hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

質量のある生活を取り戻したい

今日の夢は、本屋に行ったが、買いたい本が1冊もなくて何も買わずに帰ったというものだった。これは何かを示唆しているのだろうか。

 

夢では本屋にいったが、日常的に行かなくなって久しい。行っても年2,3回だ。その時には結果的にあれもこれもと何冊も買うことになる。つまり本屋に行くとお金はかかるが、本屋という場所は偶然性で満ちているとも言えるのだ。この偶然性はアマゾン等で「旦那、これなんかどうです?」とお勧めされるものとはわけが違うくらいダイナミックなものであると僕は思う。自分でもどこの書棚にいくか分からないんだもの。

 

その結果買った本は、自分でお金を払って買ったものだ。現実的な重さがある。紙の質感がある。表紙がある。これまた電子書籍なんかとは比べ物にならないくらいダイナミックなものであると僕は思う。「質量がある」と言い換えてもいいと思う。これをスッと読むことができると僕の生活も変わるのだが、なかなかそうはならない。老眼のせいもあるのだが、どうもそれだけではないような気がする。これについては後で考えられるかもしれない。次。

 

お前はそんなこと言うけど、音楽はどうだ?お前の聴き方に質量はあるのか?と言われると二の句が継げない。アップルミュージックに頼りっきりで、それはつまりデータだけ欲しいんじゃないか、と言われそうだ。僕もそれには同感である。僕は音楽を聴いているが、そこには手で触れるジャケットもないし、歌詞カードもないし、匂いもない。そうだなあ、これは一種のラジオなんじゃないかと思うこともある。

 

先日ギター教室の先生は「ライヴに行くと(CDやアップルミュージックで聴くのとは)違うよ」と言われたが、全くその通りだと思う。ライヴ会場の雰囲気、空気を震わせて出てくる音、僕と同じようにそこに居る人、それらには質量がある。ライヴに行かなくなってこれまた久しいが、やはり自分の体をそこ(ライヴ会場まで)に持っていって、演者から音楽を受け取るという行為。これにはどっしりとした質量がある。

 

本屋に行くこともライヴに行くこともコスパは低い(のかな?)。ましてやタイパなんてことになると最悪だ。でもそんなこと言うと、人間が生きていることこそ、最悪のタイパ、ということになる。

 

若いうちから手でつかめて、「ほら、これ」と言えるほどの体験をしないと、人間は内に閉じこもったまま生きていくことになりはしないだろうか。スマホでゲームをして、ニュースを倍速で見て、ヤフコメみたいなところやツイッターで好きなことを書き、イントロをとばして音楽を聴き、物語の要約文を見る。そんな生活をこれから人類はすることになるのだろうか。とか言いながら少なくとも音楽に関して僕はデータまみれになっている。もっと質量のある生活を取り戻したい。でも、とっかえひっかえいろんなミュージシャンの音楽を聴いて毎日のように雑感めいたものを書いているのが現実だ。

 

じゃあレコードを買って聴けばいいのかと言われれば、今のところそうだと言うしかない。音質どうこうより、もう一度あのめんどくさい作業をして音楽を聴いてみたい。少なくともレコード、CD、アップルミュージックのどれで聴くのかを選択できる環境を作りたい。

 

 

からしたらデジタルの権化みたいに見える落合陽一にしたって、ライカのレンズを買いまくって写真を撮っているし、一時茶道を習っていたらしい。ちゃんと肉体性を伴った活動をしてるんだ、言ってることとやってることが違うんじゃないか?ズルイ!と思っちゃったよ。

 

ところでライヴといえば授業だ。昨日の6年の授業は、なかなか面白かった。教室に入った途端、スケッチブックを隠した女子がいたので、どれどれちょっと見せてくれないか?と言うと嬉しそうに見せながら僕に説明してくれる。僕はその女子に「じゃあ、みんなにその絵の魅力をプレゼンしてみないか」と言ってみた。女子は「やる!」と言って教壇に立った。

 

しかし彼女が伝えたかったのは、絵の魅力ではなくてそのキャラクターについてのようだった。最後には「ロリとは結婚できません」と言った。僕は彼女に「今の話をどれくらいの人が理解したと思う?」と言ってみた。そしたら「まあ、少ないとは思うけど何人かは」と答えた。

 

困ったなあと思いながら僕は教壇に立ち、みんなに訊いた。「〇〇さんが言った『ロリとは結婚できない』という発言から思いついたんだけどね・・・」「岸田首相は同性婚について議員に質問されて何て答えたか知ってる?」。きょとんとした顔をしている子がほとんどだったが、「ああ~」という顔をしている子もいる。そこで僕は、「同性婚というのは・・・」と説明し、「LGBTって知ってる?」と問うた。あんまり知らないようだったので、性的少数者であるということを伝え、その中身についても少し話した。

 

それから今学習しているSDGsに話を繋げた。「SDGsの最後には『誰一人とり残さない』と書いてあります。今言ったLGBTの人も例外ではありません」と話し、先週からの調べ物をするように促した。

 

ホントはSDGsに漂う欺瞞性にも触れたかったが(ちょっとは触れた)、あんまり偏向した知識を詰め込むのもよくない。もしかしたら最後に社会の授業で取り扱えるかもしれないので、我慢した。

 

最後に思わず最初に話した女子に「先生はてっきり、自分の描いた絵の素晴らしさを力を込めて説明してくれるのかと思ったのに・・・もう・・・」「でも先生は何とか君の話をつなげて授業ができたよ。へへん(自慢してみた)」と言ったら、周りの子が僕に拍手をしてくれた。いやあ、あったかいクラスですなあ。それにしても、キメキメの授業をしなくてもいい(歴史学習は結構ツラかった)ってとても楽だなあ。そして何かが起こってもそれなりに対応できるのは嬉しいことだ。これこそライヴの醍醐味だ

 

と、まあ本屋の夢を見たところからあっちこっち行っちゃったけど、結局はレコード聴きてぇ!ってことなんだろうと思う。ギター買ったばっかなのに、また散財しちゃいそうである。でもこれはネットで買うのはよした方がいいだろう。セカンドストリートみたいなところに行って買うっていうのはどうだろう?危険かな?

 

 

 

それにしても僕はことブログに関しては勤勉すぎる。もう70数日も続けて書いている。そろそろロングなヴァケーションをとらなければ。

 

 

最後にテレヴィジョンの動画を貼り付けておこう。ほとんど初めて動くトム・ヴァ―レインを見たのだが、ピッキングの仕方にショックを受けた。こんなに軽やかに弾くんだ、と。早速僕も軽やかに弾く真似をしている。曲は大名曲「マーキー・ムーン」だ。

 


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