サッカリンさんの動画を見ていたら、レッド・ツェッペリンのレコードは音圧が低く作られているらしい。どうやらデカい音で聴くように作られているとのことだ。
ストーンズの「レット・イット・ブリード」も同様に「デカい音で聴いてください」と書いてある。ビートルズは小さい音で聴いてもメロディと音圧があるので良さが分かるらしくて、ツェッペリンの方は「音を浴びる」くらいじゃないと良さを体感できないそうだ。レコード、スピーカー・大音量が理想で、それが無理なら高性能なヘッドフォンで聴くといいよって言っていた。
僕はツェッペリンのⅢを聴いて「あれっ?こんなショボかったっけ?」と思ったのも音量が原因だったのかもしれない。なるべく早期に確かめてみたいものである。だったら今聴けよって話なのであるが、残念ながら今はツェッペリンモードではない。
じゃあ何モードなんだ?ってなことで早速タイトルの話にいってみよう。
朝起きて最初に聴くLPはというと・・・ソフト・セルのアルバム「The Art of Falling Apart」(1983)である。昨日のザ・ポリスよりももっともっとマイナーなバンドだと思うので分からない方の方が多いだろう。僕も実はよく分かってないんだよ。
レコード屋さんでふっと目が合って何気なく買ってしまう。そして何の期待もしなくて聴いてみると、じわじわとその作品の魅力にとりつかれてしまう、そんなことってあるでしょ?僕だけかな。まあとにかくこのソフト・セルというバンドのことはほとんど知らないけど、今僕の頭の中で常に鳴ってるんだよ。
僕も知らないから調べてみよう。
「ソフト・セルはイギリスの音楽ユニット。マーク・アーモンドとデイヴ・ボールの二人。ニュー・ウェイヴの代表的なグループのひとつである」
これくらいは僕でも知ってるし、マーク・アーモンドも知っているぞ。ブロンスキ・ビートのアルバムでジミー・ソマーヴィルとデュエットしていた人だ。ちょっと暑苦しいかな、くらいに思ってたように記憶している。
「当時最先端のアンダーグラウンド音楽だったスロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテールなどの影響を受けていた二人は、もう一つの彼らの共通のルーツであったノーザン・ソウルの要素を文学的な歌詞にのせて、ノイジーなエレクトロニクスに取り込むという斬新なスタイルでリーズを中心に活動していた」
なるほど。何がなるほどか僕もよく分からないが、多分ノーザン・ソウルっていうところが今の僕に引っ掛かったんだな、と思う。
「1981年にグロリア・ジョーンズの1964年の曲をカヴァーした『汚れなき愛』が大ヒットし、全英シングルチャートで1位となり、全米チャートでも最高で8位、43週間もチャートした」
そう言えばそんなこともあったかもしれない。ファーストアルバムのジャケットは覚えているけれど、曲は聴いたことはないな。サブスクで聴けるだろうけれど今はまだ聴かないでおこう。
僕が何故こんなにこのアルバムに肩入れしているのかはよく分からない。まあエレポップな感じは嫌いではない。それに気持ちが盛り上がるんだよね。例えばアルバム最後の曲(タイトル曲)はこんな感じである。 ↓↓↓
どう?盛り上がらない?
僕には、時々エレポップ(←これでいいのか使っている僕もよく分からないけど)がどうしようもなく聴きたくなることがあって、そんなときには決まってまずブロンスキ・ビートを聴くことにしている。そこからデュラン・デュランの「プラネット・アース」やらMの「ポップ・ミューヂック」やら果てはデッド・オア・アライヴの何だっけ?大ヒットしたやつまで聴くことがある。
その波とソフト・セルが上手く嚙み合ったのだろう。とにかく朝起きたらこれを聴かなきゃ気が収まらないのだ。それが1週間ほど続いているのだ。
だからポリスがどうとか書いてるけれど、こっちが今の本命なのである。もう惚れちゃっているのである。そしてこのアルバムをしゃぶり尽くしたら、デビューアルバムや他の音源を聴きたいと思っている。
僕のソフト・セルブームは今始まったばかりだ。
今日は、姉が東京に帰る日だった。車で実家に行ってから、実家の改装についていろいろ話し合った。話し合うと言っても僕は頷くだけである。これはあれだな、もう少し母のことを気にかけてやってねと言われる流れだな、と思って覚悟していたら「あんたが今(母のことを)受け止められないことは十分分かっているから」と言われた。心の中で泣いた僕であった。
それでは。