hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

68歳まであと10年弱

僕は現在58歳で12月に59歳になる。タイトルにあるように68歳まであと10年弱である。ここまでが僕の寿命と最近考えている。58歳が忌野清志郎が亡くなった年齢で、68歳が遠藤ミチロウが亡くなった年齢である。そのことも関係しているのかもしれない。あとはCPAPを最近全然使っていないことは大いに関係している。

 

清志郎と同じだけ生きていることになってるなんて信じられない、というのが正直なところだ。そしてそれを抜かそうとしていることに愕然としている。もちろん僕はまだ死にたくはない。でも死が一日一日近づいてくるのを最近感じている。そして少し焦っている。俺はまだ何もしていないじゃないかと。

 

だから遠藤ミチロウを目標にすることにすることにした。あと10年弱生きて、何かをするのだ。

 

こういう考え方は健康的ではないとは思う。人生、そんなに何か素晴らしいことをしなくちゃいかんのか?生きてるだけで丸儲けじゃいかんのか?という声も聞こえてくる。それになんで勝手に自分の寿命なんか決めつけるんだい、変じゃないか?という声も聞こえてくる。

 

そんなこと言ったってそう思っちゃったんだからここはひとつ、周りの声(←誰も言ってない)を無視して話を進めていこう。ミチロウの話から書いていこうかな。

 

遠藤ミチロウが、自身で作ったバンドであるスターリンを解散させて、ソロ活動を始めたのは1993年で彼が43歳の時だった。それから68歳で亡くなる直前まで、全国津々浦々回ってギターとハーモニカと自分の声を使ってライヴし続けた。実に20年以上ほとんど休みなくだ。それはもう凄まじい数のライヴだった。僕は元気だった頃、いろいろなところに行って彼のライヴを見た。一番遠くて青森に行って見てきた。その頃には僕の顔を覚えていてくれるようになっていた。地元に来た時は必ず、つまり毎年見に行っていた。一体何回ミチロウのライヴに足を運んだことやら。30回は足を運んでいる計算になるな。

 

そんな彼も50歳を過ぎた。相変わらず活発にライヴをしている。そして2005年に55歳になった。その年ミチロウは55歳を記念して5日連続でライヴをやっている。ソロ活動とともに活動していたタッチ・ミー、M.J.Q、遠藤兄弟、ノータリンズ、そしてソロという形態でのライヴだった。ミチロウはその年の初めに「今年11月で55歳になるんでGOGOGOで頑張ろうと思う」と言ってたな。

 

そして61歳になる年の2011年、東日本大震災が起こる。ミチロウは故郷である福島に対して、復興支援として「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足させる。その年の8月には「8.15世界同時多発フェスティバルFKUSHIMA!」を開催。記者の取材を受けるミチロウは凛々しかった。

 

その後も活発にライヴ活動を続けるが2018年11月15日(ミチロウ68歳の誕生日)、膵臓がんであることを公表する。だからぼくが観た最後のライヴはこの年の4月だったと記憶している。ミチロウは杖をついてステージまで歩いて行き、椅子に座って(杖と椅子は数年前からだ)いつものような凄まじい歌を聴かせてくれた。

 

映像作品として「RO KU DE NA SHI 遠藤ミチロウ生誕祭「Roll Over 60th」~還暦なんかブッとばせ!~」(2012)、「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」(2017)、「SHIDAMYOJIN」(2018)が残されている。

 

2019年4月25日に都内の病院で逝去。5月1日に、メディアにてミチロウの死が発表される。GW真っ只中だった。僕はすぐに知り合いに連絡した。そして7月から長い病休生活を過ごすことになった。なぜだか分からないが、清志郎の死、ミチロウの死と僕の病休はリンクしている。

 

ソロ活動の前から怒涛の音楽活動を繰り広げてきたミチロウだが、その彼が一番避けて来たもの、それが故郷だった。しかしその彼が故郷を直視せざるを得なくなったのが東日本大震災だった。ミチロウ61歳の時である。その前年には「還暦なんかブッとばせ」なんて言ってたが、61歳からの活動はそれまでとは少し趣も変わってきたように感じた。決してコンディションは良くなかったろうに、最後の力を振り絞るかのようにライヴを続けていた。

 

亡くなる2年ほど前に杖をついて会場に来たミチロウを見た時には正直ショックを受けた。こんな身体になってもまだライヴを続けるのかとも思った。痛々しかった。最後にミチロウと交わした言葉は何だっただろう。音頭の説明だったかな?一生懸命音頭のリズムの取り方を説明してくれたミチロウの姿は今も映像として残っている。

 

ここまでのことは大体は既にブログに書いてきたことだが、彼の命日が最近だったこともあって、もう1回書いてみた。

 

 

そんなミチロウの生き様に僕は惚れているのだ。僕は60になる年を最後に教職から離れたいと思っている。その後の8年間(僕が勝手に決めた寿命だが)、何をするのかはまだ分からない。でも自分の責任において、やりたいことを身を削ってしたいという気持ちはある。妄想シミュレーションなんて記事も書いたことがあるが、もしそれが実現できるのであれば嬉しい。そのために今何を準備しているのかと言われれば心もとないが・・・。

 

 

 

 

ここまで書いた分は今日の午前2時から書いたものだ。いやあ暗い文章だね。深夜に書く文章と太陽が出ている時に書く文章とでは趣が違うね。とか言いながらこれも本音と言えば本音ではある。

 

 

今日は、そうっと授業をしたので1~4限は平和に授業をすることができた。しかし5限目にサポートで入ったクラスでは授業の途中で割って入って子ども達に雷を落としてしまった。こんな身の削り方は嫌だ。子供もそうだろうけど僕自身も嫌な気持ちが残る。明日の授業は、気合を入れつつまたいつものように頑張ろうと思う。

 

 

大谷翔平のように淡々と且つ一生懸命に日々を積み重ねたいものだ。

 

 

それにしても家に帰ってから眠剤を飲むまでの時間が一番リラックスするな。