昨日の精神科受診は辛かった。出がけに財布を忘れるやらなんだで病院に着くのが遅くなった。そこからが長かった。僕の受付番号は53番だったんだけど、行った時には46番の人が呼ばれていた。「これは長くなる」と思った僕は、心の準備をした。案の定一人の診察時間が異様に長い。結局僕が呼ばれたのは、1時間経ってからであった。午前中ならいいんだけど、今日は15時半診察予定で、呼ばれたのが16時半過ぎというのは辛い。一日が終わっちゃう。こういう時は主治医も疲弊しているはずである。
だから普段ならこういう時に呼ばれたら、「先生、ちゃちゃっと終わらせましょう。睡眠は相変わらずです。授業は低空飛行を続けています。以上です」と言ってこっちが気を遣ってしまう。まあ薬をもらいたいだけだからそれでいいのだ。しかし、そういう時に限って主治医は、どうでもいい蘊蓄話なんかを話し始める。心の中で「いや、無理しくていいっすよ」と思いながらも相槌を打つ僕だ。結局結構な時間、僕のために使ってくれるのだが、今日は申し訳ないがこちらにも事情がある。長くなるけどごめんね、と思いながら診察室に入った。
いつもは(患者なのに)「混んでますね」とか言っちゃって先生を労う言葉から始めるのだが、今日は本題からだ。「えーっと、人間ドックで血圧がひっかかって、降圧剤を飲んだ方がいいと言われましたが、精神科にも内科があるから、そこで処方してもらいなさいと言われました」と言うと、「はぁ~。そんなこと言うんか。こっちは患者の精神を見てるんだから体はそっちで見てほしいもんだわ」とプンプンになっていきなり辞書をひき始めた。
辞書をひきながらも「あーもうっ」とブツブツ文句を言っている主治医。もしかして先生が処方するのかな?まだ言わなきゃいけないことあるんだけど、どうしよう。もう言っちゃえ。
「先生、それで僕は『睡眠時無呼吸症候群』って診断されて重症っていわれたんですけど・・・。今CPAPを付けて寝ています」と言ったら即答された。これまでも自分の悩みを言って即答されて驚く僕だったが、今回も驚いた。だって「それはよかったんね」って言うんだもん。「へ?」と言うしかない僕に先生は「だって原因が分かってこれから眠れるようになるんでしょ?頓服、どうする?」先生はまだ辞書をせわしなくめくっている。「頓服、下さい」と言ってまだ辞書をめくっている主治医を固唾を飲んで見守っていた。「降圧剤はちょっとしたコツがあるんや。血圧どれくらいなんや?」「180と110くらいです」「ふーん、高いんね」と言い、やっと薬が決めた先生はサラサラとメモし始めた。
「取り敢えず、これ出しとくから。あっちでこれ飲んでるけどいいですか?って聞いてな」と言って診断は終わった。ふう、疲れた。所要時間約5分だった。清算を済ませ、今度は薬局だ。こちらはスムーズに事が運び、家に着いたのが17時30分頃だった。家を出て2時間は過ぎている。今日はぶり大根を作っておいたが、後は予定のものを作る気力がない。妻に頼んで「チャンピオンカレー(地元のカレー屋さん)のLジャン(カツカレー)ルー増量」を買ってきてもらった。
病院、薬局にいる間、僕はアップルミュージックで今後聞きたいアーティストを探し半ばやけくそで次々と取り込んでいった。家に帰った僕のiPhoneには10㏄「びっくり電話」(1976)レッド・ツェッペリン「イン・スルー・ジ・アウトドア」(1979)、XTC「オレンジズ&レモンズ」(1989)、エルヴィス・コステロ「スパイク」(1989)、アップルミュージックの「はじめてのザ・キュアー」「はじめてのモリッシー」が取り込まれている。しっかし本当に1990年代がないなー。まあザ・キュアーとモリッシーで2000年代まではカヴァーできるだろう。
これを1週間で聴こうというのだ。さあ、忙しくなるぞ。
というわけで、病院でいろいろチェックしている時にツェッペリンの「イン・スルー・ジ・アウトドア」を聴いちゃった。1曲目の「イン・ジ・イブニング」はDVDで聴いている。というか、初めて聴いたのは中学生の時だった。「イン・スルー・ジ・アウトドア」発売直前に渋谷陽一が僕の住んでいる町にやって来たのだ。そのトークライヴは、ここだけの話ツェッペリンの最新アルバムを全部聴かせちゃうよっていう触れ込みだった。しかし渋谷は「ごめんなさいね。1曲だけOKが出ました」と言って「イン・ジ・イブニング」をかけたのだった。その後はジミヘンの伝記映画みたいなのを見せられた。かなりがっかりした僕たちはすごすごと帰るしかなかった。
そんな苦い思いもあってか、このアルバムが発売されても買おうとまでは思わなかった。せっかくリアルタイムで聴けるというのに。また音楽評論家たちは困惑していた。ツェッペリンのアルバムが悪いはずがない。しかし、これは自分たちが期待していたサウンドではない。どうしましょう、といった空気は僕たちにも伝わっていた。
結局は友達に借りてカセットに落としたが聴き込むということはなかった。だから僕にとって今回は40数年ぶりの「イン・スルー・ジ・アウトドア」になる。聴いてどうだったか。悪くない、というのが正直な感想だ。
何故ツェッペリンがサンバやカントリーをやらなければいけないのだ?何故シンセなのだ?というのがみんなの正直な気持ちであろう。僕も当時そう思った。だからラストアルバム(と言っていいのかな?うーん・・・いいと思う)「コーダ」(1982)がツェッペリンの最高傑作だと思って長らく愛聴していた。今もこのアルバムは大好きだし、最後の曲は「イン・スルー・ジ・アウトドア」のアウトテイクだということを知って、「ツェッペリンは自分たちを見誤っていたのだな」と思っていた。
でも考えてみればサードアルバムでは前作のハードロック路線を打ち破り、アコースティックな面を見せた。「聖なる館」では、ファンクやレゲエを取り入れた。どちらもファンの物議を呼んだが、結局今では名作として認められている。「イン・スルー・ジ・アウトドア」も彼らにとってはサードアルバムや「聖なる館」と同じ感覚だったのかもしれない。というかそういう姿勢こそが彼らにとってのロックだったのかもしれない。だとしたら「イン・スルー・ジ・アウトドア」が当時と変わらずツェッペリン唯一の「うーん・・・」と首を傾げる作品として位置づけられているのは変えた方がいいのではないかと思った。
「プレゼンス」で臨界点に達したハードロックマシンとしてのツェッペリンサウンドから更なる高みを目指して作ろうとしたのが「イン・スルー・ジ・アウトドア」だとしたら、メンバーにとってジョン・ボーナムの死は痛恨の極みだったろう。もし彼が生きていたらアルバム発売を受けてきっとツアーが始まり、このアルバムに対する評価も変わっていたのではないだろうか。そしてもしかしたらさほど間を空けずにアルバムを作っていたかもしれない。ジョンの死を受けてすぐに解散を発表した時のツェッペリンは潔かった。「もう無理」と悟ったのだろう。
残念なことにジミー・ペイジはその後のソロ活動で、新たな地平には達しなかったと思う(あんまり聴いてないけど)。ロバート・プラントは年々生き生きとしているような気がするがツェッペリンその後、という感じではない。「イン・スルー・ジ・アウトドア」後の作品がもしあったら、と思うとこのアルバムが不憫でならない。あ、でもロバート・プラントはどの曲でも楽しそうに歌っているなあと思ったよ。だからこそ、そろそろちゃんとこのアルバムを位置づけてやらねばいけなくないか?というのが今日の僕の主張である。
以上、これでツェッペリンは終了。
僕がこのアルバムで一番好きになったのは最後の曲「アイム・ゴナ・クロール」だ。ロバート・プラントの歌がいい。最初からずっとシンセが鳴っているが新しいツェッペリンサウンドに聴こえなくもない。
明日からまた1週間が始まるよ。今晩はCPAPと仲良くなれるだろうか。
じゃあね!