hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その35~先輩に泣かされたことはありますか?の巻~

今日はデヴィッド・ボウイの誕生日だったのか。ボウイについて書くことは・・・。最近書いたしなあ。今日は閃かないな。というわけで、「ジギー・スターダスト」を日本で一番上手く完コピできる吉井和哉に登場願おう。吉井についても最近書いたけど許しておくれ。

 

何で吉井について書こうと思ったのかというと・・・。昨日アップルミュージックで彼のライヴアルバムを発見したからだ。一体いつ出たんだ?俺結構チェックしてたつもりなんだけど。とにかく聴いてみよう。

 

「MY FOOLISH HEART」から始まるのか。なるほど、そう来たか(「MY FOOLISH HEART」はしっとり穏やか系の曲調)。「(Everybody is)Like a Starlight」が入っているから、吉井和哉はもう元気になっている時期のライヴなんだな。そのせいか、良くも悪くも落ち着いて聴こえる。僕の大好きな「HERATS」が入っているので満足なんだが、初期の「CALL ME」「TALI」というヒリヒリした曲も余裕ありありで歌っているので複雑な気持ちになる。僕は「吉井和哉が元気になるまでの記録」(←前にこんな内容の記事を書いた)として彼のCDを聴いてきたから、元気になったライヴを聴くのは「元気になってよかった」という気持ちと「もっと性急にやってくれよ」という気持ちが半々である。ファンというものは勝手なものである。

 

調べてみるとこのCDは、2018年6月13日に発売されている。「2015年12月28日に行われたBeginning & The Endの日本武道館公演の音源+このライヴが行われた次の年のライヴで初披露された「Island」を新たにレコーディングした音源が収録された前13曲」ということだ。

 

でもなんで11曲目の「トブヨウニ」だけフェイドアウトしてるんだろう?もったいない。メンバー紹介でもしていたのかな?しかし初めて聴いた「Island」はいい曲だ。最後の一節はこうだ。「心が疲れたら 歌でも歌いながら あの日蒔いた種が育った 名前のない島へ行こう」。要するにもう大丈夫だよ、そんでもし何かあったらこうするよ、ということなのだろう。

 

この年の9月には眞鍋かをりと再婚している。そして翌2016年1月8日、ザ・イエロー・モンキーが再集結する。つまりさりげなくイケイケな時期だったのかな。

 

 

このライヴから6年経った2021年12月28日のライヴについては前に書いた通りだ。調子はよくなかったけれども「やり切った」コンサートだったと思う。僕は「いいぞ、吉井、このまま止まらずに行けるところまで行け」と思っている。以上、吉井和哉でした。

 

 

 

 

次はころっと話を変えよう。昨日は思い出話を書いたのだが、その時同時に思い出したことだ。それは「あなたは先輩に泣かされたことはありますか?」である。僕はある。これについて書いてみよう。

 

昨日は24歳の時のことを書いたが、今日も20代の話だ。僕はめでたく27歳で採用試験に受かった。そして前に講師をしていた小学校に赴任することになった。その年度末のことである。卒業式の夜のことだ。

 

今はもう(コロナ以前から)そんなことはないが、卒業式の日の夜に、6年担任を労うための飲み会というものがあった。あの頃はそれが普通だった。飲み会が嫌いな僕も嫌々ながら参加した。その当時はまだ今よりエネルギーがあったので、出席したらしたで愛想笑いをして何とかしのいでいた。飲み会には妻(まだ付き合ってもいない段階)も出席していた。付き合っていなくてもかなりいい感じだった僕らは大いに話し、たくさん飲んだ。

 

そして2人で「〇〇先生のところにいかないか?」という話になった。〇〇先生(邪魔くさいのでウミノ先生ということにしよう)は「優しい理論派」としてみんなから認知されていたと思う。僕達もそう思っていた。理論派なので職員会議等で何を話すのか、常に耳をそばだてていたし、いつも「なるほどな~」と思わされる発言をしていた人だ。酒を飲んで気が大きくなっていた僕は、彼女を誘ってウミノ先生のところに酒を注ぎにいった。「おお来たか」という風に最初はにこやかに話が始まったが、段々真面目な話になっていった。そして僕達2人にこう投げかけた。「hanamiさん、あなたが(この仕事で)一番大事にしていることって何?」僕たちは固まった。2人とも答えられなかった。「それがないと、どんな言動にも説得力がないぞ」というようなことも言われた。

 

気がついたら僕達2人は涙を流していた。ウミノ先生の厳しさを初めて浴びた気がしたし、僕(達)は何て甘ちゃんなんだろう、と思った。そしておもむろにウミノ先生は言った。「俺が一番大事にしているのは『命』だ」と。それ以上は何も言わなかった。

 

僕は当時、自分の考えをはっきりと話すことができなかったし、話そうという気持ちも正直なかった。だから常にその場その場での「正解」は何だろう?ときょときょとしていたんだと思う。「正解」なんてないのに。というか本人が考えに考えた末に出した答えの強度、これが全てだということに思い至っていなかった。だから、「命」を一番大事にする、と言われて何と返したらいいのか分からなかった。今考えるとちょっとズルい。「命」に勝る大事な事ってないじゃないか。本当は僕の心の中にはかすかに言葉があった。それは「楽しさ」である。これについては、また日を改めて書くかもしれない。

 

その後何年か経ってウミノ先生は異動し、僕達は結婚した。ウミノ先生とは年賀状を出し合う仲になった。「もう同じ職場で働くことはないのかな」と思っていたが、違った。僕は前任校に6年間勤務していたが、その間にウミノ先生とは教頭、校長として3年間一緒に働かせてもらった。ウミノ先生は相変わらずだった。しかし、今のこの時代にアジャストしているのか?と思うこともあった。はっきり言うと、ウミノ先生の考え方で「大変な(荒れた)」学年に対応していけるのか?と感じたのだった。しかし、あっちはあっちで思うところがあったみたいだ。(弱音を吐く)僕に対して「もっと根性があると思っていた」と言われたこともあった。

 

 

というわけだが、この話をどう終えていいのだろう。分からなくなっちゃった。僕はウミノ先生のことを大変尊敬している。がしかし同時に物足りなさも感じている。そして、話は大きく飛ぶかもしれないが、この物足りなさは、左がかった考え(思想)の持ち主は信用ができない、ということに繋がる。左だったら左でとことんやってくれ、じゃないとついていけないよ、ということである。僕はソウルフラワー・ユニオンの中川敬が好きである。彼は右ではなく左だ。これははっきりしている。僕が忌み嫌っているものを彼は持っている。でも、僕は彼のことが好きだ。ますます訳が分からなくなってきた。(やはり飲酒を伴う作文はいけないな)今日は一旦お終いにして今度出直すことにしよう。少しは言いたいことは伝わったかな?

 

それじゃあ、またね!