hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

レコードを丸ごと聴かないと分からないこともある

朝からいいものを観た。RCサクセションの「よォーこそ」だ。そんなもの、お前は散々聴いているじゃないか観ているじゃないかと言われそうだが違うのである。時を遡って書いてみよう。

 

僕がRCサクセションを初めて聴いたのは高校時代のことである。NHK―FMの「サウンドストリート」で渋谷陽一が「今、日本のロックが熱い」みたいなタイトルで珍しく邦楽の紹介をした。その中の一つがRCだった。多分「雨上がりの夜空に」だったと思う。「これは今までかけたミュージシャンとテイストは異なりますが・・・」という注釈付きで曲がかけられた。

 

僕は清志郎の粘っこい歌い方に違和感を覚えたので、特に注目はしていなかった。しかし世間ではどんどんRCが認知され始めていき、ライヴ盤「ラプソディ」の評判も上々だった。それでも僕はまだRCに手を出さなかった。

 

僕が初めて「これはすごい!」と思ったのは、同じくサウンドストリート甲斐よしひろだったかな?そこら辺はよく覚えていないんだけど、渋谷と違うDJがRCのライヴをラジオで流した時だった。その時の1曲目が「よォーこそ」で、まるでパンクみたいな荒々しいサウンドに僕の心は踊った。

 

そして満を持して「ラプソディ」を貸しレコード屋さんで借りたのであった(まだ買うまでには至っていない)。1曲目はもちろん「よォーこそ」である。僕はワクワクしながら曲が始まるのを待った。しかしその曲はラジオで聴いたものとは微妙に違っていた。勢いが感じられないのだ。ゆるく感じたのだ。僕はとてもガッカリしたことをよく覚えている。

 

そのせいか、自分でRCのレコードを買うようになったのは、大学に入ってからだった(「OK」というアルバム)。後年、「ラプソディ」での「よォーこそ」もなるほど、これもいいね、と思うことができるようになったが、初めて聴いた「よォーこそ」に対する幻想はずっと僕の頭の中に残ったままだった。

 

それが今朝現実化されたのだ。ユーチューブを観ていたらその動画があった。1981年の日比谷野音での「よォーこそ」だ。僕はこれを観て「これだ!これこそが高校生の僕が初めてガツンとやられたRCのサウンドだ」と思った。

 

画像は滅茶苦茶荒いし、そのうちデッドリンクになるだろうが、貼り付けておこう。一見の価値ありだよ。まるでパンクロックのような性急なビートだ。それに合わせて歌う清志郎はまるでアップテンポの曲を歌うオーティス・レディング+元気なときのミック・ジャガー(←ミックはいつも元気か)みたいだ。そういえば清志郎はパンクロックが出てきたときに「まるでオーティスみたいだと思った」「声の復権だと思った」と言っていたような気がする。「ガッタガッタ」の切れ味が凄い。


www.youtube.com

 

というわけで朝から気分がいい僕でした。さあ、タイトルの話を書くとするか。「レコードを丸ごと聴かないと分からないこともある」か。これはCDを購入するようになってからは好きな曲だけを聴き続けてきたからこそ思うことなのだろう。実に30年ぶりである。レコードを頭から最後まで聴くのは。うーん、伝わるかどうか分からないが、ボブ・ディランを例に書いてみるか。

 

ディラン(1962年にデビューアルバムを発表)の1963年から1966年(4年間!)までのアルバム6枚のうち5枚を聴いていて思ったことだ。

 

1963年「フリーホィーリン・ボブ・ディラン

1964年「時代は変わる」←レコード未聴

1964年「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン

1965年「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」

1965年「追憶のハイウェイ」

1966年「ブロンド・オン・ブロンド」

 

1962年にレコードデビューしたディラン。僕はファーストアルバムを通して聴いたことがない。「朝日のあたる家」他数曲を聴いただけだ。僕のディランはセカンドアルバムから始まる。

 

「フリーホィーリン・ボブ・ディラン」・・・「風に吹かれて」「激しい雨が降る」「くよくよするなよ」の3曲を長らく愛聴していたが、レコード購入に当たり、全曲聴いてみた(当たり前だ)。その風情はフォーク歌手である。ヴォーカル、アコギ、ハーモニカだけの素朴な演奏であるが、その生々しさたるや凄まじい。目の前にディランがいるかのようだ。素晴らしいレコードである。70年前の音源だよ。凄くない?

 

「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」・・・基本的にはセカンドと同じ構成だが、ピアノも入っている曲がある。よく分からないが、アコギとハーモニカだけでは足りないとディランは思っているかのようである。その後の結果を知っているからかもしれないが、明らかにディランは変化を求めている。

 

「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」・・・そしてやっちゃった。バンドサウンドである。のっけからラップ調の曲をドラム付きベース付きエレキギター付きでやっている。これがディランのやりたかったことか。A面はこんな調子でバンドサウンド全開だ。しかしB面になると一変して従来のアコギ路線である。まだニーズはここにあると判断されたのであろうと思われる。しかし「ミスター・タンブリンマン」「イッツ・アールライト、マ」「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」という3大名曲を聴かせてくれる。

 

「追憶のハイウェイ」・・・来たぁ、世紀の大名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」だ。これで文句はないだろう?俺はロックに行くぜ、と決心したかのようだ。しかしラストの曲「廃墟の街」ではアコギとエレキのみのシンプルな曲で締めている。これがまた素晴らしい曲だから始末が悪い。

 

「ブロンド・オン・ブロンド」・・・徹頭徹尾ロックアルバムである。しかも2枚組である。どんなに「これは静かな曲だからアコギだけの方がいいな」とイントロを聴いてこちらが思っても、すぐにドラムスが入ってくる。最後はD面全部を使って1曲(12分弱)だ。こんな発想をする人は当時誰もいなかったんじゃないかな。でもディランはそうしたかったのだろう。「長けりゃ長いほどいい」ディランの名曲パターンはこのアルバムから始まったのかもしれない。そしてこのアルバムでディランは「ロッカー、ディラン」に一区切りつける。

 

 

こういうの(ディランがバンドサウンドになる変遷具合)は、アルバムごとに好きな曲だけ並べていっていけば大体分かるじゃないか、と思われる方もいらっしゃると思う。僕もそう思っていた。しかし、改めてレコードを聴くとその印象は変わってくる。いや、印象はおんなじかもしれないけど、その濃度が違う。その時期、鳴らしたかったディランの音が1枚(あるいは2枚)レコードを聴くと初めてずしんとした感触を持って伝わってくるのだ。その聴き方に「捨て曲」という発想はない。ただ丸ごと受け止めるだけだ。

 

少しは伝わったかな?レコードを最初から最後まで聴くという邪魔くさい行為は、受け手の僕たちに少し「能動的」な何かを教えてくれるのだ。名前は付けられないが。それを30年経って初めて感じるようになったのだ。新しい見方を得たんだからそりゃあ、夢中になってレコードを聴くよね。まるで新しいゲームを手にした少年みたいな気分である。

 

 

ちょっとかっこよく言い過ぎたかな。

 

 

今日は久々のギター教室だった。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を30分で合格した僕は「ボディーズ」も30分で合格させた。へへん。と言っても無茶苦茶簡単なんだけどね。コロナが収束したようなので、発表会も再開させると先生が言っていた。僕に「出ませんか」と言ってきた。「今の僕にエレキは無理ですよ」と言ったら「ヴォーカルでお願いできませんか」と言う。魅力的な提案だったが節度ある僕は丁寧に断った。「太ってちゃパンクは歌えません」。悲しい話である。

 

 

じゃあ今週も頑張ってみっか。