1986年の猪木―藤原戦

最近知ったんだけど、ジョン・レノンの映画が上映されるっていうじゃない。あの「ワン・トゥ・ワン」コンサートの模様がいい音で聴けるらしい。調べてみたら石川県最大のイオンシネマで2回だけ放映されることが分かった。たくさんの人が観に来るかなぁ。平日と言えどもGWだしな。行こうか行くまいか悩むところである。

 

 

 

 

 

今日のテーマは、何年振りかのプロレスネタである(だから興味のない人は、ここでサヨナラである)。僕は音楽と同様プロレスにも大きな影響を受けてきた。それは小学生時代(1970年代)から格闘技ブームだった2000年代初頭まで続いた。だから本当は、音楽ネタと同じくらいの熱量でプロレスのことも書いてみたかった。しかし、ただでさえ小っちゃい音楽ネタで食いつないでいたのに、更にマニアックなプロレスのことを書くのはちょっとな~という気持ちも働いていた。

 

 

 

でも最近のヤフーニュースを見ると何故かアントニオ猪木ネタが頻出していたので、ムラムラと僕の細胞に刻み込まれたプロレス熱が湧き上がっていた。

 

 

 

今日書くのは、1986年に行われたアントニオ猪木と藤原喜明の一戦である。プロレスを書くということは、まずその一戦の背景から語らなければならない。そこが分かっていないと試合に対するのめり込み方は全然違ってくる。

 

 

 

試合をもう一度見る前に、思いつくだけの背景を書いてみよう。

 

 

藤原喜明は、新日本プロレスに入門した後、フロリダ在住の伝説のプロレスラー、カール・ゴッチに師事した。そこで数々の技を習得し、帰国してからは「前座の鬼」として、名を馳せた。またアントニオ猪木が海外巡業に行く時には、用心棒として付き添った。それから道場破りが来た時にやっつける役目もしていたと思う。つまり実力はあるが、地味な前座レスラーだった。

 

 

その彼の名前が全国区になったのは、長州力襲撃事件からである。冬の札幌で藤波辰巳と対戦する予定だった長州力を、花道で強襲し(猪木の指示)、試合をぶち壊したのだ。その結果藤波は会社に不信感を募らせ「こんな会社辞めてやる」と言った。しかし藤原の名は「テロリスト」として広がり、テレビにも登場することになった。

 

 

しかし、新日から独立したUWF(これについて書くと膨大な字数になるので割愛)に途中で参加し、「関節技の鬼」としてその実力を遺憾なく発揮することになる。しかしUWFは資金難のため、新日と提携することになる。遺恨が残る新日とUWFのレスラー。新日本はまずUWF同士で戦わせ、勝ち上がった者を猪木と対戦すると発表した。そのUWFトーナメントに勝ち上がったのが、藤原というわけである。この結果については色々言われている。UWFトーナメントの決勝の相手は前田日明だったが、前田が勝って猪木と対戦すると何が起きるか分からない危険な試合になると思われていたからである。しかし藤原が勝った。

 

 

藤原と猪木と言えば、師匠と弟子である。そして猪木の用心棒も勤めてきた。UWFに行く際の遺恨もある。UWFで己の価値を高めた藤原は一体どんなファイトをするのだろうか。そして猪木はUWFレスリング(大雑把に言うと、従来のプロレスのような大技は使わない。キックと関節技をメインに試合を作っていた)にどう対するのか?猪木―前田戦が消え、ファンは落胆したが、それでも試合前のボルテージは高まるばかりだった。

 

 

 

背景だけでこれだけ書く必要があるのが「昭和プロレス」である。さあ、心を真っ白にして見てみよう。

 

 

 

猪木はゴングが鳴る前から既に藤原のことを見下している。藤原も負けずに不敵な表情でかつての師を見つめる。横には険しい表情の前田が控える。ゴングが鳴っても両者は動かない。一応猪木は、この試合を大一番として試合を拵えるつもりらしい。藤原の方が先に動く。もうこの時点で猪木のペースである。

 

 

藤原の売りは、グラウンドテクニックだ。猪木はそれに付き合うだけの技量もあるから試合としては地味な展開になる。少し試合が膠着したと思ったら猪木は狂ったように藤原にナックルを打ちつけ滅茶滅茶に蹴りを入れる。そして観客が湧く。全部が猪木ペースである。

 

 

藤原としては、グラウンドに持ち込むしかない。そして得意技のアキレス腱固めを何度も仕掛ける。それに対しても余裕で受ける猪木。ここでひとつの見せ場を作る。アキレス腱固めを仕掛けた藤原に対して「そっちじゃない。こっちの方に向けてキメるんだ」と(観客にも伝わるように)ジェスチャーで示す。要は俺の方が関節技を知ってるし格上だよと言いたいのである。問題はその後だ。猪木も負けずにキメ返す。その技はアキレス腱固めに見えるが、実はヒールホールドなのだ。

 

 

 

この技は、後に危険すぎるから禁止されるくらいの技である。当時の観客はその技を知らなかった。なんか猪木がやり返してるなーくらいにしか思っていなかった。結構本気を出してキメにかかっていたので、藤原は堪らず技を解き、スタンドに戻る。こういう風に要所で猪木は藤原に格の違いを見せつける。最初っからの猪木ペースは変わらない。

 

 

 

藤原にはもう打つ手はないなと思った猪木は、藤原の下腹部に蹴りを入れる。苦しんで倒れる藤原。セコンドの前田が「急所蹴りだろ!」と猛アピールをする。そんなことはお構いなしに猪木は、延髄切りを決めたりとやり放題だ。しかし一応藤原のスタンドでの唯一の見せ場であるヘッドバッドを引き出し、それを受けた後に猛烈なエルボーをかます。またしても色めき立つUWFセコンド。そのままスリーパーホールドを決める猪木。藤原は失神する。猪木の勝ちだ(このスリーパーがきっかけで晩年の猪木はこの技をフィニッシュに使うようになる)。

 

 

 

と思った瞬間、前田がリングに上がり猪木に強烈なキックを放つ。倒れる猪木。セコンド陣がリングに上がり乱闘になる。それを手で制してゆっくりと勝ち名乗りを上げる猪木。全てが最初から彼の手の中にあった。観客も藤原も前田も何もかもだ。ここまで完璧にUWFという異分子を迎え撃ち、観客全員を納得させたのはさすがとしか言いようがない。前田のキックまでも引き出し、観客に「前田と戦ったらどうなるん?」と想像させることまでやってのける。

 

 

 

後年、前田が「あの試合前に猪木さんから『(俺を)蹴ってこい』って言われたんだよね」と言っていた。そして「猪木さんの顔を目がけて蹴ったけど、猪木さんは軽くジャンプして喉で受けたんだよね。その反射神経が凄い」とも言っていた。まさしく猪木は、試合前からプランを立て自身の思い通りに試合を組み立てたのだ。

 

 

 

この試合は、今の総合格闘技しか見ていない人にとっては、胡散臭いと思われるだろう。しかし、人間はサイボーグじゃない。感情を持っている。それを纏いながら戦いを見せる。それがプロレスである。猪木がヒールホールドを仕掛けた時、キメようと思えばキメられた。反対に藤原の方も腕をキメようと思えばキメられた。でもそれで強さを誇っても価値はないということを昭和のプロレスは教えてくれる。今からちょうど40年も前のプロレスの試合でも、学べることはたくさんあるのだ。

 

 

 

以上で終わりである。僕としては楽しく書かせてもらったが、やはりプロレスネタというものは、何回も続けてやるものじゃないかもしれない。でもまた気が向いたら是非書いてみたい。

 

 

 

 

 

最後に忘れていてゴメン、ミチロウ。命日は、4月25日だったね(2019年)。僕はミチロウが亡くなった68歳に刻々と近づいているよ。思えば僕はこの年の暮れからブログを始めたのだ。

 

 

 

 

それでは。