながら仕事をしているのね?今も。」

「そう、今も。他にももちろん影響を受けた人はいるけど。」

「例えば?」

「ミュージシャンでいうと遠藤ミチロウ。そしてトモフスキー、だな。」

「詳しく説明して。」

「ミチロウは、スターリンっていうパンクバンドをやっていたんだ。俺が髙2の時にメジャーデビューした。以来今年の5月に亡くなるまでずっと追いかけていたよ。まずスターリンのことから話そうか。ほんとはメジャーデビューする前からスターリンのことは知っていたんだ。でも声が今イチだった。だからメジャーデビューしたって聞いても特に関心がなかったけれど、友達が貸してくれたレコードを聴いてぶったまげたよ。声が変わっていた。それで、スターリンを追っかけることになったんだ。大ざっぱな言い方をするとハスキーな声、なんだけど、この声にやられてしまったんだな。そしてセカンドアルバム『虫』が出たときのツアーを見に行ったんだけれどこれがまたすごかった。アルバムのタイトルもすごいでしょ?それまでは、豚の頭を客席に投げるなど過激なステージパフォーマンスが何かと話題になっていたけど、このツアーではもうそんなことはしていなかった。でももうライブ前から不穏な空気が漂っているんだ。これからどんな恐ろしいことが始まるんだ、って感じたな。ライブが始まるとミチロウはやっぱり怖かった。その存在感が。でもとてつもなく格好良かった。メイクも含めて。ライブ中はあんまり動かなかったような気がするな。そこにまた妖気を感じたんだ。その後もずっとスターリン遠藤ミチロウを追いかけ続けるんだけど、バンド解散後、彼はなんとアコースティック・ギター一本でライブ活動を始めたんだ。初めてアコギ1本で演奏するミチロウのCDを聴いたときはショックを受けたな。あまりにも心細い声で歌っているから。でも、コンサートに行って印象は一変した。ミチロウ自身『アコースティック・パンク』って言っていたけれどもその通りで、彼はギター1本でパンクをしていた。すごい声で叫んでいた。逆にスターリン時代には考えられなかった静かな曲も歌うようになっていた。そして全国各地のライブハウスへ行ってライブをするようになったんだ。多い時で年間300本とかね。そしてまたミチロウを追っかけるようになった。ミチロウのコンサートを見て学んだことが、『間違えたり失敗したりしても気にしないで曲を演奏し続けろ。』ってことだった。ミチロウはよく歌詞が出てこなかったり、演奏の途中でギターの弦が切れたりすることがあったけど、そんなことは全く気にせず演奏を続けたもんだ。それから、『言ったことは必ず実行する。』だ。ライブでよくミチロウは、『バンドもやりたい。』って言っていたけど、全然実現しないんだな。ところが3年後くらいに、タッチミーっていうバンドを作るんだ。その後も、ノータリンズ、MJQと続けてバンドを作り、ソロ活動と並行してバンド活動もしてきたんだ。あとはね、『今、ドキュメンタリー映画を撮っているんだ。』って言ってきたんだけれど、これも3年ほどたってから、完成させるんだ。言ったことをちゃんと実行するってすごいことだと俺は思ったよ。それに、優れたロックミュージックは、肉体性と知性のバランスが絶妙なんだが、ミチロウはそういう意味ではまさに優れたロックミュージシャンだったな。特に声と歌詞と身体が。ミチロウの身体は腹筋はバキバキに割れてるしすごいんだぞ。歌詞は「解剖室は空いたか バラバラになって早く出ろ」「吐き気がするほどロマンチックだぜ」「嫌だと言っても愛してやるさ」「お母さんいい加減あなたの顔は忘れてしまいました」などの名フレーズを残しているよ。俺が路上ライブをやるようになったのもミチロウの影響だよ。」

「『俺』は路上ライブをやっていたの?」

 チアイは、私のことを『俺』と呼び始めた。何だかくすぐったい。

「うん。その頃はまだ元気だったから。また今度話すよ。」

「それからもう一人のトモフスキーだけど、この人にも大きな影響を受けてるよ。」

「『後ろ向きでOK』っていう曲があるんだ。みんなが俺にもっと前向きに考えようよって言うけど、あなたが言う前向きって何?あなたが後ろ向きって言うこっちの方がホントは前向きなんじゃない?っていう曲なんだ。」

「あー、『俺』が好きそうな曲ね。」

「チアイ、だいぶ俺のことが分かってきたようだね。女々しいようで、実は男らしい歌だと俺は思ってる。他にも考えさせられる曲がたくさんあって、それが50歳を過ぎた今でも名曲をたくさん作り続けているんだ。そこがすごい。」

「もう一つすごいなって思うところは、SNSやレコード会社?今は何て言うんだ、CD会社?に頼った活動をしていないところだ。トモフは最初カセットテープの手売りから活動を始めたんだ。そして、レコード会社を通してデビューしたんだけれど、数年後には自主制作レーベルを作ってそこからCDを発売するようになったんだ。それも手売りで。注文したら本人直筆の宛名でCDやDVDが送られてくるんだ。録音もほとんどが自宅録音。今の時代でプロのミュージシャンが、そんな活動をしているのはすごいことだと思うし、俺はそこにトモフの気概を感じるな。これこそインディペンデントっていうか。」

「だから学校では自分とトモフを勝手に重ねて、畳1畳分でいいから自分の居場所を作ろうって思いながら仕事をしてたんだ。」

「優れたロックミュージシャンは、肉体性と知性のバランスが絶妙ってさっき言ったけど、トモフの肉体性は『ひとりトモフスキーライブ』で発揮されていると俺は思っているんだ。」

「どういうこと?」

「普段トモフはバンドでライブしていたんだけれど、1996年12月に渋谷公会堂で初めて『ひとりトモフスキーライブ』をやったんだ。今までバンドでやっていた人が一人でライブをやる、今となっては珍しい事じゃないけど、当時は一人でどうするんだろうって思ったよ。そしたら、まず『メトロノフスキー』が登場した。単なるメトロノームなんだけどね。それに人格を与えて『メトロノフスキー』だ。それに合わせて演奏するわけだ。あとは、『トモフスキー2号』も出てきたな。事前に自分の演奏を撮って、それをプロジェクターに映し、それに合わせて本人の1号が歌うわけだ。最近では、バスドラとギターを同時に演奏して歌うこともある。今じゃループステーションなんて便利なものが使われているけれど、その発想の源はトモフにあると思うな。こういうことにトモフの肉体性を感じるんだ。」

「ミチロウとトモフスキーも聴きたいわ。」

チアイならきっとそう言ってくれるだろうなと思っていたから、私はさっきから喋りながら何をかけようか考えていた。そしてそれは考えるまでもないことでもあった。遠藤ミチロウの「天国の扉」「音泉ファック」、トモフスキーの「後ろ向きでOK」「無計画とゆう名の壮大な計画」を選び、聴いてもらった。

「ミチロウの声ってすごい。確かにハスキーっていう表現じゃ足りないほどの声ね。『天国の扉』のイントロの叫び声みたいなのも今まで聞いたことない声だわ。これこそあなたの言う肉体性なのね。」

「うん、俺は、勝手に怪鳥音って読んでいるけどね。息を吸ってあの声を出しているんだ。ミチロウ本人は、バキュームボイスって命名していたみたいだけど。」

トモフスキーの歌詞には考えさせられるわ。『無計画という名の壮大な計画の』の最初の方、聴いている人に(未来が)『不安か?不安か?』と煽っておいてから『心配するなー俺も不安だー』ってところ、最高ね。」

チアイも気に入ってくれたみたいだ。よかった。

「もう一つ言っていいかな。声で言うと世界で一番凄い声の持ち主は、ドアーズのジム・モリソンだと思っている。」

と言って、Break on through (to the other side) をかけた。

「悪魔的な声ね。」

「そう。妖しく民衆を扇動する声だよ。高校2年の時にこの声にやられたんだ。」

 こういうことを分かち合える人なんて今までいなかった。

「こういうことを分かち合える人なんて今までいなかったよ。」

「仕事のことでも音楽のことでもあなたと考えを分かち合える人がいなかったのね。」

「そう。音楽についての話が出来る人は一人もいなかったな。」

もしかして、チアイの言う俺の悲しさってこれなのかな。孤独だったってことが。

「今日はもう帰るわ。」

突然チアイが言った。

「うん。今日はありがとう。」

私は、今の方が現実感を持ち始めていたので、何だか寂しかった。

「明日の授業、楽しみにしてるね。」

「了解。」

私はチアイの真似をして返事をし、ドアを開けてやった。

私は何だか酒も飲む気にもなれずに、さっきのことを思い返していた。そして眠剤を飲んでぼーっとしているうちにテーブルに突っ伏して寝落ちした。