「厩戸王子」と書くだけで切なくなる

今日は忌野清志郎の命日である。あれは2009年のことだった。思えば本格的に僕の精神疾患が酷くなってきた頃でもあった。もう25年も経つのか。キヨシロー、今日は書かないけれど、またいつかブログに書かせてもらうからな―。これでも結構書いてるんだぞー。イエイ。

 

 

 

今日書きたいことは「日出処の天子」という作品についてである。これは山岸涼子による日本の漫画作品である。1980年から1984年にかけて「LaLa」に連載されていた。そして1983年度、第7回講談社漫画賞少女部門を受賞する。

ということは、大学時代には既に知っていたはずである。しかし、記憶は朧気である。確か聖徳太子の話であること、その彼が実は超能力者で・・・なんていうことは知っていたような気がする。多分僕はこの時点で何かスペースオペラ的なものを勝手に感じ取って敬遠していたのだと思う。大学の研究室でも話題になったことはなかったような気がする。萩尾望都の「ポーの一族」は全巻揃っていた研究室だったというのに。

 

 

 

まあ、今思えば超能力者どころか、うら若き大学生が扱うなんてとんでもないくらいぶっ飛んだキャラだったんで触らないことが正解だったのかもしれない。きっと密に読んでいた先輩はいるはずだ。僕が実際この本を手に取ったのは、大学を卒業してしばらく経ってからのことだったと思う。文庫版が出た時に全部買って貪るように読んだんだった。

 

 

あらすじはというと・・・(ウィキでいきます)厩戸王子(聖徳太子)と蘇我毛人(蝦夷)を中心に、主人公である厩戸王子が少年時代を経て、摂政になるまでを描いている。聖と俗、男と女という矛盾を抱える厩戸王子の圧倒的な存在感に加え、厩戸王子を天才・超能力者・同性愛者として描く斬新さが特徴。

 

 

夏目房之介は「戦後マンガ史に残る傑作である」と評価。不安定に変化する厩戸王子の表情に注目して、その変貌を「手塚治虫以来日本マンガに脈うつ男女変身譚および異人変身譚の最大の収穫のひとつだろう」と語っている。こういった表情は実に細かな描線で描かれており、薄い紙に模写したところで「1ミリの何分の1でも線が狂えば表情は変わってしまう」のだという。

 

 

僕もそう思う。これですよ、この表情。↓↓↓↓ 十代の若者をこんなに妖しく描いちゃったのだ。山岸涼子は。この表情が読者を狂わせるのだ。(無断に載せちゃってすみません)



 

そんな厩戸でもその超越した力が及ばないのが蘇我毛人だった。そしてこの2人が力を補い合っていろいろな奇跡を成し遂げていくエピソードが堪らなく切なく愛おしく感じるのだ。多くの読者はこの物語の政治的背景は覚えていなくても厩戸と毛人のエピソードなら勇んで語り出すことだろう。僕もそうだ。

 

 

例えば、厩戸が珍しくスランプ気味になっていてモノノケ達に寄り付かれている時、毛人が来て「それっ、それっ」とモノノケ達を追い払うシーン。「お前には見えるのか」と驚く厩戸。

 

 

例えば、厩戸しか吹くことができなかった笛を酔っぱらった毛人が「ピー」と吹く場面。「毛人が吹くと花びらが舞い落ちるんだ・・・私が吹くと雨か・・・」なんて暗くなっている厩戸に「さあ、吹いて吹いて」と酔っぱらった毛人が厩戸の肩に手を置いて言う。言われるまま吹く厩戸。そしたらバァ~っと盛大に花びらが舞い落ちるシーン。

 

 

雨乞いをしようとするが上手くいかない王子のために、毛人自身も一緒になって「王子ならできますよ」と言って、見事雨雲を呼び出す2人。

 

 

などなど思いだしたらキリがないくらい素敵なエピソードで満ち溢れている。しかしだからこそ悲しい。2人は結ばれない運命なのだ。身分的にも性的にも。

 

 

 

この度ブックオフで大判の「日出処の天子」を買い、今日までちびちび読んできた。しかし、それも今日で終わりだ。ああ、面白かったなあ。山岸涼子、天才だなあ。

 

 

この本は売らない。死ぬまでに何回も読み返す漫画第1位である。だからまたいつかこの物語について書く日が来るかもしれない。

 

 

 

 

こんな感じで今日はいいかな。

 

 

 

何だか投げやりな終わり方だったが、そりゃそうだろ。禁煙中なんだから。今日はコンビニに都こんぶが売ってないことに癇癪を起して(←大げさ)、ドジャーズの試合も見ずに金沢まで行っちゃった。そしておしゃぶり梅こんぶと都こんぶとパイの実とレコードをしこたま買ってしまった。おかげさまで、今のところ煙草は吸っていない。ほんとだよ。でもね、記事をアップしてから速攻で吸うと思うんだ。妻は今日も飲み会だしね。

 

 

 

今日はまあそんな荒んだ気分で1日を過ごしてました。でも「日出処の天子」をゆっくり読むことができた日なんだからよしとしよう。

 

 

 

それでは。