世の中には内容がいいのに、ジャケットで損をしている作品がいくつかあるように思う。その最たる例が今日取り上げるボブ・ディラン作の「セイヴド」(1980)だ。もしかしたら次作の「ショット・オブ・ラブ」もそうかもしれない。この頃のディランの作品を並べてみよう。
1976年:「欲望」
1978年:「ストリート・リーガル」「武道館」(ライヴ盤)
1979年:「スロー・トレイン・カミング」
1980年:「セイヴド」
1981年:「ショット・オブ・ラブ」
1982年:「インフィデル」
1984年:「リアル・ライブ」(ライヴ盤)
1985年:「エンパイア・バーレスク」
「欲望」も「ストリート・リーガル」もディランのかっこいい写真がジャケットであるので、合格。「スロー・トレイン・カミング」は渋いデザインのイラストなのでこれも合格。それで次がこれである。↓↓↓

どうだろう?このジャケットを見て買おうと思う人がいるだろうか。
~「セイヴド」は1980年にリリースされた20枚目のスタジオ・アルバム。ボーン・アゲイン・クリスチャンに改宗したディランの個人的な信仰心とゴスペルに影響を受けた楽曲が並び、前作「スロー・トレイン・カミング」での試みをさらに深めた作品ビルボードで最高24位、全英チャートで3位を記録した~ (by ウィキ)
当時は「ディランがわけの分からん宗教に改宗した」ことばかりに話題が集中して、「ディラン、戻ってこい」というファンの声が多かったように記憶している。でも前作「スロー・トレイン・カミング」は結構評価されていたぞ。前作を踏襲したんだからそんなに悪い作品ではないはずだ、と今となっては思うが、ジャケットが悪すぎた。このジャケット問題に関してはディランがジャケットを差し替えるようにコロムビアに要請したが却下されたとの話もあるが、それだけではないようだ。
ついでに次作「ショット・オブ・ラブ」のジャケットはこんなのだ。
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結構きついでしょ?
とにもかくにも「神の手」が描かれたジャケットは無宗教の僕でも「ああ・・・」と思うようなものだったので、長年手を出す気になれなかった。多分ディランファンもそうだったのだろう。「スロー・トレイン・カミング」「セイヴド」「ショット・オブ・ラブ」はディランのわけの分からん宗教3部作として長らく敬遠されていた(はず)。そして1982年「インフィデル」で「やっと戻って来たか、ディランよ!」と歓迎された。ジャケットも秀逸である。↓↓↓

それがたまたま今朝、ホントに何気なく「セイヴド」を聴いてみたら、いいんだよね。特に2曲目は★5つの名曲である。
ディランが女性ヴォーカルを導入し、ゴスペル色を強めたのは、1978年からだと僕はにらんでいる。そしてそれが上手くはまったとも思っている。「セイヴド」でもウィキに記されている通り、女性ヴォーカルがゴスペルっぽく歌っているが(「ストリート・リーガル」よりももっと強調されている)、悪くはない。
ちょっと話は逸れるが、ディランの場合、曲にあまり展開がなく、同じ調子で延々と演奏している場合に名曲になる場合が多々ある。古くは「追憶のハイウェイ61」(1965)の「廃墟の街」(11分21秒)、「ブロンド・オン・ブロンド」(1966)のD面全部を使った「ローランドの悲しい目の乙女」(11分23秒)、「欲望」ではA面1曲目の「ハリケーン」(8分33秒)、B面1曲目の「ジョーイ」(11分5秒)などである。
故中山康樹はこれを「ディラン状態」と表したように記憶している。展開は無ければないほどいい。只々ディランがその展開のない状態で歌っている、それだけで名曲になるのだ。
「セイヴド」でのベストテイク(僕にとっての)であるタイトル曲は4分という短い時間ながら「ディラン状態」を作り出している。だから名曲なのだ。
この勢いで「ショット・オブ・ラブ」もサラっと聴いてみた。なかなかいい。この2枚は買いかもしれない。最後の曲「エヴリ・グレイン・オブ・サンド」は詩情溢れる名曲である。(しかし何回も書いたがブートレッグ・シリーズヴァージョンの方が断然いい出来である。)
この「ディラン改宗3部作」より、「エンパイア・バーレスク」以降の方がよっぽど暗黒時代かもしれないな。
さあて、もう正午を過ぎたことだし、素麺でも食べて腹ごしらえをして、JUNさんを迎えにいくか。楽しみだなあ。
只今17時45分。JUNさんとの宴が始まった。14時に駅で迎えに行って、4時間ほど経った。それはもう楽しい時間だった。まだ宴は始まったばかりだ。酔っぱらったらどうなるんだろう。この続きはまた明日、ということで、きょうはこれでお終い!
おやすみなさい!