hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

こりゃディランも目をつけるはずだ

この頃悪夢を見ることがなくなった。特に学校関係の悪夢は全く見なくなった。これは非常に喜ばしいことである。夢の中で怒鳴ることもなくなった。きっと夢の方もネタが尽きたんだろうな。そしてこいつにはもうこういう夢は見せても無駄だと思ったんだろう。学校関係の悪夢、さようならである。

 

 

しかしながら、僕が何かで困っているというような夢は見る。というか夢の中で僕はいつも困っている。こっちの方のネタはまだまだあるみたいだ。

 

 

最近のでいうと、「来週から新しい漢字ができます。今までの漢字から1本(1画)引いたものになります。それは何でしょう?」というものであった。まあ学校関係といえばそうなのかもしれないが、僕は夢の中であれだろうか、これだろうかと悩んでいた。起きても悩んでいたくらいだ。

 

 

ここで、「ところで夢と言えば・・・」と音楽関係の話に持っていければ僕も少しは松村雄策に近づくことができるかもしれない。でもそんな技量はない。ただ、最近こうだよなあという所感を書いただけである。

 

 

 

というわけでタイトルの話にいこう。ディランは誰に目をつけたのか、である。答えはマーク・ノップラー(ダイア―・ストレイツ)である。

 

 

1979年に発表されたボブ・ディランの「スロー・トレイン・カミング」のセッションにマーク・ノップラー(とドラムのビル・ウィザーズ)が招かれたのだ。当時マークはダイア―・ストレイツでデビューしたばかりで、まだまだ新人枠のミュージシャンだった。当時そのニュースを聴いて「へぇ~、そうなんだ」と思っただけの僕だったが、昨日ダイア―・ストレイツのアルバムを聴いて「さもありなん」と思った。

 

 

ダイア―・ストレイツのデビューアルバムが発表されたのが1978年10月7日。次の年にビルボードで、アルバム2位、シングル「悲しきサルタン」が4位を記録する。


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ディランが「スロー・トレイン・カミング」のレコーディングを始めたのが1979年5月から。つまりかなり早い段階でマーク・ノップラーとピック・ウィザースを評価していたことになる。

 

 

1978年当時はエドワード・ヴァン・ヘイレンがもてはやされた時期と重なるんじゃないかな。そして彼とは対極の枯れた味わいを持つマーク・ノップラーもギター・ヒーローとして名を上げたんじゃないかな。

 

 

デビューアルバムは、フィンガーピッキング奏法によるギター・プレイの魅力が詰まっている、そしてヴォーカルはボブ・ディランの影響を受けまくっている、そんなアルバムだ。つまり今の僕が大好きなやつである。ディランが彼に目をつけたのもよく分かるギターだ。

 

 

彼らの名を大いに上げたのが1985年発表の「ブラザーズ・イン・アームス」であることに異論はなかろう。何といってもスティングが参加している「マネー・フォー・ナッシング」が収録されている。当時はガンガンMTVで流されていた。MTVに出てくるスターを批判した歌なのにね。スティングがポリスの「高校教師」を歌う場面は最高だったな。


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というわけで、ドジャースパドレス戦が始まる前に記事を書きあげることができそうだ。山本投手、頑張れ。大谷選手、頑張れ。松井選手も頑張れ。

 

 

 

 

最後に今日一番のトピックを書いておこう。姉が今帰省しているのだが、実家を整理しているとレコードを発見した。それを預かった妻は帰宅後「どう?いる?」と言われて見たレコードは次のようなものだった。ババっと見て僕は「勿論いるよ。これはお宝だね」と答えた。

 

 

ルー・リード:ソロデビューアルバム、ミストライアル、都会育ち、ザ・ベルズ

イギー・ポップ:ニューヴァリュース、TVアイ、イデオット、ゾンビ―・バードハウス

・ストゥージズ:デビューアルバム、ファンハウス、ノーファン(ベスト)

・イギー・アンド・ストゥージズ:ロウ・パワー、アイム・オブ・シック・ユー

イギー・ポップ&ジェイムズ・ウィリアムソン:キル・シティ

セックス・ピストルズ勝手にしやがれ

・ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド:アナザー・ビュー

・PIL:アルバム、コマーシャル・ゾーン

 

 

実に18枚も実家に保存していたのであった。しかもギザギザロックばかりだ。今の僕とは遠く離れているけれど、確実に細胞に刻まれているアルバムばかりである。「コマーシャル・ゾーン」には値札が貼ってあって2980円だった。当時もこれくらいしたんだな。保存状態はランクをつけるとしたらS(一番上)である。当時は丁寧に扱っていたけれど、数十年経っても素晴らしい状態であった。しかし何故このようなアルバム群を残しておいたのかは不明である。

 

 

それにしても昨日の12枚と合わせると、2日で30枚のレコードが家に来たということである。嬉しい悲鳴である。しばらくは「六可レコード」には行けないな。

 

 

 

 

 

ドジャースパドレスの試合が終わった。約3時間の熱戦だった。山本選手、惜しかったな。でも次、頑張ればいいじゃないか。大谷選手はほんとに期待を裏切らない。今日も素晴らしかった。松井選手も頑張った。パドレスは強いな。

 

 

 

 

 

それでは。今日は、超久々にステーキ屋さんに行くことになりそうだ。楽しみである。