今日も元気だ バカヤロー

「私はプロレスの4本の柱の説明をしたんですよ。1つ目はプロレスラーはケガをしたら毎日試合できない。ケガをしないためには受け身が重要。2つ目は攻め。・・・プロである以上、ダメージを与えるのはともかく、相手にケガをさせてはいけない。3つ目は完成と表現力。いくら技術があったとしてもお客さんに訴えられるものがないといけない。そして最後の4つ目はお互いが信頼のもとに闘う。相手が故意に腕を折りにきたらどうするのかと。信頼があるからギリギリの勝負ができるし、お客さんを手のひらに乗せることができる」

 

これはアントニオ猪木がかつてソ連の選手をプロのリングに転向させる時に、プロレスとは何か?ということを説明した言葉だ。ホントかどうか分からないが、これを聞いた選手たちが「俺はそんな闘いがやりたいんだ!」とテーブルを叩いたという。そして1989年4月24日、プロレス界初の東京ドーム大会にソ連の選手たち3人が派遣されることになった・・・。

 

猪木の話は実にプロレスというジャンルのポイントを押さえて分かりやすく解説している。受けと攻め、表現力と信頼。そしてお客さんを手のひらに乗せるということ。プロレス初心者にはストンと腑に落ちる言葉だったろう。

 

しかし、である。当の猪木は、時に対戦相手との信頼関係を壊してまで試合をしてきた過去がある。それも1試合や2試合じゃない。だからどの口が言ってるんだと思う人もたくさんいるはずだ・・・

 

 

というわけで今日も軽くプロレスの話を書いてみよう。ちなみにタイトルは僕のことではなくて猪木が言ったであろう言葉だ。いろいろなところからバッシングされることが多かった猪木。「ピンチは束になってかかってくる」とも言っていた。そんな猪木だが、それは同時にチャンスでもある。だからへこたれるんじゃねえ、という意味で自分を鼓舞するために言いそうな言葉だなと思ったのだ。

 

 

10月1日に亡くなって以来、数々の記事がSNS上を飛び交い、数々の番組がYouTubeで流されている。普通は故人がいかに素敵な人物であったか、に焦点が絞られるが、猪木は違った。いかに優れたプロレスラーであったか、について語られることがほとんどである。まあ、政治家アントニオ猪木についても語られてはいるがちょびっとだ。それだけ、猪木がプロレスラーとして不世出の存在だったからだろう。

 

 

最初のソ連の選手をプロのリングに上げた話に戻るが、結局ソ連の選手は、登場した時こそセンセーショナルな話題を提供したのだが、プロレスラーとしては成功しなかった。猪木の話を頭では分かっていても実際にやると大きく戸惑ったのは容易に想像できる。唯一ヴォルク・ハンだけが、その意味を理解して試合をすることができたと僕は思っている。

 

しかしヴォルク・ハンはこの時のメンバーに選出されていない(もしかしたら1回くらい出ているかもしれない)。彼が大成したのは、東京ドーム大会から2年後の1991年に前田日明が設立したリングスという場であった(彼については昔書いた)。前田は・・・と書くときりがないのでやめる。

 

hanami1294.hatenablog.com

 

きりがない・・・。そうなのだ。プロレスは延々と続くストーリーの中にあるのだ。特に新日本プロレスの場合は虚実入り乱れたストーリーの中でこそ光る試合がいくつもあった。その中には裏切りもあったし、嫉妬もあったし、対立もあったし、仲直りもあった。だからどこか1試合を切り取って書いてもあまり意味がないのだ。その試合が実現した経緯(ストーリー)が分かっていないと、試合の面白さは半減する。今では当たり前になった煽りVTRも、プロレスが源流である。あの手法もプロレスのストーリー作りを参考にしたものだ。

 

 

 

ちょっと尻切れトンボ気味だが、今日のプロレス話はここまで。只今16時、学校にいる。この時刻まで学校にいるのは久しぶりである。やっと体が戻りつつあるのを感じている。今日は6限までフルにやった。2限目は授業を参観させてもらっただけだが、書き初めをやる手順を覚えるために必死に見ていたから授業をしたことにカウントしとこう。

 

今週もクタクタに疲れたけど、とにかく終わった。今日はボーナス日だったので、何となく心がザワついているが、今のところ大きな買い物はしていない。帰ったら、ちゃちゃっと記事をアップして再び猪木の雄姿を見ることにしよう。

 

昨日の「アメトーク」では、芸人達が猪木のエピソードについて語っていたが面白かった。芸人ってプロレス好きの人が多いんだね。そしてそれぞれが拘りポイントを持っている。全部知っているファンとしたらたまらなく面白く見れたはずだ。それにしても猪木はいなくなった今でもなお、人を元気にさせるんだな。