hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その27 ~クリスマスは桜庭―ホイス戦を観よう~

全ての格闘技ファンが見ておくべき試合が2つある。それは「猪木―アリ戦」(1976)と「桜庭―ホイス戦」(2000)だ。「猪木―アリ戦」は1R3分15R制で、フルラウンド戦い、結果は引き分けだった。つまり45分戦い続けたということだ。「桜庭―ホイス戦」は1R15分、判定決着なしでの無制限ラウンドというルールで6Rにホイス陣営がタオルを投入し、戦いが終結した。90分戦い続けたというわけだ。時間が長いから偉いというわけではないが、2試合とも時間が大いに関係していると思う。この長い試合の最初から最後までを観るのには正直言って体力がいる。そして体力がいる割にはプロレス的カタルシスもない。しかしながら今日の格闘技界に多大な影響を与えた2試合であることは揺ぎ無い事実である。今日の記事はどんな感じになるんだろう。シャキッと書こう。

 

それじゃあ「桜庭ーホイス戦」に付き合ってもらうからね。

 

戦うまでの背景がまたいろいろあーだこーだあった一戦だった。ヤフーを参考に簡単にまとめてみよう。

 

この試合は2000年5月1日に東京ドームで行われた「PRIDE GRANDPRIX 2000」の決勝戦の準々決勝第2試合に行われた。桜庭30歳、ホイス33歳であった。そもそも両者は何者なのか?から始めなければいけない。

 

桜庭和志は1993年にUWFインター高田延彦が頂点だった)の所属選手としてデビュー。つまりプロレスラーとしてデビューした。バックボーンはアマレス。当初は強いと言われながらも渋い試合運びをする職人肌のレスラーだった。しかし1997年大きな転機が訪れる。グレイシー一族のトップであるヒクソン・グレイシーUWFインター総帥の高田が戦い、高田が惨敗したのだ(無残な負け方だった)。

 

そして桜庭はというとその年の総合格闘技イベント「UFCジャパン」に出場し、カーウソン・グレイシー柔術黒帯のマーカス・コナン・シウヴェイラに勝利。リング上で「プロレスラーは本当は強いんです!」という名セリフを放ち、一躍脚光を浴びる存在となるのである。

 

あー、今日は説明だけで終わりそうだ。でも必須の知識なので頑張るぞ。

 

順番が滅茶苦茶になるかもしれないけど、先にホイスのことを書いておいた方がいいかもしれない。ホイス、つまりホイス・グレイシーは、グレイシー柔術と呼ばれる柔術選手である。父エリオが発展させた格闘技術であるグレイシー柔術は60年かけて、ブラジルで独自の進化を遂げた。そしてその技術は1993年、アメリカで行われた総合格闘技に大会(アルティメット大会)で本領を発揮することになる。一族の代表としてこの大会に出場したホイスは参加選手中最軽量にもかかわらず、圧倒的な強さで優勝する。ここで初めてグレイシー柔術が世界中に広まることになる。

 

そのホイスは「僕の兄は僕の10倍(だったかな?)強い」と語った。その兄が、ヒクソン・グレイシーであった。ヒクソンは日本での大会に参加し、ほんとに圧倒的な強さを見せつけた。

 

それと前後して日本の格闘技界は総合格闘技で湧いていた。その中の一つが船木誠勝率いるパンクラスという団体だった。秒殺という言葉はこのパンクラスの第1回大会で生まれた言葉である。パンクラスはアルティメット大会にケン・シャムロックという有力選手を送り込んでいた。しかし彼はホイスに簡単に破れる。そこからグレイシー柔術対日本格闘技界という図式が生まれる。

 

その流れで高田―ヒクソン戦が組まれ、高田は惨敗したというわけだ。この一戦で沈滞した格闘技界に喝を入れたのが桜庭だ。先に書いた大会でグレイシー柔術の選手に勝利し、ファンの溜飲を下げた。そしてホイスの弟ホイラー・グレイシーに勝利した桜庭はPRIDEのリング上で「今度は、お兄さん、お兄さんと戦いたいです!」とヒクソンを挑発したのだった。しかし、運命はそうはさせなかった。

 

というわけで、桜庭はヒクソンとではなく、彼の弟ホイスとの一戦を組まれた。「PRIDE GRANDPRIX 2000」という大会の中で。これがまたややこしかった。トーナメント方式の大会なのに、グレイシーサイドはこの試合だけ時間無制限で、つまり判定決着なしで試合をしたいとごり押ししてきたのだ。しかも1R15分にしろと言ってきた。滅茶苦茶である。しかしその条件を桜庭側は全部飲んだ。こうして1R15分で、勝負がつくまで試合をやり続けるという過酷な試合が実現したのだった。ふう。

 

 

この試合の模様を書く前にもう少しお勉強して頂くか。総合格闘技が盛んになるにつれ、「猪木―アリ状態」という言葉が使われるようになった。そう、伝説の「猪木―アリ戦」由来の言葉である。やはりこの試合に少しは触れねばなるまい。

 

プロレスラーのアントニオ猪木が画策してボクシング界の頂点に君臨していたモハメド・アリと対戦することになった。猪木はアリのパンチを最大限の注意を払っていた。当然である。アリは当時世界最高峰のパンチを持っていた。対する猪木は打撃に関しては素人だ。アリのパンチがおでこにかすっただけでもダウンは免れない。さりとて懐に飛び込んで寝技に持っていくのも難しい。ルールで縛られていたからだ(そうでないという説もある。猪木にタックルの技術がなかったから寝技に持っていくことは出来ない、とかね)。だとしたらどういう戦法をとったのか。

 

立ち続ければいつアリのパンチが飛んでくるか分からない。そこで猪木は寝転びながらのローキックを考え出したのである。スタンディングの状態から飛び込んでのローキック。これを15Rの間、ずっと途切れなく何回も何回も試みたのだ。その内の数十回は確実にアリの左足をとらえた。それは試合後アリが血栓症になったほどの威力だった。まあその話は置いといて、キックをした直後には猪木はマットに寝てアリは立っている状態になる。総合格闘技の初期には(膠着状態として)このような状態がよく見られた(寝技を得意とする選手が寝て、立ち技主体の選手が立つ、しかしお互い手を出すことが出来ない状態)。そこでその状態のことを「猪木―アリ状態」と呼ぶようになったのだ。桜庭―ホイス戦でも頻繁に見られた猪木ーアリ状態だが、桜庭は膠着を打ち破る快挙を成し遂げた。

 

もう一つ、みなさんに知識を注入しなければいけない。それはグレイシー側の戦法だ。グレイシーの戦法その1は胴タックルからのマウントポジションである。相手の胴にタックルして倒してから、馬乗り(マウントポジション)になる。そこから相手をこつこつと殴り続ける。それを嫌った相手が俯せになる。その瞬間チョークスリーパーをかける。これが必勝法その1だ。第1回アルティメット大会でホイスはほとんどをこの戦法で勝利した。相手はどうして負けたのかわけがわからずポカンとした後、審判に抗議するのだった。

 

その2は相手を引き込み、ガードポジションをとってからの極めである。これがグレイシーというかブラジリアン柔術の大きな特徴である。今までの格闘技界では上になった選手の方が有利だとされてきたが、柔術は違う。下から足で相手をコントロールするのだ。相手の胴に自分の両足を絡ませるのがガードポジションである。そのポジションだと上からのパンチは届かないし、足を使って攻撃できる。代表的な技は下からの腕ひしぎ逆十字や三角絞めだ。上になった選手は自分が有利だと思ってパンチを打とうとするがそれも叶わず、自分がアリ地獄に嵌ってしまったことを後で悟るのである。この新しい概念(といってもいいと思う)は世界中にショックを与えた。

 

 

この2つの戦法でグレイシーあるいはブラジリアン柔術は世界中を席巻してきた。ただ、グレイシー最強と言われたヒクソン・グレイシーが下になったのは見たことがない。ヒクソンは戦法その1の第一人者であっただろうと思われる。でも恐らく下からでも滅茶苦茶強かったんだろうな。今となっては分からないけれど。

 

どうでしょうか?格闘技を知らないあなたでも少しは興味を持っていただけたでしょうか。僕は結構疲れました。さっき桜庭ーホイス戦も90分かけて観たことだし、今日の講義はこれくらいにしておきましょうか。今度は桜庭―ホイス戦を語ってみよう。あれから21年も経ったんだ。

 

 

今夜から雪だよ雪。また雪かき生活が始まるのだ。不要不急の外出はダメなのだ。