アメリカンロック万歳!

最近イアン・デューリーをよく聴いているが、そう言えば、と思い出したことがあった。「それだけしかできないけれど、それをやらせたらそいつの右に出るものはいない」という話である。「そ」ばっかりで申し訳ないけど。

 

 

例えばドラムス。イギリス人という人種は、このパターンっていう叩き方を見つけると、もうそればっか練習してるんだって。ちょいと変わった16ビートでもやってみるか、という風にはならないらしい。

 

 

自分なりの(納得する)パターンを見つけたら、その練習しかしない。そしてそのパターンの王者になる。ということは、例えばスタジオで録音している時に「この曲のドラムはあいつじゃなきゃいかん」ということになったりもする。

 

 

これは、40年ほど前に忌野清志郎が実際にロンドンでソロアルバムを録音した時に感じたこととしてインタビューで発言していた。今はもしかしたら違っているかもしれんが、まあ40年で国民性が劇的に変わるとも思えない。だから今もイギリスのあちこちで自分にしか出せないビートや音を追及している若者はたくさんいると思う。

 

 

 

 

というわけで、国民性ということを考えた時に、アメリカンロックというものを思い浮かべたわけである。そしてブライアン・アダムスという僕のブログに初登場する人物が思い浮かんだ。僕がイメージするアメリカンロックを体現している人が、ブライアン・アダムスだというわけだ。

 

 

しかし、と読者の方は思うかもしれない。ブライアンってアメリカ人だっけ?と。そうなんだよね、彼は実はカナダ人なのだ。カナダ人と言えば、何と言ってもニール・ヤングとジョニ・ミッチェルの2人が思い浮かぶ。でも、何だろう、3人ともカナダ人としての特質は感じられないんだよね。

 

 

 

その中でもブライアン・アダムスは、僕にとってはまさに「アメリカンロック」を体現している人だと思っている。しかし、このブログでよくあることだが、僕はブライアンの作品を全部知ってはいない。じゃあどのアルバムなんだといえば、「カッツ・ライク・ア・ナイフ」(1983)だけなんだよね。ブライアンファンには実に申し訳ないんだけど。

 

ジャケット、カッコいいよね。

 



だって、次作「レックレス」(1984)で大ブレイクを果たすんだから、まずはこれを挙げろと言う人が多いだろう。でも俺、なんかスルーしちゃったんだよね。「ヘヴン」とか「想い出のサマー」「ラン・トゥ・ユー」なんかはきっとガンガンMTVとかで流れていたはずなんだけど。ちょっとヘソを曲げていた時期だったのかもしれない。

 

 

だから今回ブライアン・アダムスを採り上げるのもちょっとビビりながらである。僕が「カッツ・ライク・ア・ナイフ」を知ったのは、ロッキングオンで松村雄策が紹介していたからだ。それで貸しレコード屋に行って借りた。

 

 

そんでまあ、結構聴いていたんだけど、当時はまだギザギザロックの方に熱中していたから段々聴く頻度が落ちていった。

 

 

 

でもね、今日改めて聴いたんだよ。そしたらこれぞアメリカンなロックっていう風に聴こえたんだよね。僕も大人になったもんだ。

 

 

 

となると僕が考えるアメリカンロックってどういうものなんだ、っていう話になると思う。今日はこれをある程度書けたら成功ということにしよう。

 

 

 

まず、いきなり抽象的な言い方になるけど、「大がら」ってことかな。大柄小柄の大柄の方である。レコードで聴くと、バーン!って音が広がる感じがするとでも言えばいいのかな。開放感がある音って言えばいいのかな。壮大、になるギリギリ手前の感じかな。それが僕が感じる大がらという意味である。

 

 

 

それに貢献しているのが、ドラムスだと思う。うーん、これも難しいけれど、タイム感というか、1音1音の間が長い(特にスネア)っていうか、そんな感じ。決して性急には聴こえない。それが大がらに繋がっていると思う。

 

 

もうひとつは、音がカラッとしていることかな。今まで書いていること全部抽象的であくまで僕が感じたことを無理矢理言葉にしたらこうなるって話なんだけど、少しは伝わるかな。

 

 

 

ちょっと1曲聴いてもらった方がいいかもしれない。タイトル曲の「カッツ・ライク・ア・ナイフ」である。

 


www.youtube.com

 

テンポがゆったりしている時にもアメリカンを感じることも大事な要素かもしれない。でもアップテンポの曲にもこんなのがあるよ。「ドント・リーヴ・ミー・ロンリー」である。この曲にもアメリカンを感じる。

 


www.youtube.com

 

こうなると、ドゥービー・ブラザーズなんかもアメリカンロックとして受け入れられる。でもジャーニーまでいくと少し壮大な要素が入ってくるかなって感じがする。エアロスミスやチープ・トリックなんかは僕からするとハードロックって感じちゃうんだよね。ボストンは、ジャーニー寄りに感じちゃう。そう考えてみると僕が思うアメリカンロックというのは、かなり絞られてくるのかもしれない。そもそもカナダ人のブライアン・アダムスにアメリカンロックを感じるのは邪道かもしれない。

 

 

さてと、こんな感じで午前を過ごすことができた。B&Wのスピーカーは存分にアメリカンロックらしさを鳴らしてくれたので、今日という一日はGOODと言える。まだ半日も残っているのにぼうっとした時間がないのは素晴らしい。因みに2023年のこの日から、レコード活動が始まった。時が過ぎるのは早いものである。

 

 

 

 

こうして今日の記事も書くことができそうだが、やはり僕は少し頑張り過ぎているような気がしている。2月も何だかんだ言って19記事書いている。多分暖かくなってきたので、炬燵から出てレコードを聴く気分になっているのだろう。それにレコード棚を整理したことによって、気分が上がっていることも関係しているんだろう。

 

 

 

ところで今日は天皇誕生日である。ニュースを見ると皇居にたくさんの人が集まっていた。僕の少年時代は、父母も含めて昭和ひとケタ世代の人が大勢集っていたことは、まあ分かる。でもニュースを見ると白髪の人もいるが、そうでない人もいる。それにみんなテキパキと動いている。つまり若いということだ。僕より歳上か、同世代の人が皇居に行くってことが上手く想像できないし、更に僕より若い人が行くってことはもっと想像できない。一体何を目的に行くんだろう。疑問だ。でも、これはこれから考えていかなければいけない大事なことのように思う(ただの勘だけど)。 

 

 

 

昨日は(正確には一昨日の晩)、「読めそうで読めない間違いやすい漢字 大全」を注文したと書いたが、流石Amazon、仕事が速い。さっき配送されてきた。これを少しずつ読んで、読める漢字読めない漢字をチェックして、脳みそに叩き込みたいものである。

 



 

 

それでは。