hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ザ・キンクスよ、最後に1枚だけ頼むよ

イギリスのロック・バンドであるザ・キンクスの歴史をまともに書こうとしたらそれだけで3000字以上になって大変なことになる。何しろ(ザ・ビートルズは別格として)ザ・ローリング・ストーズ、ザ・フーと並ぶ1960年代から何十年にも渡って活躍したブリティッシュ3大ロック・バンドである。またザ・キンクスは1970年代末には「ゴッドファーザー・オブ・パンク」と呼ばれてもいた(はず)。もしかしたら「パンク」って何だ?って思うのかな、今の若者は。自分で調べてね。

 

こう書くとみんなに好かれていたんだな、と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、そんなことはなかったと思う。彼らが一番大衆に迎え入れられたのは1983年「カム・ダンシング」(アルバム「ステイト・オブ・コンフュージョン」収録)であろう。次がデビュー・アルバム(1964年←僕の生まれた年だ!)収録の「ユー・リアリー・ガット・ミー」になろうかと思う。

 

とにかく偉大なバンドである。しかしながら僕はリーダーのレイ・デイビスについては1回書いたことがあるが、このバンドについて書くのはこれが初めてである。忘れていたよ。ザ・キンクスについて書いたことがないとは困ったやつである。

 

今回は彼らの全貌を書くというより、「ザ・キンクスと僕」みたいに書いていこうと思う。

 

 

僕が初めて彼らに触れたのはご多分に漏れず(昭和30年代生まれの人なら分かってくれると思うが)、ヴァン・ヘイレンがカヴァーした「ユー・リアリー・ガット・ミー」(1978)からだった。イントロを聴いた瞬間「何だ何だこのかっこいいリフは」とロック初心者の僕でも思ったものだ。そして原曲がザ・キンクスであると知ったわけである。しかし当時の僕は原曲を聴いて「しょぼい」と思ったのであった。これも初心者だったからこそである。勿論後に彼らのカッコよさを知ることになってからは原曲の方を愛聴している。

 

その後1980年9月に、ロッキングオン松村雄策が彼らのライヴ盤「ワン・フォー・ザ・ロード」についての記事を書いている(タイトルは「レイモンド・デイビス、おまえは誰だ」名文である)。話が前後するが「ユー・リアリー・ガット・ミー」の原曲を聴いたのはこの記事を読んだ後だったと思う。

 

次に僕がザ・キンクスに触れたのは、渋谷陽一の「サウンドストリート」で「サニー・アフタヌーン」を聴いた時だった。「ユー・リアリー・ガット・ミー」とは方向性が全く逆の、のほほんとした曲である。これにとりつかれた僕はこの曲が収録されているアルバム「フェイス・トゥ・フェイス」(1966)を探したが僕の地元では販売されていなかった。そこで仕方なく「不良少年のメロディ」(1975)というアルバムを買った。ジャケットがマンガチックで今イチ好きになれなかったが、なぜか僕のセンサーが働いた。これは、大当たりだった。

 

このアルバムはザ・キンクス中期に当たるのかもしれない。コンセプトアルバム(ロック・オペラと呼ばれていた、と思う)を連続して発表していた頃の最後の作品だ(この作品発表後、彼らはレコード会社を移籍し、アメリカ向けのレコード作りをするようになる)。1曲目からいいんだよなあ。不良少年のメロディ、どんな内容なのか何となくしか分からなかったが、とにかく曲が秀逸だ。A面の頭からB面の最後まで知らず知らずに聴いていたことが何度あったろう。

 

そして大学に入ってから例の「サニー・アフタヌーン」が収録された「フェイス・トゥ・フェイス」を輸入盤で購入するのであった。全体としてはまあまあの出来だった。もしかしたら無理して聴いていたかもしれない。

 

同時にその頃バンドに加入することになった。バンド「SIDE B」のレパートリーの中にザ・キンクスの「バック・トゥ・フロント」という曲があった。「ギヴ・ザ・ピープル・ホワット・ユー・ウォント」(1981)収録の曲である。松村雄策は彼らの新作が出るたびに記事を書いていたからニューアルバムが出ていることは知っていた。リーダーにレコードを借りた僕は「バック・トゥ・フロント」を聴いて正直「うーん、もっといい曲あるのにな」と思ってしまった。そういえばもう1曲、「ヴィクトリア」(←1969年の「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」の1曲目)もレパートリーに入っていたな。

 

そして、またも時は前後して1983年。MTV全盛の時代に「ステイト・オブ・コンフュージョン」の発表だ。彼らはノリにノッていた。でもタイトルは「混乱状態」である。かっこいいたらありゃしない。さきほども書いたがシングル「カム・ダンシング」は大ヒットを記録する。続く「ドント・フォーゲット・トゥ・ダンス」も大ヒットだ。レイ・デイビスは調子に乗ってPVに登場していた。このアルバムは久々に自分で買った。愛聴したな。(←でも調べてみると最初は全然売れなかったらしい。MTVの恩恵を受けたのだろう)

 

その後、「ワード・オブ・マウス」(1984)をリーダーに借り、「シンク・ヴィジュアル」(1986)は未聴、ライヴ盤「ザ・ロード」(1987)は自分で購入(素晴らしい出来だった)。「UKジャイヴ」(1989)はCDで買った(まあまあだった)。そしてラストアルバム「フォビア」(1993)も購入した。ライヴアルバム「トゥ・ザ・ボーン」(1994)がほんとのラストになるのかな。どうも1996年に解散ということになっているらしい。このアルバムも素晴らしい出来だったなあ。レイ・デイビスは本も出版していたように思う。その頃は彼らが解散するなんて思いもしなかった。

 

大学時代はバンドリーダーにどっさりキンクスのアルバムを借りてカセットテープに落としていたから一応名曲と呼ばれているものは知っていたし、この場で紹介したいものは山ほどある。でもあろうことか「ローラ」と「ウォータールー・サンセット」という2大名曲の良さを知るのは50代に入ってからだった・・・。ホントに遅過ぎる男である。でも、57歳になっても「ユー・リアリー・ガット・ミー」に興奮できるっていうのは誇らしいことだと思っている。57年前の曲だよ。

 

それにしてもザ・フーも数年前にアルバムを出したし、ストーンズもキース曰くニューアルバムを作っているということだし、キンクスも力を振り絞って再結成して、ほんとのラストアルバムを作ってほしいものである。レイ・デイビス(兄)とデイブ・デイビス(弟)、1回だけ仲直りしてくれないかな。