hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

レコードを聴いて思いを巡らす

レコードを聴いて思い巡らすことがある。昔は食べ物は美味くて、服もしっかりしたものを着ていたよなぁということだ。年寄りの懐かしい話にならないよう気をつけて書いてみよう。

 

以前、高橋克彦の「霊の柩」を読んだ時、大正時代にタイムスリップした登場人物たちが、出るもの出るものを「美味しい美味しい」と言って食べている箇所を読んで羨ましくなった。梅干しが入っただけの米のおにぎり、ただの漬物、列車での地鶏料理、東京に戻ってからのすき焼きなどの美味しさが細かく描写されていてよだれが出そうだった。

 

僕の少年時代もそれに近いものだったのだろうと思われる。普通に卵かけご飯なんかを食べていたが、今じゃあそれくらいのレベルの卵を求めようとしたらべらぼうな値段が付くように思う。

 

東南アジアに行った時、鶏は放し飼いだった。その鶏をつぶして(絞めて?)焼いた肉を食べる。それを僕は「何て美味しいんだろう」と思って毎日食べていたが、僕の妻は幼少の時それ(鶏をつぶしているところ)を実家で見たそうだ。昔はみんな食べ物はそうやって調達してたんだ。

 

僕はインスタントラーメンの登場から雲行きが怪しくなったのではないかと睨んでいる。ちょうど小学校高学年の頃だ。そのあと、続々とカップヌードルなどのインスタント食品が売り出されていった。レトルトのカレーなんかは大学時代に登場したように思う。その最終形が現在だ。寿司は安く売られ、回転までする。卵を割っても黄身が盛り上がらない。おいしい味がする何かが入ったコンビニのおにぎりがある。

 

こういうものを日常的に食べている若者にタイムスリップをしてもらって昔のものを食べさせると何て言うんだろう。「マックはないのか!牛丼食べたい!」と叫ぶのだろうか。

 

 

洋服にしてもそうである。ユニクロが出現して以来、洋服は捨てることを前提に買うようになったと僕は睨んでいる(前に書いた覚えがある)。デザインはだいたいおんなじである。僕は青年時代、セーターが好きで、色々な柄のセーターを選んでは着ていた。それを何年も着ていたのだが、今ではそんなにセーターのヴァリエーションはないように思う。そして人と同じようなものを着て、季節が過ぎたら捨てる。ずっと気に入って持っている洋服はあるのだろうか。とか言いながら僕もそんな風潮に乗って服を買っては断捨離をしている。

 

レコードはどうだろう。CDやストリーミング配信で曲を聴いている人にレコードを聴いてもらったらどんな反応をするだろう。「うわぉ!これはすごい!」とは言うかもしれない。でも「でもやっぱりスマートフォンで聴けないと不便だし」とも言いそうだ。タイパを重視して「気に入った曲だけ聴きたいんだけど」とも言うだろう。

 

曲をとばすという行為はCDから始まった。僕もそれにのっかった。素晴らしい機能じゃないかと。これなんかタイパの走りだ。今の若者のことをどうこう言う前に自分がタイパを実行していたんだ。

 

中学3年(15歳)から働き出してからの25歳くらいまでの10年間、レコードを聴いてきた。その後50歳くらいまでの25年間をCDで、そして約7年間をストリーミング配信で聴いてきた。その僕が33年ぶりにレコードを手に取って聴くようになっている。体を起こしてスピ―カーと相対しながら。A面が終わるとせかせかと立ち上がり、B面にうらっ返しにしてまた所定の位置に戻る。不便なことこの上ない。

 

食べ物や洋服と同じように品質を求めるなら、お金を使うしかない。音楽を聴くという行為は趣味でも何でもないことだから(つまり僕の生活になくてはならないものだから)、喜んでお金を使うだろう。そしてレコードを聴く際に付随する不便さも喜んで受け入れる。

 

それにしても、昔はこれ(レコード)が当たり前だったんだよな。その時に音質は・・・とかは考えないこともなかったけれど、それはあくまでもレコードというフォーマットを前提としての話だった。

 

 

そして、そんなに好きじゃない曲も我慢して聴いていた。そうしないと好きな曲がやって来ないからね。それにA面にはA面の世界があったし、B面にはB面の世界があった。A面1曲目の役割やA面2曲目の役割もあった。B面1曲目の役割は重要だった。B面ラストは言うまでもないだろう。

 

CDが登場した時に僕は持っていたレコードのほとんどを処分した。アップルミュージックで好きな曲を取り込めると知った時は、(一応好きな曲をパソコンに取り込んでから)CDのほとんどを処分した。そして今僕は、絶対確実に間違いのない作品のレコードを買い漁っている。

 

これを年寄りのノスタルジックと片付けるのはあまりにも勿体ない話である。別に昔に戻ろうぜとは言うつもりはないが、昔のものでもいいものはあるのだ(勿論今のものにもいいものはある)。いいものはわざわざ捨てることはないんじゃない?上手く共存していくにはどうしたらいいだろう。そんなことを考えた1日だった。

 

今週は1日休んだけれども、とにもかくにも何とか乗り切ることができた。めでたいことだ。4月の勤務日が終わった。お疲れさん。