20分間の「ビカミング」と175分の「国宝」

只今午前4時。こんな時刻に文章を書くのは実に久しぶりだ。最近は途中で目が覚めても、もう一度寝床に行って眠ることができていた。だからこんなことはもう訪れないと思っていたのに、今は何か書きたい気分である。頭が冴えている。これを逃す手はあるまい。

 

 

先週の金曜日に、レッド・ツェッペリンの伝記映画(になるのかな)「ビカミング」を観に金沢まで行ってきた。前日に調べてみると、毎日1回の上映でそれが8時55分からだった。金沢IMAXは、僕の家からは1時間ほどである。そのため躊躇したがこれは観ておかねば、と思い出かけることにした。

 

 

しかし僕は仕事から遠ざかっていることもあり、出発時刻を見誤ってしまった。通勤ラッシュに飲み込まれた僕はイライラしながら映画館に向かった。もう8時55分を過ぎている。しばらく新作映画の予告があるだろうから、まだ間に合うはずだ。

 

 

着いたらもう既に9時を大幅に超えていた。しゃーない、ここまで来たんだから途中からでも観ようと思って映画館には行ったら、まさに今始まるところだった。「ラッキー」と思った僕は席に着いてカウントダウンから始まる映像を観ていた。

 

 

そしたらいきなり「グッドタイムス・バッドタイムス」が大音量で流れてきた。かっこいいじゃん、さすが映画館のオーディオ装置は違うねと思った(あとでレビューを読むと音響はそうでもなかったという意見の方も散見されたが、僕としては満足だった)。

 

 

そしてメンバーの生い立ちを振り返るところから映画は始まった。まあ伝記映画なんだからそうだろうなと思いながら、ふうんなるほどなるほどという風に観ていた。そしてジミー・ペイジスタジオミュージシャンになった頃かな、僕はあろうことかうつらうつらし始めた。そこからの記憶は切れ切れだ。

 

 

きっと車の運転のイライラと眠剤の残りが僕をそうさせたのだろう。映画館で眠ることなんて今までなかったのに。この映画は122分あったんだぜ。それに3000円も払ったんだぜ。

 

 

でも、ほとんど観てない僕が言うにもなんだが、ツェッペリン初心者にはちとツラい映画だったんじゃないかな。多分ほとんどが、誰かの回想で時々ライヴの様子が入る、という構成だったように思う。これじゃあツェッペリン初心者は分かったような分からないようなモヤモヤした気持ちになったのではないだろうか。僕はバンドの音が鳴るたびにハッと気づいて聴いて、再び眠るということを繰り返していた。

 

 

とはいえ、お客さんのほとんどは僕と同世代の人がほとんどだった(暗がりの中でもそれは分かった)のでそんな心配は杞憂に過ぎなかったのだろう。意外だったのは結構人がいたことだ。朝の9時から映画を観る暇がある人なんてお年寄りに限られているよな。

 

 

でも最後の最後の場面はさすがに目が覚めてしっかり観ることができた。ジョン・ボーナムが生前メンバーについて語っている場面である。彼の音声とともに3人の顔が映し出されている。3人とも言葉には表せない何とも言えないような顔をしていた。このシーンを観ることができただけで3000円の価値はあると思った(←ちょっと大げさ)

 

 

最後のシーンを観終わって清々しい気持ちになりつつ、同時に「ああ、122分の映画の20分ほどしか観れなかった・・・」という虚しさも抱えトボトボと家に帰った。

 

 

 

そんな不完全燃焼な日があったからかどうかは定かではないが、一昨日の夜に僕は「『国宝』ってまだやってるかな?」と思ってしまった。調べてみると近くの映画館でやっている。しかも10時10分からだ。どうする?175分あるけど、大丈夫?と思いつつ、昨日の朝に決心をしてチケットを買った。

 

 

 

みんなが国宝国宝って騒いでいる意味がよーく分かった。素晴らしい映画だった。この映画を観てあまりにも感動したから、僕は今こうして文章を綴っていると言ってもいい。つまり、心が動いた(=感動した)んだよね。

 

 

あらすじはなかなかベタなんだけど、それを凌駕する歌舞伎の世界の描き方にきっとみんなは驚いたんだろうと思う。あまりにも美しい2人(横浜流星吉沢亮)の舞いとセリフ回し。それを映画ならではの手法(ある時はドアップ、またある時は俯瞰で、とか)でとことん見せてくれる。175分間中だるみは一切なしで僕は微動だにせず只々映像に見入っていた。まだまだ2人が演ずる歌舞伎を観ていたいと思った。

 

 

それにしても最近の俳優は凄い。特に若い役者は素晴らしい。こんな演技をするのに一体どれだけの時間を使ったんだ?ってくらいの熱量だった。最近ネットフリックスの「グラスハート」(バンドの青春物語、みたいな話)を観たのだが、こちらも凄かった。楽器をマスターするのに一体どれくらいの練習を重ねてきたんだっていうくらいの作品だった。

 

 

これからは、「国宝」や「グラスハート」のように特殊な技能が必要な作品が求められていくような気がする。もう手術シーンが上手いとか手話が上手いとかのレベルじゃないんだよね。

 

 

 

さあ、今日も文章を書くことができた。1時間集中すればまだ今の僕でも書けることが分かった。でも、心が動かないと書く気持ちにならないことも分かった。

 

 

 

僕はかれこれ5年ほど、このブログを続けているが、その間は心が動きっぱなしだったと言えるのかもしれない。それが今はそうではない。これってもしかしたら病気が寛解に近づいているということなのかもしれない。双極性障害としての僕の特性は、良くも悪くも頭が回転し過ぎることだと思っている。その回転がゆるくなっているor 時たま発動するっていうことは僕にとっては良いことなのかもしれない。そう思うと、「記事を書いていない・・・。どうしたもんかな」という気持ちから解放されるかもしれない。

 

 

 

気分がいいのでもうひと眠りしてみようかな。

 

 

 

それでは。