リムショットとハイハットで曲をドライブさせる男

土曜日は家族行事の日だった。母の米寿のお祝いの催しがあったのだ。「あったのだ」って何て他人行儀なんだという話だが、母との関わりが非常に薄い僕にとってはつまりはそういうことなのだ。

 

 

姉がセッティングをして11月2日に旅館で宴を開くけど参加するかと訊かれたのが10月の上旬である。勿論僕に否という選択肢はない。参加者は姉と義兄、母と僕と妻である。もしかしたら甥2人も参加するかもしれないとのことだった。

 

 

10月中は、このことがボディブローのように僕を攻め立てていた。きっと糾弾されるに決まっている。もっと母と関りを持つべきなんじゃないかと言われるに決まっている。その時僕はどう言うだろう。どう言えばいいだろうと悶々としながら暮らしていた。

 

 

正直言って直前までどうやって逃げ出すか、そのことばかり考えていた。しかし時は待ってはくれない。遂に土曜日になってしまった。

 

 

暗い気持ちのまま旅館に行った。参加者は僕も含めて7人。つまり先ほど書いたメンバーが全員揃っていたのだ。これはまずいことになるかもしれない。僕は軽く挨拶した後は黙ってみんなと一緒に食堂に向かった。

 

 

こうやって家族が一同のもとに会するのは久しぶりだったので、最初は少し硬い雰囲気だった。それを和らげたのは何と僕だった。母親(僕にとっては姉)に敬語を使う甥っ子(弟の方)をイジりつつも、どんな仕事をしているかを聞いたり、兄にも仕事のことを聞き出し、いろいろな質問をしたりして、彼らがたくさん喋ることができるよう心を砕いた(つもり)。

 

 

そして姉と義兄の方にも顔を向け、浜田省吾の話題を持ち出した。2人はその話題に付き合ってくれて場は和やかな空気に包まれた(と思う)。一番恐れていた義兄とは普通に話すことができた。というわけで、食事会が始まるなり僕の仕事モードが発動したひと時だった。僕は完全に先生モードになって、色々な人に話しかけ、話を引き出していくことができたのだ。耳の遠い母にも聞こえるように時々大きな声で、話したりもした。

 

 

 

そんなこんなで2時間弱の時間を過ごした僕は、母を家に送り届けてから帰途に着く頃にはぐったりとしていた。妻からは「さすが商売人の息子やね。すごかったわ」とよく分からない評価をされた。とにもかくにも大きな家族行事を終えた僕は翌日までダメージを引き摺っていたことから眠くてしょうがなかったのかもしれない。

 

 

 

 

さあ、タイトルの話にいこう。男の名前はスチュワート・コープランド。ザ・ポリスのドラマーである。ザ・ポリスのことはご存知だろうか?もう伝説になってるのかな?

 

 

「ポリスは、1970年代後半から1980年代半ばにかけて活躍したイギリスのロックバンドである」

「ロックに、レゲエの要素を加えた音楽性はホワイト・レゲエとしばしば呼称された」

「当初は、パンク・ムーブメントに乗ってデビューしたが、その後は、メンバーの音楽的資質を柔軟に取り入れたロックをリリースし続けている」

 

 

多分一番有名なのは、1983年に発表された5枚目のアルバム「シンクロニシティ」であろう。シングル「見つめていたい」はイントロを聴いただけで「ああ、これか」と思う人も多いはずである。

 

 

でも僕は(前にも書いたが)1枚目と2枚目のアルバムが好きなんだよね。シングル「ロクサーヌ」を初めて聴いた身としてはやはりポリスと言えばこういう感じだろう?と思ってしまう。

 

 

そんで今聴いてるのがセカンドアルバムの「白いレガッタ」(1979)だ。このアルバムでは「孤独のメッセージ」が大ヒットしたが、僕としては「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」を推薦したい。これも大ヒットした曲だ。



 

この曲のハイハットリムショットベードラだけを聴いてみてほしい。それだけでぶっ飛んじゃうから。どうしてもスティングのヴォーカルやベース、アンディ・サマーズの渋いけどキャッチーなギターに耳がいきがちになるかもしれないが、この曲をドライブさせているのは間違いなくスチュワート・コープランドのドラムだって分かるから(←珍しく断言)。


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そういうわけで今は毎日1回はこの「白いレガッタ」を聴いている。でも大大大ヒットした「シンクロニシティ」への興味も高まっている。大ヒットしたアルバムにはちゃんと理由があることがやっと分かった僕としては、じっくりと聴いてみたい作品だ。そこでどんなドラムを叩いているのかも興味がある。

 

 

さてと。今日も凪のような1日が終わろうとしている。粛々とシャワーをして夕食を作ろう。

 

 

 

それでは。