hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

hanami少年のロックンロール日記

今、奥田英朗の「田舎でロックンロール」(角川書店)という本を読んでいる。いつものように帯を紹介すると、「『田舎育ちの熱きロック魂ほど、タフで笑えるものはない!』山田詠美氏絶賛」と大きく書いてある。続けて「こうして五分刈りのオクダ少年にロック魂は宿った。黄金の洋楽青春期」とある。何でこの本を買おうと思ったのだろう。つい最近なのに思い出せない。奥田氏は僕より年上なので、僕の洋楽青春期よりも大分早くからロックに目覚めている。例えば、NHKで放映していた「ヤング・ミュージック・ショー」をオクダ少年が初めて観たのはエマーソン・レイク&パーマーだった。僕が初めて観たのはデヴィッド・ボウイだった。調べてみるとエマーソン・レイク&パーマーは1972年10月8日、デヴィッド・ボウイは1979年3月26日だった。7年もの差がある。それだけで大先輩だ。だから内容は僕にとって「かなりお兄さんのロック青春期」になっているが、実に面白く読むことができる。さすが作家は違うね。1970年代、少年時代にロックを聴いていた人は楽しむことができると思うよ。

 

僕も小さな脳みそで昔の記憶を辿ってみよう。僕が初めて外タレを知ったのは誰だ?アバかな?ベイ・シティ・ローラーズかな?。これも調べてみよう。アバが初来日したのは、プロモ来日が1978年、コンサートを行ったのは1980年だった。だったらもう中学生だ。やはりベイ・シティ・ローラーズだな。

 

ベイ・シティ・ローラーズ旋風が吹き荒れたのは、僕が小学生の高学年の時だった。ある日を境によくつるんでいた友だちが何だか僕の知らない話をするようになった。ちょっと疎外感を抱いた僕だったが「hanami、今度シオハラのところにレコード聞きに行くけど来る?」と言われたので尻尾を振りながら連れて行ってもらった。シオハラの家は豪邸だった。だだっ広い応接間に通されソファに座ると目の前にステレオセット(コンポって言ったっけ?)がでんと置かれていた。そこでベイ・シティ・ローラーズのLPを聴かせてもらった。みんな「〇〇(曲名)がいいね」「いや、オレは〇〇がいいと思う」「レスリーが・・・」とか何とか言っているが僕にはちんぷんかんぷんだ。何より音楽的に興味が持てなかった。今聴くとまた違うんだけどね。友達は学校にタートルネックをしてきて自慢していた。こういうのも全然理解できなかった。しかしイアン・ミッチェルが脱退して新たにロゼッタ。ストーンというバンドを結成したことは知っていたから雑誌でチェックはしていたのだろう。多分姉が買っていた「明星」に載っていたのだと思われる。そしてご多分に漏れず「S-A-T-U-R-D-A-Y」と「サタディ」の綴りを覚えた。

 

中学校に入学したら、今度は友達がクイーンだキッスだ、いやいやエアロスミスだと言っている。仕方ないので再び友だち(サワダ君という・・・例の「秀才」の名前だ)の家に行って聴かせてもらった。例によって友だちは「ブライアンのギターは・・・」とか「この曲はポール・スタンレーが歌っている」とか言って盛り上がっている。僕はやはりその話にはのれなかった。しかしエアロスミスはちょっと違った風に聴こえたような気がする。後にエアロの「ロックス」を借りたほどだから少しは気になったのだろう。ここら辺は初期の記事に書いたことがある。

 

しかしこの友達はロックを聴いているからといってギターを弾いているわけではなかった。ギターを、それもエレキ・ギターを弾いていたのは僕が知る限りは1人だけだった。ジン君という名の同級生は、小学校時代からませていて時々僕に性的なことを話しかけてきた。そんなジン君は学校を休むことがあった。小学校時代に病気以外で学校を休むなんて考えられなかったが、ジン君はどうも病気以外で学校を休んでいたようだ。噂では家に籠り、ひたすらギター練習をしているとのことだった。ジン君はそれだけでもうカリスマ的でアンタッチャブルな存在だった。もうスーパーギタリストだとみんな思い込んでいた。そのジン君と僕とその友達とで学校の玄関で話す機会があった。僕は外から聴いているだけだったけど。

 

ジン君は「パープルは~」「ツェッペリンは~」という言い方をしていた。みんなもその言い方に倣っていた。バンド名くらいは知っていたので、僕は心の中で「ちゃんとディープ・パープル、レッド・ツェッペリンって言えよ」と心の中で思っていた。一応バンド名は知っていたのだ。ジン君のギターの腕前は結局知らずじまいだった。

 

僕の友達の方は何と知らない間にバンドを組んでいて文化祭で演奏(チープ・トリックの曲をやったのは覚えている)するまでになっていた。全然知らなかった僕はそれを見て驚いた。すごいじゃん、友達。とは思ったが、衝撃を受けるまでにはいかなかったのは何故だろう。悔しかったのかな。

 

ベイ・シティ・ローラーズ、クイーン、キッス、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンを聴いても僕にロック魂は宿らなかった。僕が初めて「これはいい」と思って何度も聴いたのはブームタウン・ラッツの「哀愁のマンディ」(1979)とクラッシュの「ロンドン・コーリング」(1979)だった。その頃には「ミュージック・ライフ」を買い始めていた。確か「さらば70年代」というタイトルで彼らの紹介をしていたと思う。僕は15歳、つまり中学3年生(2学期以降)にして初めてしっくりとくるロック・ミュージックに出会ったのであった。ちょっと奥手ではあるな。さきほども書いたが1979年に「ヤング・ミュージック・ショー」を初めて観ている。初めて聴く、観るデヴィッド・ボウイにも僕はピンと来なかった。

 

しかし、ベイ・シティ・ローラーズ、クイーン、キッス、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンデヴィッド・ボウイを聴いてもピンとこなかった僕はそれまで一体何を聴いていたのだろうか。そこら辺のことを次回までに思い出しておこう。あ、でも今思い出した。修学旅行(1学期だった)の時に宿で誰かが音楽をかけていた。その音は場の空気を一瞬にして変えた。「こ、これは・・・なんだ?」。後で友達が話しているのを聴いてクイーンの「ウイ・ウィル・ロック・ユー」だと知った。僕でもそのかっこよさが分かった。どうもその頃から少しずつだが僕にもロック魂が宿ってきたようだ。