反体制=ロック?

最近の僕のYouTube事情は、いつもの政治的ネタを見るというよりは、ゴールデンレトリーバーのほっこりする動画と旅の動画を見ることに時間を費やしている。

 

 

犬が怖い僕としては、リアルな生活でゴールデンレトリーバーが僕の近くに来ようものなら、目を伏せて急いでやり過ごすが、動画の中のレトリーバーは可愛いし、心癒される。仮に、もしも妻に先立たれるなんていう事態になったら、さみしさのあまり飼ってしまうかもしれない。

 

 

 

旅の動画の方は、もっぱら東南アジア方面をよく見ている。僕が若い時に行ったことのある、ベトナム、タイ、バリ島に行った人の動画だ。

 

 

 

僕が行ったのは、今から30年前ほど前のことなので、当時とは随分事情が違うことは予想していたが、これほどまでとは思わなかった。まあ、スマホで色々調べられるから楽になるだろうとは思ってはいたが。でもWi-FiとかSIMとか言われても分からない。

 

 

 

まずはバリ島で現在渋滞が起きているなんてビックリしたな。あんなにのんびりした島で渋滞?しかも内陸部のウブドがかなり人気スポットで、渋滞が起きていることに驚いた。僕が行った頃は、結構な田舎で確かにツーリストは欧米やオーストラリア人なんかがいたけれど、のんびりしたものだった。自転車であちこちに行ってたんだけどな。

 

 

 

今はGRABというアプリを使うと、タクシーがひょひょいとつかまるんだって。料金もハッキリしているし、安全だ。バイタク(バイクタクシー)が安くて早く移動できるらしい。タクシーやバイクを利用する時にはまず人相を確かめ、料金交渉から始まっていたことが懐かしい。

 

 

それにATMもあるんだって。まあ、カードを吸い込んだまま戻ってこないという案件もあるようだが、そんなの東南アジアだから何でも信用しちゃいけないよな、くらいに思っておいた方がいいだろう。別に差別して言ってるわけじゃないが。とは言えクレジットカードを数枚持って行けっていうのか?現金だけじゃダメなのか?

 

 

 

僕は、パスポートと現金を入れた小袋をいつも首にかけて旅をしていたが、そんなことをしている人はもういないのだろうか。両替所はまださすがにあるらしいが、現金を渡す際にちょろまかす人もいるらしい。それでこそアジアってもんだ。これも別に差別してるわけじゃないけど。

 

 

 

いろんなことが便利になった反面、僕が求めている旅とは少し違ってきているのかもしれないと思った。僕は別に評判のいい店で食事をしたいわけではないし、現地のツアーに参加して名所を回りたいわけではない。ただただその場にいたいだけなのだ。そして現地の人々を見ているだけで満足なのだ。可能ならばバリ島だったらガムランのレッスンを受けてみたいと思うくらいだ。

 

 

 

でもこんなことを書いたり動画を見たりしているといつものように「ふと」行きたくなるかもしれないので要注意だ。いくらなんでも今、海外旅行に行くのは得策ではないように思う。でも行くとしたら体が動くうちだよなあと思ったりもする。一番大事なことは、妻が海外旅行に対してどう思っているか、だな。

 

 

 

 

 

 

今日のタイトルの話にいってみっか。反体制=ロック?って書いたけど、この先の展望はない。なんでこんなことを書きたいのかと思ったかというと、ABEMAでラサール石井の発言を聞いたからだ。

 

 

 

番組の中でラサール石井は、いろいろと自分の考えをまくしたて、それに対して芸人の松陰寺が冷静に論破していくという展開になったのだが、最後の方で「明日高市さんが『戦争します』って言ったら、(国民が)『行け行け』となるような気がします」と言った。これには、視聴者全員が呆れ返ったんじゃないかな。勿論松陰寺もさすがに呆れた様子で「ならないですよ。誰も望んでいないですよ」と言っていた。

 

 

 

社民党って衆議院の議員数ゼロだよね?たしか。その現実を分かっているのかな。一体何十年前の言い草なんだって思うほかない。

 

 

 

それから別のニュースで彼は「芸人は、昔から反体制だった」と言っている。これは何となく分かる。分かるが、だからと言ってさっきみたいな発言は、僕を含めた今の人には届かない。芸人だったらもっと気の利いたこと言えよって思うな。

 

 

 

そして反体制と言えば、ロックである。やっとタイトルの話になりそうだ。

 

 

 

最初に書いておくが、かつてはロック=反体制、反権力と言われたものだが、今の僕にはピンと来ないというのが正直なところだ。

 

 

 

何故かと言うと、一応日本でロック・ミュージシャンと言われている人が、こぞって反高市というか反自民というかそんな発言を目にするからだ。その発言内容がぶっ飛んでいればOKってなるのだが、あまりにもダサい。ダサすぎる。

 

 

 

名前を出すと支障があるかもしれないが書いてしまうか。うじきつよし、柴田淳、七尾旅人、あとまだいるかもしれないけど、こんな感じかな。発言内容には触れないでおくが、こんなんじゃあ、ロック=ダサいになってしまう。既存の勢力に対するアンチというのが反体制と言うのであろうが、うーん・・・すぐに戦争がどうしたこうしたって言うのはちょっと違うような感じがするんだけど。(あくまでも日本国内の場合です)

 

 

 

僕にとってのロックは、結果的に反体制になるのかもしれないけれど、もう少し暗いというか破滅的というか刹那的というか文学的というかそんなものだと思っている。

 

 

 

自分の中にいる、どうしようもなく醜悪で反社会的で飼い慣らすことのできないもの、そういうものを表現しているのが、ロック・ミュージックだと思っている。となると、今だったら陰キャとか引き籠りの人とかって決めつけられるかもしれない。それは部分的には当たっていると思う。

 

 

 

でも、一見穏やかに働いている人が、実は心に闇を抱えながら生きているってことはあると思う。あー、でもそう書くと、今だったら教師の盗撮とか猥褻事案の話になりそうだな。そんなんじゃなくって、社会生活不適合者みたいな感じ?こういう言い方もちょっと矮小化されたもんになるか。

 

 

 

っていうことは、前に大槻ケンヂが言ってたように今どきロックなんて聴く奴はいない、これが一番近いかな。若者の中には昔のロックを聴く人が一定数いるようだけど、それは趣味として、教養のひとつとして聴いているんだと思う。今の僕もきっとそういうものとしてロックを聴いているんだと思う。

 

 

 

身も蓋もない言い方になってしまうが、反体制=ロックという言い方事体がもう古いのだ。芸人も今やコンプライアンスだなんだで、スポイルされているじゃないか。

 

 

 

改めて結論を書こう。ブランキ―・ジェット・シティで言うところの「D.I.J(ドキドキするようなイカれた人生)」を生きられないというのは、つまりはロックではないということだ。

 

 

 

 

ちょっと確定申告の件で疲れているのかな。今イチ自分で何を書きたいのかが不明瞭だった。そのせいか夕食の用意もまだしていない始末である。もう今日はこんな感じで終わろう。

 

 

 

 

それでは。