hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

思えばターンテーブルにのりっぱなしだった

このブログを読んでくれている方ならご存じのように、僕はレコード生活を謳歌している。レコードをとっかえひっかえしては、スピーカーから流れてくる音にウットリしている。しかし、だ。

 

 

高校生の頃の僕は、レコードをとっかえひっかえしていただろうか?という疑問がさっき頭をもたげてきた。してないよな。お小遣いを貯めて購入したレコードの元を取ろうと(←ちょっと嫌らしい言い方だな)、一生懸命聴いていたはずだ。

 

 

つまり、買ったレコードはしばらくターンテーブルの上にのりっぱなしだったことになる。そしてどんなに何気なく聴いていても、段々とその音楽が体に入ってくる。メロディや声や演奏が耳に馴染んでくる。そしてある時気づくのだ。ああこれ(この音楽)は僕の身体の一部になったな、と。

 

 

そういう聴き方をした音は今でも僕の身体の中にあるのを感じている。だからこそ、昨年からのレコードブームでは、今まで聴いてきた作品を買い漁ったのだろう。一番身体に染み付いているのは何だろうな?

 

 

エルヴィス・コステロの「アームド・フォーセス」は確実だな。それにザ・ドアーズのセカンドアルバムもだ。ボストンの「ドント・ルック・バック」もそうかもしれない。そう思うと中3や高1の時に買った作品が未だに残っていることになる。僕がそういう聴き方をしていたのはCD時代になってチャボのソロアルバムを聴いていた時までだと思う。1990年頃までかな?

 

 

ところで最近、今まで聴いたことのない作品をレコードで購入しちゃうという記事を書いた。そしていいな、と思う作品のことをちょろちょろと書いてきた。この「ちょろちょろと書く」という行為が曲者で、まだ身体の中に入っていないということを意味する。これは勿体ない。素晴らしい作品だっていうことは分かっているんだから、もっと何回も聴いて身体に沁み込ませなくちゃ。

 

 

そういうわけで、今、ヴァン・モリソンの「アストラル・ウィークス」(1968)がターンテーブルにのりっぱなしだ。僕が立ってレコードプレイヤーのところに行くのは、A面をB面に換える時と、B面をA面に換える時だけだ。

 

 

暫くはこうしてヴァンの音楽に浸っていたいと思わされる作品である。この前も書いたがベースがいい(調べたらダブル・ベースって書いてあった。更に調べたらコントラバスのことだった)。ストリングスがいい。アコギの響きがいい。そしてもちろんヴォーカルもいい。

 

 

とか言いながら明日の記事で、ブラック・サバス最高って書いてるかもしれないけどね。こういうことに関してはほんとに節操がないからなあ(他の面で節操があるかと言ったら困るけど)。昨日はテレサ・テンとかカーティス・メイフィールドって書いてたしなあ。どっちもよかったんだけど、あの後ヴァン・モリソンを聴いてからは彼に痺れっぱなしなんだよね。

 

 

ところでヴァン・モリソンの音楽ってアルコール摂取をしたくなるようなものじゃない。僕は今、熱い麦茶を飲みながら聴いているが、ちっともお酒を飲もうという気持ちにならない。これも彼の音楽の特徴の一つかもしれない。

 

 

いや、ヴァン・モリソンだけじゃないかもしれないな。ちょっと思いつかないけど、お酒を飲みながら楽しめるバンドって少ないかもしれないな。ルー・リードストーンズでも飲みたいって気持ちにはならないかもしれない。うーん、でもブルースだったらウイスキーとか飲みたくなるかもしれないな。今度の休日にマディ・ウォーターズを聴いて試してみよう。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。おやすみなさい。