hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

おばけ、あるいは幽霊を見たことがある?

と問われたらば、「ある」と答えるしかあるまい。

 

子ども達はおばけの話が大好きである。いつの時代もどの学年からも「話をして~」と求められるのだが、僕はこの類の話はしたことがない。僕が体験したことは、あまりドラマティックじゃないからだ。今日はこの話題に挑戦してみようと思う。

 

それは幼稚園に通っていた時のことだった。多分幼稚園の行事だったと思うが、花見をしに兼六園に行った日があった。そんなに行事に慣れていなかった僕は興奮していつもより遅くまで起きていた。一緒に行った母や姉も結構高ぶっていたと思う。しかし僕だけ早く寝るように促され、渋々2階の寝室に入った。当時僕はまだ両親と川の字になって寝ていた。8畳くらいの部屋だった。

 

寝室に入った僕だが、いつものようには寝られない。そのままじっとしていると、遠くの方からガラガラと戸が開く音が聞こえた。聞き覚えのある音だった。しかし何となく聞いていた僕は何の音なのかは特に気にしていなかった。再び同じガラガラという音がした。ここで僕はやっと思い至った。このガラガラは縁側の戸の音だ。2回目のガラガラは縁側の戸を閉めた音だろう。母が開けているのだろうか。洗濯ものでも取り込んでいるのだろうか。まだ僕は事の異常さに思い至っていなかった。

 

ガラガラ。うん?母は下の居間にいるぞ。姉や父?開けるはずがない。誰かが外から入ってきて戸を閉めたとしたら・・・。僕は背筋がゾワッとした。しばらくするとカタカタとさっきより乾いた音がした。これは姉の部屋の戸を開ける音だ。縁側からだんだん近づいてきている。背筋のゾワゾワに加えて鳥肌が立った。もう一度カタカタという音がした。姉の部屋に入って戸を閉めた音だろう。僕のいる寝室まであと少しだ。僕は固唾を飲んで音を聞いていた。またカタカタという音がした。姉の部屋を出た音だ。僕のいる寝室までもう少しだ。再びカタカタ。姉の部屋を出た。僕は僕のいる寝室の戸を開けないでくれ、と願った。しかし、遂に寝室の戸が開けられた。頼む、お母さんかお父さんであってくれ。僕はそうではないことを確信しながらじっと戸の方を見ていた。

 

そこに現れたのは、お化けだった。いや、お化けというか幽霊というか。とにかくこの世のものではないことは確かだった。寝室の空気がサッと変わったのが分かった。幽霊は笑みを浮かべながら何かもの言いたげにしている。僕は「うわあ~」と震え声で叫びながら、幽霊の横を通り抜けて階段を走るように降り、みんながいる居間に飛び込んだ。

 

みんな何事が起きたの?という顔をして僕を見ていた。「ゆ、ゆうれいが出た!」と僕は父と母と姉に言った。みんなキョトンとしている。「ゆうれいが出たんだよ」と僕はもう一度言った。みんな笑っている。僕は笑われながらも現実の世界に戻ってこられたことに深く安堵していた。「じゃあ、一緒に見に行く?」と母に言われたので、首をブンブンと振って断った。「じゃあ、見てきてあげる」と言ってさっさと2階に向かった。僕はドキドキしながらももういないだろうな、と思っていた。そして信じてもらえないだろうな、とも。案の定母は「誰もいなかったよ」と言った。父か姉が「夢を見たんじゃない?」と言った。僕はもう二度と一人で寝室には行かないと心に決めていたし、母達もそれは分かったようだった。

 

「どんな幽霊だったの?」と聞かれた僕は「着物を着た女の人で・・・」と言い、あとはどう言っていいのか分からなかったので言い淀んでいた。結局僕は父母が寝るまで一緒に居間にいた。幽霊は出なかった。それ以来寝室で眠ることは出来なかったというと、そうではなかったような気がする。ここら辺の記憶は定かではない。しかし僕のことだから、しばらくは絶対に一人では寝なかったはずだ。

 

 

何年か経って、その話題になった時に父が「じゃあどんな顔だったか描いてみろ」と言われたので描こうとしたが、描けば描くほど見たものとは遠く離れていくような気がした。それを見た父は「こんなの、いるわけない」と言い笑い飛ばされた。それ以来、お化けというか幽霊の話は誰にもしていない。しかし僕は今でも確信している。戸が順々に開いていく音のおぞましさ、僕のいた寝室の戸が開いた瞬間、そして入ってきた幽霊の姿。あれは夢でも幻覚でもなく、現実だったということを。50年近く経った今でも僕は自信を持って言うことができる。僕は幽霊を見たことがあるのだ。1回だけ。

 

 

というわけで、昨日に引き続きどーでもいい話でした。前に飲み会でJUNさんに「書くネタがないんですよね」と言ったら、「普通の出来事をいかに面白おかしく書いて読者に読ませるかが物書きっていうものだろう」と言われた。まあ物書きではないが、何かを書いていたいという気持ちは相変わらず強く持っている。そういうわけで僕は最近こういったどーでもいい話題をどう書こうか、という挑戦をしている。

 

僕の書く文章に足りないものは描写する場面だということを一応は自覚している。前々からうっすらと分かってはいたが、最近再びお話を書くようになってから、決定的に思い知らされている。バーに行った場面を書いたのが、読み返すと全然バーの様子が分からない。そんなのはすっ飛ばしていきなり会話の応酬が始まる。人物描写もない。きっと僕は、ものを正面から見ていないのだ。だから伝えなければいけない一番大事なことがスコンと抜け落ちる。授業にしてもそうだ。この時間はここが胆だということをよく理解していないまま授業をする。そして参観者に指摘され、「ああ、そうか・・・」と気づく。本を読む際の読者としても同じだ。何かを描写している文章は軽く読み飛ばしている。ホテルやアパートの部屋の様子や常緑樹の葉っぱの様子などどうでもいいとばかり、読み飛ばしているのだ。興味があるのは人物が何を言い、何をしたか、のみだ。とはいえ何となく風景は思い浮かべながら読んでいるような気がする。そこがわずかな救いなのかもしれない。

 

それで、今僕が何をしているかというと村上春樹の「1Q84」をできるだけゆっくり読む、ということに挑戦している。「1Q84」は、よくもまあこんなに書くことがあるな、というくらい一つの事に対して克明に、あるいは大胆な比喩を使っての描写が続く。もちろん読んでいるだけで描写力はつくはずもない。それは重々承知しているが、今は読まずにはいられない。僕に必要なものは映画でいうとカメラだ。カメラが僕の頭の中に設置されれば、そこから通して見えることを書けばよいのだ。ということまでは何となく分かってはいる。まあ、このブログはまだ続けたいという気持ちはあるから、少しずつ描写する力をつけていきたいものである。