hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

エディ・グラントを聴き、貸しレコード屋を思い出す

昨日は精神科の受診日だった。前日に電話して、コロナ陽性だったため念のため電話受診にしてもらえないか?と頼んだが、もうそういうことはやってないとのことだった。しようがないので、言われた通り発熱外来の部屋に行った。

 

 

そこは、プレハブの質素な作りで、真ん中がアクリル板で仕切られている。まるで刑務所の面会室のような部屋だった。受付の人が現れ、保険証と受診票を受け取ると「しばらくお待ちください」と言って去っていった。

 

 

そこから約1時間、僕はその部屋に待っていた。今までだったら堪忍袋の緒が切れて、「もう帰ります」と言っていただろう。しかし、僕もいい加減いい歳だ。そんな恥ずかしいことはできない。というわけで気がついたらメルカリでキング・クリムゾンのレコードを検索し、ポチっとしていた。これはこれでいかんことである。朝起きて寝ぼけ眼の状態でも「ポチっ」をすることがある。人間便利になったらなったで困ったことが起こるものである。

 

 

やがて主治医がやって来て言った。「ごめんね、待たせて。ここ刑務所みたいね」。僕と同じだ。全くこんなところによく1時間もいたものだ。主治医は「こういう時は電話すればいいのよ」と言う。「いや、(ちゃんと病院に)しましたよ。そしたらここに行ってくださいと言われました」と言うと、「そうじゃなくて私のところ(スマホに直接)に、よ」と言う。そうなのか、そんなことしていいのか、と今度コロナ陽性になった時のために頭の中でメモしておいた。

 

 

ちゃちゃっと診察は終わり、薬を受け取って家に帰った。この時点(10時過ぎについて全てが終わったのは正午を過ぎていた)でもう疲れてしまった。

 

 

しかし、僕はその足でレコード屋に行った。結構ストレスが溜まっていたのかね。そこでレコードを探している時に店内で流れていたのがエディ・グラントだった。「これは・・・もしかしたら」と思い、店員(店主はいなかった)に尋ねるとエディ・グラントだと言う。思わず「これ、買います」と言っていた。800円だった。速攻で帰り、すぐにターンテーブルにのせる。

 

 

うっとりと聴きながら「そう言えば、初めてエディを聴いたのは貸しレコード屋さんで借りたレコードの時だったな」と思った。そう思ったらぶぅわ~っと当時のことが蘇ってきたかというとそうでもない。うっすらと当時の断片が思い出されるだけだ。

 

 

貸しレコード屋というシステムは当時の僕達学生にとってはとんでもないものだった。だって1枚2,500円するLPレコードが数百円で借りられるんだから。いや、断言するのは避けた方がいいかもしれない。僕は自分が持っているレコードをこそ一生懸命聴こうよ派だった可能性もある。

 

 

それにはっきりとこれは借りたと思い出せるレコードはエディ・グラントの「カリビアン・キラー」とプリンスの「1999」くらいだ。あとは、歌詞やライナーノーツを見せに置いてあるコピー機でコピーしていたな、というくらいしか思い出せない。僕はどういう風に貸しレコード屋さんに接していたのだろうか。もう少し時を遡って思い出す必要があるな。

 

 

僕がいわゆる洋楽ロックのレコードを自分で買って聴き出したのは1979年後半だ。その頃はお小遣いを貯めてレコード屋に行き、意を決してレコードを買っていた。そのレコードを飽きずに繰り返し聴いていた。まずこれが最初ね。そして同じようにロックを聴く友だちができると、(ほんとに信頼できる友だちと)レコードの貸し借りをするようになった。借りたレコードは、家に帰っていの一番にカセットテープに録音する。そしてインデックス(分かるかな?)に気合を込めて曲のタイトルを書き込み、なるべく早く友だちに返す。指紋や傷をつけようものなら大問題になる。持ち運びにも大変気を遣ったはずだ。

 

 

このようにして、僕は少しずつ幅広く音楽を聴くようになった。FMラジオのエアチェックもしていたから相当忙しかったはずだ。そこにきての貸しレコード屋の登場である。1980何年のことだったろう。僕達ロック少年の心は震えた(はず)。でも最初っから飛びつかなかったような気がするんだよね。保守的な僕としては先ほど書いた通り、「ふん、こんなやり方でレコードを聴いても聴いたことにはならないぜ」くらいは思っていたかもしれない。

 

 

しかし何だかんだ言って貸しレコード屋の記憶はあるのだから、行ったんだろう。きっと最初は友達に連れていってもらったに違いない。今調べてみたら「カリビアン・キラー」も「1999」も1982年に発表されている。ということは僕が高3の時だ。その時には貸しレコード屋は全国を席巻していたんだろう。

 

 

高3の時に普通に借りていたんだから、大学時代にも利用していたことになるが、そこら辺は全く記憶がない。大学1年の時にはアルバイトで結構稼いでいたから自分でレコードを買っていたのかもしれない。大学2年の夏にはバンドに入れてもらっていたから、レコードを借りるのはもっぱらJUNさんからだった記憶はある。

 

 

結局何が言いたくて貸しレコード屋について書いているのかと言うと、これが今で言うアップルミュージックなのかな?って思ったからかな。自分でも分からなくなってしまった。お手軽に音楽を聴くことができるようになっても、聴き方は深化しないってことを言いたかったのかもしれない。

 

 

その後もツタヤやゲオでCDレンタルという形で音源を入手するという形態は続いたが、僕はあんまり利用することはなかった。貸しレコード同様、借りるなら買えよ、と思っていた。

 

 

こうやって時を遡ってみると、一番集中して聴いていたのは中学高校時代に自分が買ったレコードだったと思わざるを得ない。そこから少しずつ少しずつ集中力が散漫になっていった。しかし僕が貸しレコード屋で借りた中で今でもはっきり思い出せたのがエディ・グラントのレコードだったとは。結構聴いてたんだな、エディ・グラント。

 

 

今年もあと数か月だが、僕の音楽生活にとってはエポックメイキングな年になった。こんなことになるとは思いもしなかった。

 

 

うーん、何だか書ききれなかったけど、レコードを聴きたくなっちゃったからこれくらいにしとこう。

 

 

 

 

明日は学校に行くつもりである。いきなり火曜日に行って、1限目から授業はできないからね。ではでは。