只今午前2時。中途覚醒の方は相変わらずである。でも5時間ほどは寝られたかな。だから元気よく何かを書いてみよう。
深夜に文章を書く場合、勢いに任せて書いちゃうので、日中に大分推敲しなければいけない事態に陥りがちだ。何でだろうね。生々しすぎるのかな。
今日は、ニール・ヤングについて書いてみるぞ。
最近ニール・ヤングのセカンドアルバムというか、彼が初めてクレイジー・ホースと組んで作ったアルバムを聴いたんだけど心が掻き立てられた。正直言ってこんな気持ちになったのは久しぶりのことだ。
掻き立てられるとは、「心を刺激し、ある心情を強く起こさせるさま」だそうだ。
いやー、確かに心が刺激されちゃったよ。特に「ダウン・バイ・ザ・リバー」と「カウガール・イン・ザ・サンド」。この2曲で聴くことができるニールのギターソロは圧巻である。なんで今まで聴かなかったのだろう。大失敗である。
彼のその後の轟音ギターの原型がここにあった。繰り返すが、これを今まで聴かなかったことは人生における大失敗のひとつである。
「ダウン・バイ・ザ・リバー」なんか、ソロの初めは僕でも耳コピできそうな簡単なフレーズが続く。しかし魂の入り具合が半端ない。こんなに簡単なフレーズを誰にも真似できないように弾くニールは凄い。その後、徐々に指の動きが速くなり、だんだん混沌としてくる様も素晴らしいとしか言いようがない。
この2曲のギターソロこそが「ヘヴィロック」のギターソロだ。流麗さは欠片もない。見えるのは混沌とした何かを必死で表そうとしてもがいているニール・ヤングの姿である。僕は持っているニール・ヤング詩集を取り出して歌詞を調べてみた。全文引用させてもらおう。
「ダウン・バイ・ザ・リバー」
ベイビー、僕のそばにいておくれ それとも僕がそばに行こうか
身を隠す理由なんかないじゃないか ひとりでこんなところにじっとしているのはたまらない
きみなら僕を連れ出してくれるだろ
あの娘なら僕を引きずっていき 虹の彼方に追っ払うこともできたはず
あの川のほとりで ベイビーを撃っちまった
あの川の岸辺で横たわる死体 僕は恋人を撃ち殺してちまった
僕の手を取っておくれ 僕は君の手を取ろう
一緒に逃げるんだ ずらかるんだ
こんな狂気と悲しみだらけの時代から
何ひとつうまくいきっこない今日からおさらばしようぜ (室矢憲治訳)
前にニールの詩を書いた時にも拳銃で撃ったとか物騒なことを歌っていたような気がするが、彼にとっては比喩でも何でもなく(勿論実際に撃ちはしないが)、非常に切迫した気持ちを表したものなんだろう。
「狂気と悲しみだらけの時代」と言うが、狂気と悲しみを纏っているのはニール・ヤング自身ではないだろうか。それが最も我々に伝わりやすいのが、ギターソロということになる。
「掻き立てられる」のもう一つの意味は「ある心情を強く起こさせる」だ。僕も「ダウン・バイ・ザ・リバー」を聴いてそうなった。
それは歌を書きたいという欲求だ。昨年は映画「パーフェクト・デイズ」を観ておんなじような気持ちになった。でも途中で挫折した。今回もこのアルバムを聴いていろいろな言葉が頭を飛び交うようになった。こんな歌を書きたいという朧げなものは浮かんだが、形になるかどうかはまだ分からない。
取り敢えず3時になったのでもう一度布団の中に入ろうと思う。それでは。
やっぱりこのまま記事をアップするのは恥ずかしいね。歌を書きたいだって。何をそんな大それたことを思ったのだろう。でも面白いからこのままにしておこう。
アルバムの話に戻るけれど、聴くたびに気合を入れなきゃいけなくなっている。何度も書くが久しぶりにのんびりと聴くことができないアルバムに出会ってしまったな。
じゃあ、今度こそ終わることにしよう。おやすみ。