今頃分かってももう遅・・・くはない!

最近唖然とすることが頻発している。何のことかというと、僕の漢字力のなさだ。正確に言うと、正しく読めていなかったということだ。例えば昨日「示威的」という言葉を「じいてき」と読んでいる人がいて、「何言ってんの、『しいてき』でしょ」と思った。

 

 

しかし、もしかして、と思い調べたら「じいてき」と読むことが正しいことが分かった。「しいてき」だと「恣意的」になってしまう。一体僕は何十年「示威的」を「しいてき」と読んでいたんだろう。

 

 

まだあるよ。「罹患」だ。僕は長い間「りかん」だという風に認識していた。しかしこれはちょっと自信がなかった。しかし昨日妻に「隠れインフルエンザ」が増えているらしいことを告げようとして、「あー『りかん』してるかもね」と言ったら「『らかん』でしょ」と一笑に付されてしまった。

 

 

 

こういうことが何故だか最近多いのだ。YouTubeではよく「そこは音読みじゃなくて訓読みだろ!」とツッコむことが多かったが、自分の漢字を正しく読む力がこんなに貧相なものだと思い知らされてへこんでしまった。

 

 

しかし、と僕は思う。いくつになっても間違っていたことが分かればそれでいいじゃないか。今からでも遅くはない。それにもう社会というか仕事というかそういうものからは離れているのだし、気にすることじゃない。だから今からでも遅くはない。漢字を正しく読む力をつけるのだ。と決心した。

 

 

決心したら、僕は行動が速い方である。すぐにAmazonで「読み間違えやすい漢字」で検索すると、「読めそうで読めない間違いやすい漢字 大全」という本を見つけた。レビューを見ると、「この歳になっても読めない漢字の何と多いことか」など、年配の方にも人気のようである。僕は迷わず注文した。

 

 

 

それが昨晩のことだった。実はもういっこ「今頃分かった」ことがある。これも昨晩のことだが(妻は飲み会でいなかったから僕は大いに羽を伸ばせた)、「みのミュージック」で「歌詞がいい邦楽」(数年前の動画だ)を観た。動画を観て「なんてこったい、今頃ぶっ刺さるなんて」という歌詞ばかりだった。少し紹介してみよう。

 

 

 

いや、やっぱり思い切ってみのが紹介した歌詞を全部書いてみよう。時間もあることだし。

 

 

井上陽水

 

まずは、みんな知ってるパフィーの「アジアの純真」(1996)である。

 

 

“北京ベルリンダブリンリベリア 束になって”

“イランアフガン 聴かせてバラライカ”

“美人アリランガムランラザニア マウスだってキーになって”

“気分イレブンアクセス試そうか”

 

 

これに勝る日本の歌詞はあるのだろうか?なんちゃって。知ったような口を聞いてしまったが、それでも折に触れ「パフィー聴きたい」ってなった時にはこの曲から聴いている。NHKで初めてパフィーが映像デビューした時のことを覚えているんだけど、「ヘンな歌詞だなー」と思った記憶がある。

 

 

次は、国民的ソングと言えばいいのだろうか。「少年時代」(1990)である。

 

 

“夏が過ぎ 風あざみ”

 

 

この曲はもちろん知っているし、よく解説されている(「風あざみ」は陽水の造語だとか)。でも、みのの解説を聞いて「うーん、素晴らしいよね、この歌詞」って改めて思った。この歌い出しだけで名曲確定である。

 

 

最後に、日本初のミリオンセラーになったアルバム「氷の世界」(1973)からのタイトル曲。

 

 

“窓の外ではリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り”

“きっと誰かがふざけてリンゴ売りのまねをしているだけなんだろう”

“僕のTVは寒さで画期的な色になり”

“とても醜いあの娘をグッと魅力的な娘にしてすぐ消えた”

 

 

まず「リンゴ売り」ってなんだ?っていうのが、みなさん思うところだろう。僕もそう思う。それに「TVは寒さで画期的な色になり」というラインもカッコいい。1973年に生まれた歌詞だよ。今、こんなぶっ飛んだこと言う人いる?っていうわけで、みのは、一番に井上陽水を採り上げていた。

 

 

 

 

荒井由実

 

映画「魔女の宅急便」のエンディングソングとなった「やさしさに包まれたなら」(1974)である。

 

 

“小さい頃は神様がいて 不思議に夢をかなえてくれた”

“やさしい気持ちで目覚めた時は おとなになっても奇蹟はおこるよ”

“カーテンを開いて 静かな木洩れ陽のやさしさに包まれたなら”

“きっと 目にうつる全てのことは メッセージ”

 

 

 

こちらもまずは歌い出しから素晴らしいと言うほかない。みんなに「そう言えば、そう(小さい頃、神様がいた)かも」と思わせる。「きっと目にうつる全てのことはメッセージ」って、言われちゃあ、人生前向きにもなるっていうもんである。ユーミンは、「翳りゆく部屋」とか他にもたくさんいい歌詞があると思う(ゴメン、まだ確かめてない)。

 

 

 

 

柳原陽一郎(たま)

 

イカ天と言って今分かる人はどれくらいいるんだろう。「さよなら人類」(1990)である。

 

 

“今日人類がはじめて 木星についたよ”

“ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ”

 

 

この歌詞が全国区になるなんて、一体どんな時代だったんだ?と思ってしまう。でも、この曲が大ヒットしたのは痛快な出来事だったことは間違いない。

 

 

 

 

坂本慎太郎(ゆらゆら帝国)

 

僕は、残念ながらゆら帝を通過していない。これは、かなり後悔している。彼らのラストアルバム「空洞です」から「あえて抵抗しない」(2007)です。

 

 

“さしずめ俺は一軒の空き家さ 垣根も鍵もついていないつもりさ”

“住もうが 焼こうが 好きにしな もししたいのなら”

“さあ やるがいい さあ やるがいい”

 

“さしずめ俺はちょっとしたくぼみさ 特別邪魔になっていないつもりさ”

“掘ろうが 埋めようが 好きにしな もししたいのなら”

“さあ やるがいい さあ やるがいい”

 

 

 

これは深い。深すぎるが、この人生観(或いは人生訓)とでもいうべき歌詞を書く坂本慎太郎についてはついこの前書いた。こういう歌詞を目の当たりにすると、言葉が浮かんでこないと言うのが正直な気持ちだ。歌詞について語るなんて、ナンセンスじゃないかとさえ思ってしまう。

 

 

 

 

松本隆

 

大御所である。それもずうっと大御所であり続けている。この曲が収録されている大瀧詠一の「ロングバケーション」も実はリアルタイムではほとんど聴いていなかった。そのアルバムから「カナリア諸島にて」(1991)である。

 

 

“時はまるで銀紙の海の上で溶け出し ぼくは自分が誰かも 忘れてしまうよ”

“防波堤の縁取りに流れてきた心は 終着の駅に似て ふと言葉さえ失くした”

 

 

 

これはもう文学じゃないか、なんてことを思ってしまう。情景が思い浮かぶようで何となく滲んでいるような気もする。井上陽水とはまた違った意味で唯一無二の存在だと思う。

 

 

 

 

真島昌利(ザ・ブルーハーツ)

 

ザ・ブルーハーツは、かなり僕の血肉となっているのだが・・・。実はいろんな人から「『青空』最高」という言葉をいただいたし、このフレーズも知っていたのだが、今頃胸にズキュンときてしまった。「青空」(1989)である。

 

 

“神様にワイロを贈り 天国行きのパスポートをねだるなんて本気なのか?

 

 

 

マーシーの歌詞には痺れっぱなしなんだけど、このラインもロックしてるなーって今更ながらに思う。陽水とはまた違った意味でこんなカッコいい歌詞を書ける人は現在日本にはいない。この曲は、僕のiPhoneには入っていないはずだ。悔やまれるところである。

 

 

 

 

僕は、忌野清志郎や遠藤ミチロウ、浅井健一、友部正人、仲井戸麗市などといった人の歌詞が身に沁みついている。だからこそ、今日書いたアーティストの歌詞を改めて噛みしめて読んでみると新鮮であると同時にいいなあと思ったのかもしれない。

 

 

 

 

以上、今頃分かっても、それは決して遅くはないというテーマで書いてみました。

 

 

 

 

今日は、超絶あったかい日である。まだ2月なのにどういうことだろう。でも気分はいいので◎である。

 

 

 

 

それでは。