hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

hanami少年のロックンロール日記 その2

僕がロックに目覚めるのは遅かった。中3の時である。ここまでは書いた。今日はもっと時を遡って僕の音楽原体験まで迫ることができたら、と思っている。

 

まずは歌謡曲だ。当時の歌番組は両親も好きで家族でよく観ていた。アイドルから演歌までいろいろな歌手が番組に登場していたが、最初に意識したのは天地真理だった。確か人気が出てから自転車のコマーシャルにも出ていたような気がする。自転車屋さんだった僕の父は天地真理を一番推していた。それに僕たち家族ものっかったというわけだ。

 

次に僕自身が憧れたアイドルは原田知世(1982年デビュー)だったから、桜田淳子山口百恵西城秀樹郷ひろみにもそんなに心をときめかすことはなかった。だからアイドルとは距離を置いていたように思う。一体誰が好きだったんだろう。キャンディーズでもないな。ピンクレディーには少しクラクラしたような覚えがある。

 

というように、歌番組は好きだったが、特に好きな歌があったり好きな歌手がいたりというのはなかったように思う。番組としては「夜のヒットスタジオ」より「ザ・ベストテン」の方が衝撃が大きかった。思い出してきたぞ。なかなか番組に出なかった松山千春の「季節の中で」はかなり気に入った。姉はシングルレコードを買ったはずだ。そしてもういっこ、甲斐バンドもとうとう「ザ・ベストテン」に出た時は「おおっ」と思った。中2の頃だったかな。次のアルバムのシングル(だっけ?)「漂泊者」は僕のハートを確実にキャッチした。

 

あとは原田真二世良公則&ツイスト、チャーだ。僕は原田と世良にはのれたが、チャーは今一つよく分からなかった。子どもだったんだね。

 

あとはフォークか。さだまさしは聴いた。アリスも聴いた。かぐや姫も聴いた。「ふうん」って感じだったように思う。不思議と吉田拓郎とか泉谷しげるとか井上陽水とかにはいかなかったな。

 

はっきりと「なんていい曲なんだ」と思ったのは、姉が買ったオリビア・ニュートン・ジョンの「ジョリーン」だった。これはかなり聴いた。後にMTVで大活躍(「フィジカル」)するとは思いもしなかったな。それにホワイト・ストライプスが「ジョリーン」を演奏しているのを聴いてびっくりした。あと最近書いたゴダイゴもこの頃買ったはずだ。

 

ちょっと整理してみよう。

 

 

1975年(11歳・小5):ベイ・シティ・ローラーズ旋風。僕はのれなかった。

1976年(12歳・小6):オリビア・ニュートン・ジョンが「ジョリーン」を日本などで発売。何回も聴いた。

1977年(13歳・中1):原田真二が10月25日「てぃーんず ブルース」でデビュー。3か月連続でシングルを出した。僕は第3弾の「シャドーボクサー」から聴くようになった。

1978年(14歳・中2):ゴダイゴが「西遊記」を発表。レコードを買う。甲斐バンドが「HERO」を発表。1月から「ザ・ベストテン」放映開始。

1979年(15歳・中3):2学期にブームタウン・ラッツとクラッシュでロックに目覚める。しかしどちらも友だちから借りたものだった。僕が初めて買った洋楽のレコードはボストンだった。

1980年(16歳・高1):「ミュージック・ライフ」を買うのをやめて「ロッキング・オン」を買い始める。

 

1975年~1978年は、洋楽を聴きながらもピンと来なかった。1979年、中3の修学旅行で初めてピンと来たのだ。以来43年、ロック・ミュージックのお世話になっているわけだ。でもやはり15歳でピンと来るのは遅いな。この年代の3~4年というのは実に大きい差だと思う。まあ、大器晩成だったということにしておこう。これからも長生きしていろいろなミュージシャンのお世話になるかもしれないしな。

 

ところで、1980年~1982年の一番多感だった頃は何を聴いていたのか?恥ずかしながら僕はいきがっていた。誰も聴いていない音楽を探し出すのに夢中だった。アヴァンギャルド・ミュージックなんていうのに手を染めたのもその頃だ。キャバレー・ヴォルテールとかP.I.Lの「メタル・ボックス」とかね。日本だとP-MODELかな。P-MODELを初めて観たのはNHKの「600こちら情報部」という番組だった。ヒカシュープラスチックスと一緒にテクノポップとしてひとくくりにされていたような気がする。1980年のことだ。でもP-MODELのアルバムを買ったのはサードアルバムだけだった(最初は平沢進の顔がロックしていないと思って敬遠していた)。いろいろ誰も買わないようなアルバムを買ったけれども当たりもあった。ジョイ・ディヴィジョンは中でも素晴らしかった。これは聴いた瞬間ビビっと来たな。今でも聴ける。

 

もう思いつくままに書いてみよう。変な音楽は自分でレコードを買っていたけど、ストーンズみたいな王道ロックは「サウンドストリート」を聴いてカバーしていた。ツェッペリンは友達から全部借りた。そういえば渋谷陽一が「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」を発表する前に僕の地元に来てトークライブをやったな。友達と勇んで行ったが、ツェッペリンのニューアルバムからは1曲しか紹介せず、あとはジミヘンの伝記映画だった。かなりがっかりした記憶がある。そして僕はこの時期ビートルズを聴かなかった。僕の周りにもビートルズを聴いている友達はいなかったはずだ。

 

当時レコードは1枚2500円だった。2枚組だと3000円を超えるのでなかなか手が出なかった。たまに1500円で発売されている作品があって思わず手を出したことが何回もあった。しかし大抵はバッタものだった。このお金をどこから捻出していたのかがよく分からない。お小遣いは多分月に3000円くらいだったのだろう。そしたらレコード1枚買ったらあとは極貧生活になる。うーん不思議だ。高校を卒業するまでに少なくても50枚はあったはずだ。きっとかなり節約していたのだと思われる。友達と(女の子を交えて)お茶する、なんてことは高3になってからだったからなあ。

 

結構思い出すことができたな。よかったよかった。