冬眠日記その36 ~人志松本の、の巻~

毎週観ている番組に「人志松本の酒のツマミになる話」がある。人気番組だ。これは、俳優や芸人、アスリートなどさまざまなジャンルの人達が円卓(「人志松本のすべらない話」で使う円卓)を囲み、お酒の席が盛り上がる「ツマミになる話」を披露する。お酒が進むなら何を話してもOK。オチも必要なしというルールの下、体験談やら日常生活で気になることなど、それぞれの本音を語り合う、というものだ。

 

MCは松本人志、進行役として千鳥やフットボールアワーアンタッチャブル等(←俺、芸人のことあんまり知らないんだけど、合ってるかな?)が交代で務める。そして酒ビンを回し、止まった先に書かれた名前の人から喋り出す。

 

この番組が生まれたきっかけは確か「ダウンタウンなう」という番組がコロナ禍で酒場に行けなくなり、スタジオで決行するも、あまり盛り上がらず・・・といった経緯があったように思う。「ダウンタウンなう」はゲストを招き、酒を飲みながらゲストからガッツリ本音話を引き出す、というスタイルだった。しかしそれでは番組が作りにくくなり、時折複数人がゲストの「人志松本の酒のツマミになる話」を間に入れるようになったが、いつの間まにか「ツマミ」の方がレギュラーになった、と記憶している。

 

これの何が面白いかというと、まず、オチがなくてもいいというのが素晴らしい。別に面白い話をしなくてもいいのだからこちらも身構えずに済む。そして、どうでもいいようなことでも松本は面白がってくれる。さらに進行役の芸人が話を転がす。これには出演者も視聴者も安心すると思われる。

 

先週の最初の話題は「人の声が気になる」だった。ひとしきり最初に当たった人が話してそれについての質疑応答(「苦手なタイプの声はどういう声質?」「この中で好きな声は?」)が始まる。そのやり取りだけでも笑いが起きるんだけど、そこから話題が発展していくのがさらに面白い(「僕、小さい声の人が嫌なんですよねー」「どんどんバラエティ全般の声が上がってる」「浜田(雅功)が悪い」とか)。声の話だけで10分以上放映されている。どーでもいい話と言われればそうなのだが、人々は今、こんな笑いを求めているのかもしれない。

 

この後、「人(異性)に言われて一番嫌な言葉のNO.1を決めたい」という話題が出た。「臭い」「かわいそう」「浅はか」「ありがた迷惑やわ」「図々しい」「もうお腹いっぱいなん?」「ちっちゃいね」という言葉が出て、そこでまた質疑応答が始まる。さりげなく松本がまとめようとするが、千鳥に突っ込まれる。これもどんどん話題が広がり10分以上放映された。

そして「私のおじいちゃんおばあちゃんおもしろ名前対決」で笑い、「広告を見てついつい買っちゃう物ってありますか?」となった時に「見たことのないジャムを買う」という答えから「ジャム『いる?いらない?』論争勃発!」という話にまで広がって、ゲラゲラ笑うことができた。

 

最後は「尖ってた自分の話」で番組は終わった。5つの(どーでもいい)話題で1つの番組が成り立っているのがいい。それにしても、「どんな人の話でも転がすよ」という松本と進行役の芸人魂はすごい、と思ってしまう。この技術(というか姿勢)を身に付ければ、授業でも大いに生かせるのにな、と思った次第である。

 

 

というわけで、昨日の反省をしよう。昨日は、書いている途中からウイスキーを飲み出した。その結果、わけが分からない文章になった。これからは記事を書いてから、飲酒しようと思う。以上、反省でした。

 

それで、昨日の記事で僕が一番大切にしていることは「楽しさ」なんだけどなあ、とチラリと書いた記憶がある(恥ずかしくて読み返していない)。それでブログの初期に「楽しさ」について書いたことがあったよなあ、と思い、探してみたらあった。結構力んで書いていてなかなか感慨深かったので一部再掲載してお茶を濁すことにしよう。興味のある人は2019年12月31日へGO!して下さい。

 

 

 

以下はロッキングオン「音楽文」に応募したトモフスキーについての文章です。

若干「400」の内容と重なりますが、「楽しい」と「ラク」についての私の考えに触れてあります。「『めんどくさい』を通過しないと『楽しい』は訪れない。そしてその先にあるのが『ラク』だ。」という趣旨のことを書きました。

 

チアイ(以下C)「ねえ、また音楽文に投稿するの?」
ハナミ(以下H)「いいじゃない。何回投稿しても。」
C「ロックに関する事だったら何でもいいのね。」
H「そう。優れたロックミュージックは、肉体性と知性のバランスが絶妙だろ。それについて書けばいいんじゃないの?」
C「それで今回は誰を採り上げるの?」
H「トモフスキーだよ。」
C「トモフかぁ。意外ね。」
H「どうして?」
C「だって私はトモフに知性は感じるけど、肉体性はあんまり感じないもの。」
H「じゃあ、俺が肉体性を担当するから、チアイは知性を担当してくれよ。」
C「分かったわ。それにしても、ロッキングオンでトモフか。みんな知ってるかな。」
H「そこが問題なんだよ。みんなが知らないってことは、ロッキングオンも含めたメディアの責任も大きいと思う。だからトモフスキーなんだよ。」
C「分かった。じゃあまず知性からね。私はトモフの歌のタイトルが好き。どんな歌なのか聞きたくなるもの。」
H「チアイの好き嫌いじゃないって。でもまぁ、好きなタイトルを言ってみな。」
C「忘却to ハピネス、うしろむきでOK!、ガン告知はいらない、巨大なダムのありんこの穴、我に返るスキマを埋めろ、無計画とゆう名の壮大な計画、ワルクナイヨワクナイ、・・・」
H「分かった分かった。もうそれくらいにしてよ。確かに魅力的なタイトルではある。俺の好きな曲ばかりでもある。でもそこから、論を展開していってよ。」
C「じゃあもういきなり核心をついちゃうから。トモフの歌を聴くと、『楽しさ』と『楽(らく)』について考えちゃうの。トモフ自身も考えているんじゃないかと思うけど。『楽しさ』と『楽(らく)』は同じ漢字だけど、ちょっと違うと思うの。」
H「うーん、いきなり過ぎてよく分からない。例えば?」
C「そうだなぁ。私が、高校生で生徒会長だとするでしょ。文化祭が近づいている。企画立案を生徒会でしなければいけない。そして決まったことを全校生徒に提案しなければいけない。その提案が通ったとして今度は準備期間が始まる。その間いろいろな難問を私が責任を持って捌いていかなければいけない。そして当日。無事行われることを願いつつあちこちをチェックする。終わったら後片付けとみんなへのねぎらい。これらのことは、ひとつひとつとてもエネルギーのいることだわ。面倒くさくて疲れることと言ってもいい。でもやり遂げたとき、いや、やっている時に感じることもあるわ。そんな時に沸き起こる感情が『楽しさ』よ。そして『楽しさ』を感じるためにはエネルギーがいる。ここまではいい?」
H「なるほど。分かるような気もする。『楽(らく)』は?」
C「『楽しさ』を通過しないと『楽(らく)』は生まれないの。『楽(らく)』な状態っていうことは、自分自身の居場所があるって感じるってことでしょ?さっきの話で言うと生徒会長の私は、文化祭の成功によって自分の居場所を作ることができたの。トモフは会社や世間と面倒くさくて邪魔くさい闘いを挑んでその過程で『楽しさ』を感じた。その結果『楽(らく)』になったのよ。彼だったら『ラク』って表記するかもね。もちろん会社との闘いなんかはヘビーなものだったかもしれないけど。彼の活動はその繰り返しだわ。」
H「『楽しさ』に至るまでに何をエネルギーにしてるの?」
C「昔はネガチョフとポジコフだったわ。つまり、自分の中のネガティブな部分とポジティブな部分をエネルギーにしてたの。アルバムで歌ってるわ。今は、『幻想』と『錯覚』と『妄想』よ。これもアルバムで歌ってるわ。この3つをエネルギーにして現実と闘っているの。」
H「なるほど。ということは孤独な闘いってことだな。」
C「『うしろむきでOK!』は、『あなた方は、俺にもっと前向きに考えようよ、って言うけど、あなた方の言う前向きって何?それこそがうしろ向きなんじゃない?俺の方こそ前向きなんじゃない?』っていう歌よ。邪魔くさい闘いを挑んでいると思わない?長いものに巻かれれば楽な時もあるだろうに。大勢対自分1人で、立ち向かったり異議を唱えたりしているのよ。それがロックなんじゃない?と私は思ってるわ。トモフはロックよ。そしてそこに『楽しさ』を見出せるようになった。」
H「分かった分かった。そう熱くなるなよ。俺も同感だよ。トモフはロックだと思ってる。」
C「じゃああなたの言う肉体性から見たトモフのロックっぷりを語ってよ。」
H「おぅ。俺がトモフに一番肉体性を感じたのは、1999年12月に行われた『ひとりトモフスキーライブ』だった。」

・・・・・と続きます。

 

こういうことを大切にして仕事をしたいなぁ、とほんのり思っていた初任時代でしたが、その思いは今も変わってないなあ。

 

 

よし。酒飲もうっと。