hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

今日は「ムトーの日」

今日は結婚記念日だった。昨日ケーキを買ったが、帰宅した妻はすぐに気づき、一緒に食べることにした。「これ、中にこんなん入っとるよ」「あ、一口食べていい?おいしい!」とか何とか言って仲良しタイムを過ごすことができた。あ、でも「私にとって結構重要な日なんだけど、貴方もそう思ってるの?」とは聞かれたな。例によって口ごもる僕であった。

 

 

全然話は変わるが、今「ラバー・ソウル」を聴きながら記事を書いている。それで思ったことが、ポールのベースの音がもっと大きかったら、ビートルズサウンドはもっとファンキーに聴こえるのではないかということだ。先日聴いた「バック・トゥ・ジ・エッグ」でのポールのベースがあまりにもかっこよかったのでそう思ったわけである。「愛の言葉」なんてすごいことになるんじゃないかな。

 

これで僕はアメリカ盤の「ミート・ザ・ビートルズ」「ア・ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ!」「フォー・セイル」「ラバー・ソウル」「マジカル・ミステリー・ツアー」と「オールディーズ」等の編集盤数枚を持っていることになる。早く「リボルバー」をレコードで聴いてみたいな。それにしても初期の録音は一体どうやっていたのだろうか。何回聴いても瑞々しさを感じる。きっと世界中の人が解明しているんだろうけど僕にはそこまで根性がない。もちろん「ラバー・ソウル」も最高である。ビートルズが次の段階に入ったのが伝わってくる。これは何回でも聴けるな。

 

 

本題に入る前にもう一つ書き留めておくか。今日は引き籠るつもりだったが、妻は朝早くにさっさと家を出ていったので、しょうがないなと思いながら食材を買いにスーパーに行った。そしてスーパーの前まで行って思い出した。今日は包丁研ぎの人が来るんだった、と。僕はそれらしき人に(幕も何も出ていなかったので分からなかった)包丁研ぎの人か尋ね、明日も来るか確認した。そして帰途についた僕だったが、「いや、今日やれることは今日やろう」と思い立ち、食材を冷蔵庫に入れ、再びスーパーに向かったのだった。今日の夕食作りが楽しみだなあ。

 

 

ようし、「ムトーの日」だ。武藤敬司、今年初めに引退した名レスラーである。簡単に紹介しておくか。

 

武藤は、1984年に21歳で新日本プロレスに入門。柔道の猛者だったこともあって早くから将来を嘱望されていた。「スペース・ローン・ウルフ」として売り出されたが、今イチだったので2回目の海外修行に出される。1988年にはグレート・ムタとしてアメリカで大ブレイクをする。その後、帰国し、色んなギミックで活躍し続けたが、新日本プロレスをやめて全日本プロレスに移籍し社長となり、・・・・と、とことんプロレスラーらしくあり続けた。「・・・・」のところは20年くらいを省略したので、その息の長さが分かると思う。

 

僕が武藤の試合で一番痺れたのは何と言っても高田延彦戦だ。その試合は1995年10月9日に行われた。「じってん、きゅう、東京ドーム」とプロレスファンが言ったらこの試合のことを指す。

 

これは「激突!新日本プロレスUWFインターナショナル全面戦争」と銘打たれた試合のメインイベントだった。U系を心の底から憎んでいた長州力は、求心力を失いつつあったUWFインターを叩き潰すべく、このイベントを敢行した。試合は1試合目からいい試合が続くとてもいい興行だった。そして長州力安生洋二を短時間でフォールし、インタビューで「キレてない」と言ったのであった。

 

 

さて。メインイベントである。高田も武藤も脂の乗り切っていた時期だ。それに高田は「プロレス」もできる。これはいい試合になる、という予感しか観客にはなかったと思う。問題はどんな終わり方をするか、だ。まあ新日主催の興行なんで武藤が無様に負けるとは誰も思っていなかったが、どうするんだろう?よほど説得力がないと下手したらブーイングされるぞ、とこれまたみんな思ってたいたはずだ。武藤が出した結論は?

 

 

それは足4の字固めだった。まずそこに至る過程から書いていこう。高田はキックができる。武藤は受けができる。高田のキックを散々受けていた武藤だったが、遂にその足を捉えた。そして間髪入れずにドラゴンスクリュー(技の説明は省略。とにかく高田は膝を痛めた)だ!ここで観客はまずひとつ溜飲を下げる。そこから間髪入れずに足4の字固めだ。この技は古典的なプロレス技で、当時は繋ぎ技にも使われなかったくらい古びた技だった。とにかく相手の協力なくしてはかからない典型的な「プロレス技」だった。それをフィニッシュに武藤は選んだのだ。高田にとってこんな屈辱的なことはない。そして遂に武藤は勝利した。

 

アントニオ猪木も観客の想像の上を行く勝ち方をするプロレスラーだったが、この時の武藤はその猪木をも脅かす冴えを見せたのだ。武藤にはもう一つ、典型的な「プロレス技」である「ムーンサルト・プレス」という必殺技も持っていたが、それを封印してU系というアンチプロレスをするプロレスラーに(ここら辺はややこしい)、典型的なプロレス技で勝利したのだ。観客は武藤のプロレス頭の冴えに酔った。僕も酔った。

 

以後、長年「プロレスマスター」として君臨していた武藤敬司。その武藤に対するリスペクトも込めて今日この日を「ムトーの日」と僕たち夫婦は呼んでいる。あ、妻は石川県で一番プロレスに詳しい女性教員だと思うよ。プロレスクイズをしても負けないはずだ。

 

 

さあ、もうすぐ18時になる。そろそろ包丁を使わねばならない。妻はテーブルの向かいに寝そべってのんびりテレビを観ている。今日は朝からレコード三昧の平和な1日だった。

 

 

じゃあね、バイバイ。