前任校では若い人と教育について話し合う機会はあった。しかし、今の学校に赴任してから4年目になるが、そういった話をしたことがない。職員会議でするのは伝達事項ばかりだ。研究会でするのはおざなりの誉め言葉と本気度が感じられない改善事項ばかりだ。教育についてとはまた大きなテーマというか大雑把というか抽象的というか、そんな感じがするやもしれない。しかし、そういった大きな話から、それじゃあその目標を達成するために具体的にどうしていこうか、という話になると思うのだがいかがだろうか。
例えば「どんな子に育てたいか」「授業とはどうあるべきか」等のテーマはどうだろう?自分は若い人たちに話すことができるだろうか。ちょっとかたい話題かな。じゃあ「自分が子どもに接する時に大切にしていること」「子どもによく言う言葉」とかはどうかな?こんな話題をいろいろな年代の人と話し合うことによって、お互いに学び合うことができるし、もしかしたらジェネレーションギャップを感じるかもしれないし、感じるとしたらどんなことか、とかも話し合うことができるんじゃないだろうか。僕はそんな機会があったらどんな話をするのだろうか。ちょっとこの場で練習してみるか。こんなことを書くのは久しぶりだな。
「どんな子に育てたいか」からいくぞ。一言で言うと「自律している子(人)」になるな。この場合の自律とは「自分が決めたルールを守って行動できる」という意味である。小学校の国語辞典にそう書いてあった。これは大人でも難しい。自分ができているか、と言えばできていない、と答えるしかない。だからこそ、お互い頑張っていこうぜ、という気持ちも入っている。
また、あるテレビ番組で「自律」とは次のようなことだ、と説明している人がいた。例えば2+〇=8の〇を考える場合と〇+〇=8の〇を考える場合では自立度合いが違ってくる。最初の式はもう〇の答えが6と決まっている。それに対して後の式は1+7かもしれないし、2+6かもしれないし、他の場合も考えられる。より自律度合いが高いのは後者の方だというわけだ。となると次に出てくる式はこうだ。〇+〇=〇。〇の中にどんな数字を入れるのか、そこから自分で考えなければいけない。これこそが自律だ、とその人は説いていた。なるほど、上手いこと言うもんだ。以後使わせてもらおうと思った。
それでは次の話題に移ろうか。「授業とはどうあるべきか」か。これも難しいな。一言で表すと「45分の間に少しでも成長できたとどの子も感じられるような時間にすること」になるかな。「成長」とは少々大げさかもしれない。しかし、授業が始まってからと終わってからとで何も変わらないんじゃいかんと思うな。こちらのねらう学習に関するめあてでなくていい。その子自身の中で何かが変わること、を目指して教師がやるのが授業だと僕は思っている。そのために教師に必要な力は「児童を観察する力」だ。そして「児童が行った言動に対して価値づけることができる力」だ。この2つがあって初めて子ども自身が「ああ、自分は結構いけてるのかも」と思うことができるのだ。それが次の学習への原動力になると思うのだ。
そしてこんなことを言う僕に対して「じゃあ、授業を見せて下さいよ」と言ってくれる若者が出てきてほしいし、僕もそれに応えられる体力がほしい。そして授業を見た後には、実のある授業整理会をしたい。
とまあ、こんなことを書いているうちに祝800記事である。365、600、700,777記事と結構お祝いをしてきたが、今回は長かった。4月からペースが落ちたからだ。人間700記事も書けば、なかなか話題が見つからないものなのかなあ。でも800記事にもなるとあんまり祝祭感がないな。
ああ、そういえばパンクをしてしまったフィアットだが、残念ながらタイヤ交換となった。家から5分のGSを往復したことでタイヤや大分傷んでいた。しかしそのタイヤもすんなり届かないみたいだ。それにしてもフィアット以外の車に乗ると軽くストレスを感じる。それからエアバッグを格納している箇所の隙間だが車屋ではどうにもならないらしい。悲しいよ。