Chat GPTについて子ども達に話したのが今年に入ってすぐのことだったと思う。そうこうするうちにみるみるうちにYouTube動画でも関連のものが広がっているような印象を受ける。世の中そんなことになっとるんかい?まいったね、というのが正直な感想である。
落合陽一は「(新しい何かが出てきたら)とにかく遊ぶことだ」と言っていたとも書いたことがあるが、なんだかそれも飛び越えちゃっているような気がしている。動画を見過ぎなのかな。違う動画で落合が「人間のフィジカルな面をどう生かすかが大事」みたいなことも言っていた。対談していた人は「日本が一番フィジカルな面を残す国かもしれない。例えばハンコを押すとか」と笑いながら言っていた。「先生もその子に合ったChat GPTでOKなんじゃない?」とも言っていた。
そうなると僕らの商売はあがったりだ。まあ、色んな識者がChat GPTについて否定的なことも言ってるし、すぐにどうこうっていうのはないかもしれないが、こういう動きって加速化するんだろうな。
ニック・ケイヴはChat GPTには結構怒っているようだ。曲を書くという行為について「血と根性のビジネスだ・・・。新しく新鮮なアイディアを始めるために僕の何かが必要なんだ。それは僕の人間性を必要とするものなんだ」と語っている(ウィキより)。ニックはさらに「世界中のすべての愛と敬意をもってしたとしても、この曲(ニックを模倣した歌詞と曲が送られてきたらしい)はくそったれで、人間であることをグロテスクに嘲笑っている、そしてまあ、僕はあまり好きではないね」と不快感を表明した(同じくウィキより)。
公立小学校教員としては、「授業の腕」(これも「人間性」という要素が濃いと思われる)という言語化できないものはもう捨てられてしまうのかな。となると、何が残るんだろう。不登校児の家庭訪問とか?でも学校は無理に行かなくてもいい世の中になっているかもしれない。Chat GPTのメンテナンスとか?そんなもん自分でやるだろう。喧嘩の仲裁とか?喧嘩の仲裁も子ども同士で弁護士みたいなのを立てて解決するかもしれないな。
大きな建物に同学年の児童を押し込んで、45分ごとに座学を強制する、という100年以上続いてきた学校教育の枠組みは10年以内に消え去りそうだ。そうなるとどうなるのだろう。児童は学校に来たければ来て、行きたくなければ行かなくてもいい。先生は学校に一定数常駐していて、何かあった時に対応する、みたいなことになるのかな。となると、昨今激しく非難されている教員不足問題は一気に解消するな。その代わり大量の50代60代の無職の人が生まれてきそうだ。ああ、怖い怖い。
仕事面については怖い、しかないが、プライベートではどうなるのだろう。僕はこれからもギター教室に行ってギターが上手くなるように練習したいぞ。となると、芸術方面での先生という職業はなくならないかもしれない(まさかAIが教えてくれるようになっちゃったりして。そんなことにはなってほしくない)。自分の手で音楽を奏でることは大事なことだ。
その他、料理は身体が動く限りは作り続けたいし、料理ロボットなんかに負けてられないぜ、と張り切る人も大勢いるに違いない。僕もそうだ。料理の腕をもっと上げたいし、そのことに喜びを見出せる。
いつの間にかタイトルにある「大事なフィジカルって何だろう?」の話になっているようだ。
食べること寝ること排泄することの他に、っていう意味でだよ。何か生き甲斐みたいなものがないと、人間虚しくなっちゃうんじゃない?もしかして機械を駆使して音楽を作ったり絵を描いたりすることが生き甲斐にはなっちゃったりして。
今、ちょうどレコードを聴きながら記事を書いているが、レコードを聴くという行為もフィジカルなことだろう。レコードを聴くという行為はレコード屋さんに車で行って選んで買うことから始まっている。1枚1枚検盤をしてお金を払い、家に帰ってジャケットを眺める。そしておもむろにレコードプレイヤーにレコードを置き、針を落とす。レコードからはデジタルの匂いはしない。これは僕の生活にこれからも入れておきたい行為である。
ああ、今のこの状況を平沢進なら何て言うんだろう。「人間的じゃなくて何が悪い?」と宣ったテクノ大魔王の彼だが、ライヴでは随分フィジカルだ。そこら辺のことは何回も記事にしてきた。今の状況をどう捉えているのか知りたいものだ。多分そんなに悲観的に捉えてないと思うな。
ブログを書くという行為はどうだろう?文章を書くという行為は結構フィジカルな気もするがどう?でも世の中ブログなんか読むよりもっと楽しいことに夢中になっているような気がしないでもない。そしたら僕はブログ生活をやめることになるのだろうか?ちょっと分からないな。そんなことになったらなったでどんな世の中かちょっと見てみたい気はするが、そうなると人間っていうものが丸っきり変わっちゃいそうだな。具体的なことは分からないが、何となくそう思う。
さて。先のことより今のことに夢中になるか。今日もヴァン・モリソンだよ。いいのを見つけたんだ。1991年作の「Hymns to the Silence」っていうアルバムなんだけど、いいよ。ライヴ盤の、そして若い頃の熱い歌声もよかったけど、歳をとって落ち着いた彼の歌声もいい。何だかソウルフラワー・ユニオンを思わせる曲もあった。どちらもアイリッシュ音楽を通過しているから同じ匂いがしたのだろう。
今日もWBCに備えて早目に夕食を作ろう。でも俺どうしちゃったんだろう。こんなに野球好きだったっけ?もしかして「にわか」?でも大谷選手や佐々木選手を見ているとワクワクするのも事実だ。
最初の話に戻るけど、運動という最もシンプルなものをすっかり忘れていた・・・。