hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その57 ~一軒家に住んでいたの巻~

昨夜夕食を食べていると、妻から「あなた、きれいな白髪になったわねー」と突然言われた。「もう生えてくる髪の毛は全部白髪じゃない?」とも。僕はかねてから、いっそのこと坂本龍一みたいに全部白髪になってしまいたいと思っていたので、いよいよその時が来たか、と嬉しくなった。一応禿げてはいないことをここに記しておく。それから今日は午前1時30分頃に目を覚ましてリビングに移動したんだけれど、テーブルの僕の方にチョコレートが置いてあった。こんなことは史上初である。「Happy Valentine’s Day 体に気をつけて 末永くよろしく」というカードも添えてあった。10年前だったら「何やってんだよ」と思っていただろう。でも今は素直に嬉しい。ありがたく深夜にチョコレートを頂戴した僕であった。それにしても世の中さりげなく「Happy Valentine」ですな。さあ、今日は一軒家の話だったな。

 

その前にもう2つ書いておきたい。1つ目は遂に奥田民生「太陽が見ている」がサブスクに登場したことだ。今日何気なくアップルミュージックで検索していたらもう既に発表されていた。先週発表されていたのか。すっかり忘れていたよ。最初はアコギから始まる曲なのだが、その始まりが最高にかっこいい。曲の出来としては中の中だが、ドラマ(「逃亡医F」)に使われているだけあって冒頭のかっこよさが際立っている。他のドラマで使われる曲とは性質が全然違う。歌詞もドラマとリンクしていていい。

 

もう1つは、これも遂に、の話である。それはギタリストでシンガーのReiがギターを持って立って歌い、そして右足でベードラを叩いて演奏していたことである。僕はトモフスキーが座ってギター&ベードラで演奏、というのは見たことがあるが、立ってやるのを見た人は初めてだ。もしかしたらこんなの今は普通にあるよ、という状況なのかもしれないが、僕は初めて目にした。かっこよかったなあ。そのベードラにはちゃんと固定する器具もついていて本格的なものだった。それにベードラ自体、従来のドラムセットのものではなく、もう少し小さいサイズだった。特別仕様なのだろうか。僕も欲しい。それにループステーションよりよっぽど肉体的だ。ライヴはやっぱり肉体性だよな、と再認識した次第である。

 

さて、一軒家に引っ越しをしたんだった。アパートの取り壊しを知ってから引っ越すまでは早かった。僕は友人から一軒家でもいいかと聞かれ、もちろんと答えた。そしてその日のうちに見に行った。そこは普通の一軒家、つまり僕が長年憧れてきた感じの家だった。門があって入り口があったが、そこには木が鬱蒼と茂っていたので、勝手口から入ることにした。1階には4部屋くらいと台所、風呂があった。前に使っていた老夫婦の私物もあった(老夫婦が住んでいたが2人とも亡くなった。家をそのままにしたくない身内が誰か借り手を探していたのだ。格安で)。2階も4部屋くらいあって老夫婦の私物もあった。亡くなった人の私物というのはかなり怖い。僕は友人に手伝ってもらって、私物を2つの部屋に押し込み、そこを開かずの部屋にすることを決めた。台所や風呂は、これは使えるのか?という状態だった(台所は何とか使った。風呂は無理だったので銭湯通いを継続することになった)。とにかく住むことはできる、と判断した僕は改めて友だちにここに住まわせてほしいから段取りしてくれないか、と頼んだ。そして1日で荷物をまとめて、次の日に引っ越した。友達3人ほどが手伝ってくれた。その日の午後は友達が僕の蔵書(マンガ)を読み漁る時間となった。それはいい。ここでいきなりバイバイされたら怖くてたまらない。しかし友だちも帰り、いよいよ夜がやって来た。2階のリビング(1階は住むことができないと判断した)で音楽を聴いていたのだが、1階に人が誰もいないというのは座りの悪いものだ。この感覚は引っ越すまで変わらなかった。

 

この家に来た人はたくさんいる。多い時で10人以上がいっぺんに来たことがある。まあ、広さだけはあるから何かと便利だったのだろう。大学の研究室の同級生、先輩たちと「焼肉パーティー」をした。同級生が卒業する時には「手巻き寿司パーティー」をした。その様子はたくさん写真に残されている。この写真はその後何回も見返したものだ。

 

 

しかし、こんなお化け屋敷のような所によくもまあ3年も住んでいたものだ。我ながら呆れる。多分本もレコードも大量にあったので引っ越すのが邪魔くさかったのだろう。

 

この家はよく同級生の女子にも使われた。例えば「正月は実家に帰らないで卒論を書きたいんだけど、hanamiちゃんの家、貸してくれない?」とかね。僕は快く承知した。普段鍵はかけていなかったので(そんな時代もあった。今では考えられない)、この時ばかりは用心のため鍵を貸してあげた。それから女子の話でいうと、何人かでお酒を飲んでいて、1人帰り2人帰りするうちに近所の女子と2人きりになったことが何度もあった。しかし僕たちの間に何かが起こるはずもなく、気がついたら女子は炬燵の中で眠っているのだった。僕にスキがあったのだろうか。それとも男子として認識されていなかったとか?まあ、安心感はあったのだろうと思う。そうとなればその安心感に応えるべく、自制するべきところは自制しなければいけない。そんな夜を何度か過ごした。

 

そうこうするうちに、同級生は卒業し、バンドは解散し、僕はこの家で1人とり残されることになった。その時の凄まじい喪失感については、前に書いた。←去年の2月頃だったかな?

 

 

卒業と同時にこの家から実家に戻った。次のアパートまで4年ほど実家にいた。食費等は給料から納めていたと思う。このアパートを借りる時もすごいスピードで契約までこぎつけ、あっという間に引っ越しをした。大事なことはあっという間に決めることができた僕であった。そしてそこに訪れた人はただ一人、今の妻である。