hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

来るぞ来るぞ&来たぞ来たぞ

一体全体誰の何が来るのか?クリント・イーストウッドの新作映画が遂に来るのだ。やったー。「運び屋」(2019)は僕の体調が悪くて映画館で観られなかったし、リアルタイムで(映画館で)観るのは2010年「ヒア・アフター」、2011年の「J・エドガー」、2012年の「人生の特等席」(出演のみ)以来だ。最初の2作品はクリントの監督作品であって彼自身は出演していない。だから僕が映画館で観る初めてのクリント・イーストウッド主演・監督映画が新作「クライ・マッチョ」ということになる。もしかしたらこれが最後になるかもしれない。今91歳だよ、91歳。どうなってるんだろう。

 

「クライ・マッチョ」は、監督デビュー50周年、40作目の記念作品だということだ。日本での公開は来年1月14日。ちょっと引用しますね。

 

「落ちぶれた元カウボーイと少年の旅を通して語られる«人生»とは?喜びや悲しみを背負い、なお人生を歩み続ける、生きる上で必要な«強さ»とは何かを温かく、時にユーモラスに時に切なく語りかける。40年前から検討されていた原作の映画化に、イーストウッドが満を持して向き合った本作は、まさに彼の集大成にして新境地ともいえる作品だ」(ヤフーニュースの記事から)

 

「人生」ものか。ああ、楽しみだなぁ。「少年」と言えば「グラン・トリノ」を思い出すが、どんな感じになるのかな。何にせよ、期待を裏切ったことはほぼない(裏切られたことはあるよ、勿論。大人なんだから。「マディソン郡の橋」とかね)クリント・イーストウッドのことだ。素敵な作品であることは決まりだろう。

 

それにしても元カウボーイか。僕としては「そこに戻ってきたか」という思いだ。「夕陽のガンマン」「許されざる者」「ペイルライダー」(僕としては「ブロンコ・ビリー」も入れたい)。カウボーイ、というアイデンティティ?じゃないか、キャラクターは、彼にとって忘れられないほど、そしてかけがえのない大切なものなのだろう。それにしても40年前から検討されていたってのもすごいな。僕はその頃まだ十代だよ。91歳は、やることが違うね。もしかしたら「(最後に)やり残している」感があったのだろうか。

 

東京国際映画祭でのオープニング作品になったというニュースもあった。早く観られる人が羨ましい。

 

日本版予告を観たがもうクラクラするぞ。

 

息子「昔は強かった«マッチョ»んだろ?」

父(クリント)「昔の俺はすごかった。だが今は違う。男は«マッチョ»に憧れる。すべてを手に入れた気になるが、ある日その無意味さを知る。だが、俺は変えようと思う。これからの人生のために」

 

91歳のクリント・イーストウッドがこんなセリフを言うんだよ。かっこいいに決まっている。こいつは買いですぜ、奥さん。

 

 

 

 

来たぞ来たぞの方は、昨日書いたローリング・ストーンズ「タトゥー・ユー」(スーパー・デラックス)である。まあ、例によってまた「スーパー」である。

 

 

構成は、1~11が通常の「タトゥー・ユー」の2021年リマスター版。次の9曲が未発表音源。その後が、「ライヴ・アット・ウェンブリー」26曲。となっている。

 

一番の聴きどころは9曲の未発表音源であろう。ちょうどよい曲数だ。そして怒涛のライヴ26曲。コンサートの最初から最後まで聴かせてくれる。大体同じセットで「ライヴ・アット・リーズ」という映像作品を観たが、「スティル・ライフ」の完全版みたいな感じだった。

 

取り敢えず、通常の「タトゥー・ユー」11曲を聴いてみた。このアルバムには思い出がいっぱい詰まっている。1981年リリースされたわけだから、思春期真っ盛りである。ジャズ界の重鎮ソニー・ロリンズも参加していたな。

 

それに加えてMTVである。何回「スタート・ミー・アップ」を観たことか。「ハング・ファイア」「ネイバース」「友を待つ」のMTVもあったな。「友を待つ」では、街をふらつくミック、街中に溶け込んでいるキースの姿がかっこよかった(後に「ワン・ヒット」のMTVでミックに喧嘩をふっかけるキースとは大違いだ)。

 

僕は3曲目の「スレイヴ」が好きだった。こういう粘っこいナンバーが耳に馴染むようになったのはストーンズのおかげである。もうずっと演奏し続けていてもらいたい、って感じの曲だ。次の「リトルT&A」はキースのヴォーカル。ロックンロールである。「ブラック・リムジン」は後にロニーが「オレが作った」みたいに言ってミックやキースも認めていたように思う。「ブルー&ロンサム」に入っていてもおかしくないナンバー。「ネイバース」は前作「エモーショナル・レスキュー」で言うと「シーズ・ソー・コールド」みたいな単純なロック・ナンバー。当時は好きだった。ここまでが当時のA面。B面は所謂バラードものが続く。そうだった。このアルバムはA面とB面でその性格がはっきり分かれているんだった。

 

「ウォリド・アバウト・ユー」では前半ミックのファルセットが冴える。その後力いっぱい歌うのだが、その落差が気持ちよかった。「トップス」「ヘヴン」は何となく聴いていたが、今聴くと手癖で作っていたのかなあとは思うけど、しみじみとしていていい。「ノー・ユーズ・イン・クライング」、これもしみじみ系だったが当時から好きな曲だった。最終曲は「友を待つ」である。この曲もしみじみ度数が高い。当時少年だった僕にもじわじわとその良さが分かる、そういう曲だった。分かるようになったのは確実にMTVの映像があったからである。ミックとキース、仲良さそうだな、と思いながら観ていた。ソニー・ロリンズのサックスもカッコよく聴こえた。

 

改めて通常の「タトゥー・ユー」を聴くと、ここまでA面B面の性格がはっきり分かれているのは後にも先にもこのアルバムだけではないだろうか、と思った。そしてそれが功を奏している。1970年代の「余り物」で作った割にはよくできている。そしてこのアルバムで僕はミックのヴォーカルを完全に好きになった。

 

未発表音源の話は今度にするか。深夜午前2時、いいものを聴くことができたよ。

 

ところでザ・バンドカフーツ」の50周年記念盤も出るらしい。昨日も書いたが、ちょっとこんなんで商売しすぎじゃないか?昨年今年と「何周年記念」と銘打ってリリースされる作品が非常に多い。僕は明日ジョージ・ハリスンの「クラウド・ナイン」(1987)を再び聴こうとしているのに。でも「スーパー~」のおかげで記事を書けているのも事実だ。